あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 中橋中尉を捕まえてこい 」

2019年05月10日 15時27分16秒 | 中橋部隊

その頃私は赤坂タンゴ町に住居を構え、そこから聯隊に通勤していた。
私の所属は第五中隊だったが命により、聯隊本部で教育係としての任務に励んでいた。
二月下旬頃 郷里から父が上京してきたので、
二十六日に東京見物に案内する予定をたて、父に満足してもらおうといろいろ計画を練っていた。

当日を迎えた朝方、どこからか銃声が聞こえてきた。
今頃何をやっているのかと思いながら見物の支度をしていると、
〇七・○○頃、着剣した小銃を持った当番兵が息せき切って飛んできた。
「 安田特務曹長殿! 急用あって参りました。
連隊長殿がお呼びであります。
すぐ 出勤せよとのことでお迎えに参りました 」
当番兵は積雪の中を駈足できたらしく、肩で息をしていた。
軍隊の事だから勿論理由など伝言はなかった。
私は急ぎ軍服に着替え 当番兵と共に家を出た。
折角楽しみにしていた父には申しわけないが、東京見物は中止である。
聯隊に到着すると本部前には宮城に行く守衛隊要員 ( 兵力一箇小隊六十名内外 ) が整列していた。
私はすぐ連隊長の処に行き挨拶すると、
今暁当聯隊の第七中隊が歩一、歩三の兵力と共に蹶起して、
高橋蔵相ほか各所を襲撃し大事件が発生したため帝都に非常体制が布かれた。
よって当聯隊は宮城に増加衛兵を差出すこととなった、
という驚くべき事実を聞かされた。
そのため私は整列している守衛隊要員の指揮官を命ぜられ 直に宮城に向けて出発した。
この時私は途中で蹶起部隊との遭遇を予想し、
五、六名の者を尖兵として約三百米前方に配して行進した。

宮城に入るには半蔵門からであるがその近くまでくると尖兵が戻ってきた。
蹶起部隊が道路を封鎖していて通過できないという。
そこで私は飛んで行ってその歩哨たちを見ると、彼等は今朝出動した蹶起部隊の兵隊たちであった。
私が近寄ると一斉にLGや小銃を向け 「 通行禁止 」 を宣告した。
私は相手を刺戟させないような態度をとりながら
「 毎日同じ釜の飯を食っている我々ではないか、
本官らは命令で宮城警備にきたので、どうしても入らなければならない。
陛下の護衛をするのだから通してもらいたい 」
と 説き伏せ、
すぐ宮城内に入り、護衛所に行き 到着したことを申告した。

当日の守衛隊司令官は第三大隊長の門間少佐であった。

すると司令官は私達を待っていたかのようにすぐ命令を下達した。
「 今しがた中橋中尉が一箇小隊を連れて坂下門に向かったから、お前達の兵力で中橋中尉を捕まえてこい 」
私は理由を聞く暇もなくすぐ行動に移り坂下門に赴いたところ、
その附近にいた衛兵から中橋中尉は五分前単身で二重橋から出て行ったことを知らされた。
彼は二重橋の角の所から新国会議事堂方向に対して、手旗でなにやら通信を送っていたそうである。
中橋中尉は第七中隊長で蹶起部隊の指揮官でもある。
彼が一体何を企図していたのか、その時 フト十日程前のことが思い浮かんだ。
その日の私は守衛隊勤務で中橋中尉と行動を共にした。
その夜控室にいた時 中橋中尉が 「 お前先に寝ろ 」 と さかんに私に就寝を勧めた。
通常であれば階級の上の者から休むのだがその日は逆であった。
私は変だなあと思いながら云われるままに先に就寝したところ、
中尉は徐ろに用紙を机上に拡げ地図を書きだした。
宮城附近の道路、建物等を書いている様子である。
何の目的で作成しているのか。
その頃青年将校の一団が何やら企んでいることを薄々灰聞してはいたものの、
それとこれとに関連があるとは夢にも思わなかった。
それが今日になってそれらの謎が解けた。
そして事件は根の深い重大な性格を帯びていたことも意識した。
私は衛兵所に引き返し 司令官にその旨を報告した後、衛兵勤務についた。
勤務は異常なく終り、二十七日 〇八・○○頃交代し聯隊に帰った。
天候がまた雪になり 一帯は白銀一色となった。

二・二六事件と郷土兵
近衛歩兵第三聯隊第五中隊 特務曹長・安田 正 「 藤田男爵邸の思い出 」 から