あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」

2019年05月12日 19時05分50秒 | 中橋基明

淀橋区諏訪町にある森邸の書斎に
書生が走り込んで来たのは日が暮れてからだった。
「 先生、蹶起部隊の占拠地帯がヤジ馬でごった帰しているそうです。行ってみませんか」
すぐにマントを羽織ると明治通りに出て円タクを拾う。
「 赤坂見附にやってくれ。行ける所まででいい」
渋谷から青山通りに入ると赤坂表町電停附近で鎮圧軍の阻止線にあう。
二六日早朝に襲撃された高橋蔵相私邸のあたりだ。
車で行けるのはここまで。
警戒にあたる兵士の襟章には数字の「3」が付いている。
蹶起した歩三の残存部隊であろう。
あたりは芋の子を洗う混雑ぶりで、森も意表を突かれる。
隅田川の花火見物並の人出とでも云おうか。
群衆が黙々とひたすら赤坂見附方向に歩いている。
雪が溶け、グジョグジュになった道路。
ゴム長靴を履いた男性が目立つ。
外気が冷えて吐息が真っ白に立ち上がる。
皆、押し黙っていた。寒いばかりが理由ではあるまい。
内心こう思っていたに違いない。
「 余計な口を叩いて私服の耳にでも入り、しょっ引かれてはたまらない。」
外堀通りに着くと、最後の阻止線が張られていた。
その先は決起軍占拠地帯だ。
土豪が積まれ重機関銃が据えられる。通りの向こう側に向けられた銃口・・・・・・。

翌二九日(土)の決戦に向けて鎮圧軍では着々と包囲網を布く。
石原戒厳参謀の指揮だ。
赤坂見附交差点には甲府の歩四九聯隊、「 幸楽 」 に対するは歩三聯隊残留組、
山王下電停には宇都宮の歩五九聯隊が布陣した。
さらに応援部隊が続々到着の手筈だ。
水戸の歩二聯隊は夜九時に渋谷駅、高崎の歩一五聯隊は同時刻に新宿駅、
さらには富士山麓で演習中の歩兵学校教導隊が零時に両国駅。
とりわけ千葉習志野に駐屯地がある教導隊は猛訓練を積んだ最新鋭エリート部隊。
両国に到着すると、
装備を背負って現場までの約一〇キロの距離を駆け足で夜間行軍、
未明までに展開を終える予定とされた。
重機九挺(うち空砲銃身三)で武装した決起軍最大の拠点、首相官邸を攻略する想定だ。

こうした緊迫感のなかでも鎮圧軍の兵士たちは庶民の行動にまでは干渉しない。
それゆえ阻止線を越えて、
永田町界隈に群衆が五〇〇〇人は流れ込む。
数は万に達したという説もある。
森が到着したのは午後八時過ぎ、
すでに現場は夕刻から常ならざる群集心理に包まれていた。
あちこちで街頭演説が行われる。
夕刻、民間人の 渋川善助 ら数名の者がきて
幸楽 前の大通りに集った群衆に対し大演説を行った。
大喝采の声が四囲に響き渡るほどの白熱的な情況であった
「明朝は皇軍相撃もやむなし!」
大群衆を前に次々に演説する蹶起将校や下士官たちの声は上ずっていた。
白鉢巻きに白襷姿の歩三大六中隊の下士官たちがとりわけ眼を引く。
天下無敵、山田分隊と書かれた大日章旗を掲げる。
山田政男伍長(20)率いる一隊だ。
尊皇討奸 と認めた赤い幟を持つ兵を従えて移動した。
そのあとをゾロゾロと群衆が従う。
あたかも街頭野外劇を俳優と共に移動しながら楽しむ観客のようだ。
大部隊が駐屯する料亭 幸楽 には、ピリピリした殺気が漲った。
赤坂見附交差点から五〇〇メートルほど溜池方向に進んだ門前には
尊皇討奸 と大書した白い幟が林立する。
軽機関銃が備えられ白襷、白鉢巻で安藤中隊の一〇名もの歩哨が着剣し厳戒にあたった。
中庭には薪火が二か所で焚かれ残雪にあかあかと反射する。

幸楽 の門前の雑踏に、一台のサイドカー がエンジンの音も高らかに止まる。
運転席には陸軍中尉の制服の将校が乗り、
横の座席には日の丸の鉢巻に日本刀を背負った若い将校が鎮座している。
上半身はシャツのままで上着は腰に巻き付け伊達ないでたちだ。
凛々しく端整な顔立ちは寒さと緊張感でことさらに引き締まっている。
たちまち黒山の人だかりとなった。
いかにも決戦の雰囲気が感じられたからだろう。
「兵隊さん!頑張って日本を良くして下さい」
どこから来たのか、乳飲み子を背負い引っ詰め髪の女が金切り声で叫ぶ。
さらに若い職工風の菜っ葉服を着た男が手を差し伸べた。
機関車の運転手か
「私たちが後ろにいますよ、応援します!」
若い将校に向かって人々は口々に訴える。どの表情も真剣でしかも輝いていた。

これが 森伝 と 中橋中尉 との最初で最後の出会いだった。
サイドカーを運転していたのは 田中中尉。
二人は明朝の決戦を前に鎮圧軍の包囲網を偵察するため占拠地域を見回っていたのだ。
この夜、無名の庶民たちの励ましで意を強くしたのだろう。
中橋は次々に手を差し伸べ握手したあと、門前に置かれたテーブルに上がる。
若々しい声で拳を振り上げながらの熱弁だった。

皆さん、最後のアピールです。
明朝、決戦が待ち受けています。
生きて永らえることは毛頭考えていません。
決死の覚悟です。
ですが私たちには大義がある!
それは腐敗した日本を壊して、明治維新に続く昭和維新を断行することです。
実は腐っているのは政治家や財閥ばかりではありません。
軍もまた腐敗しているのです。
私は最近まで北満州のチャムスで抗日ゲリラの掃討作戦に従事していました。
しかし関東軍には阿片の密売から上がる多額の機密費が流れ込み、
軍の幹部たちはこれを私的に使い込んでいるのです。
ある師団参謀長は八〇円のチップを出して飛行機に売春婦を乗せて出張したと云われます。
そうした幹部にかぎって弾丸を恐れる輩が多い。
怒った下士官兵が将校を威嚇する。
ある中隊長は部下に後から射殺されました。公務死亡で処理されています」

「ダラ幹を殺るんだ!」
「そうだ血祭りにしろ!」

の、ヤジが飛ぶ

「諸君!チャムスの荒野の未開地には内地から武装農民が鳴り物入りで入植しています。
冬は零下三〇度にまで下がる大地です。
食うや食わずでゲリラの襲撃に怯えている一方で、
新京の料亭では幹部が芸者を侍らせて毎晩、豪勢な宴会を繰り広げている。
もっと下の将校たちも、ゲリラの討伐に出るとしばらく酒が飲めないと云って、
市中に出て酒を飲み、酩酊して酒席で秘密を漏らしてしまう。
果ては討伐に一週間出て、功績を上げれば勲章が貰えるというので、
必要もないのにむやみに部隊を出す将校もいる。
ですがゲリラにも遭遇しません。
これが軍の統計上、一日に平均二回、討伐に出ていると称していることの実態です。
皇軍は腐敗し切っているのです。
こんなことで満蒙の生命線は守れますか?
日清日露を戦った貧しい兵士一〇万人の血で贖われた土地ですよ!
みなさん!
必要なのは粛軍!
それゆえ我々は蹶起したのです!」
地鳴りのような拍手が起こる。
尊皇討奸万歳の唸りが津波のように押し寄せて来た。

四年後の冬のことだ。
昭和一五年十一、一〇日に快晴の宮城前広場には全国から五万四千八〇〇人が動員された。
天皇皇后臨席の紀元二六〇〇年奉祝式典である。
この日の式典実行総裁は秩父宮である。
すでに胸の病気が進行し、このセレモニーの一週間後、高熱を発するのだ。
単に物理的な数で云えば、そこでの万歳三唱、これが戦前のレコードであろう。
だがその熱気、その自発性、そのエネルギーの求心力において、この晩の永田町の比ではなかった。

大半の群衆は演説中脱帽して、神妙に聞き入っていた。
「生命を投げ出してやっているのだから、聴いていて涙がこぼれる」
森伝の隣にいた老紳士は、息子の世代にあたる下士官や将校たちを前にこう呟いた。

だがこの騒乱状況は永田町の局地的な高揚にすぎない。
大局に於いてはすでに蹶起軍の敗色は覆い難かった。

「明朝は決戦やむなし!」
そのなかをサイドカーに乗り、中橋は 幸楽 をさる。
後から大声援が飛んだ。
「頑張れよ!」
「応援するぞ!」


森伝の二八日(金)
これが森伝の脳裡に刻まれた中橋中尉なのだ。

鬼頭春樹 著
禁断 二・二六事件から