あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 2

2019年05月18日 06時15分59秒 | 中橋部隊


近衛歩兵第三聯隊第七中隊 中隊長代理
中橋基明中尉 ( 2 8 )
 
中橋中尉の昭和維新を、
鬼頭春樹 氏が、その著書 『 禁断 二・二六事件 』 で、
恰も再現ドラマの如く物語る
前頁 中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 1 の  続き

「 秩父宮殿下に話をすることにした。無論、蹶起後だ 」
安藤が驚いて手を止め、磯部の顔を凝視した。
「 森伝が清浦奎吾のじいさんを引っ張り出す。
熱海から出て来て陛下に拝謁するが、主目標は皇太后だ。
大宮御所の参殿拝謁して、蹶起の趣旨を丁寧にお伝えする。宮城の上奏隊のこともだ。
いずれ弘前から秩父宮殿下は上京されるだろう。当然、皇太后に会われる。
そのときに効果を発揮する上部工作の一環だ 」
「 イソ、仮に宮中での帷幄上奏が巧くいかないと、どうするつもりだ 」
「 腹を切るまでだ、それははっきりしている 」
「 イソ、歩三が宮城内に入る可能性があるのか 」
「 近衛兵なら宮城に入る要人の警護で説明できる。
歩三となると武力を背景にした威圧侵入の側面が強くなる。
オレが考えているのは、あくまで上奏隊の護衛で、宮城占拠隊ではない 」
「 坂下門は何時まで確保するんだ 」
「 宮城に入る橋頭堡だ、できるだけ長く確保したい。
そのときはモトの部隊に実弾配備が必要になるかもしれない。
坂下門だけは占拠の色彩が強くなるが、近衛師団がどう出るかとも関係する。
モトの中隊だけで近歩の全部隊を相手にはとても太刀打ちできない。
その時は歩三に援軍を頼むことになるが、状況に応じて臨機応変に考えるしかあるまい 」
「 イソ、秩父宮殿下の役割はどうなんだ 」
安藤は心配そうな口ぶりで尋ねる。
安藤が中隊長を務める歩三第六中隊は最強の団結力と謳われた。
安藤は部下を掌握する為、中隊に新兵が入ると百数十人の顔写真を手に、
名前と身上が一致するまで徹底的に覚え込むのだ。
剣術列伝から拾った 『 必死三昧、天下無敵 』 を看板にした中隊は 殿下中隊 と呼ばれていた。
秩父宮がながく在籍していたからだ。
「 テル、殿下が上京なさるのは蹶起から数日後だ。
それまでに陛下が御維新に同意なされば、殿下が上京され、それに賛同なさる闕て表明の参内となる。
これが理想だ。青山御所から参内なさる凱旋警護をテルの第六中隊に頼むことになるだろう 」
「 陛下が同意なさらないときは ? 」
「 腹を切るまでだが、殿下が陛下を説得しようとおっしゃれば話は別だ。
その場合は蹶起軍が全力を挙げて殿下を擁して・・・」

二月二十四日 ( 月 ) 夜七時、謀議が歩一の週番指令室で進められた。
蹶起を目前に謀議が連日持たれる。
何れも憲兵隊の監視を逃れるため、聯隊内で歩一と歩三で交互に行われた。
この日はとりわけ重要だ。なぜならこの場で蹶起が二十六日 ( 水 ) に確定したからだ。
それまでは二十五日 ( 火 )。
変更は二十四日の午後、中橋中隊が御守衛控兵に上番することが正式に決まったためだ。
この上番は 二十一日 ( 金 ) には内定し、
従って その翌日の二二日、夜の栗原宅の謀議で蹶起日も二六日に内定するのだが、
そのときは歩三関係者がいなかった。
子の事情を中橋は述べる。
「 二月二十六日と選定したのは二月二十四日頃、始めは二二日に二五日と決定しましたが、
二十四日になって二十六日に変更しました 」 ・・憲兵隊訊問調書
但し、ずれた理由は訊問調書では伏せられる。
二十四日の歩一での謀議に出席したのは、磯部、村中、香田、野中、栗原。
週番指令の主、山口一太郎大尉は席を外していた。
「 蹶起日を明後日の水曜、二六日にするとして、今日は帷幄上奏隊の作戦について話す 」
磯部--栗原--中橋で秘かに機密作戦は練られたのだ。
「 クリ、まず貴様の案を喋ってくれ。地図にすると判りやすいんだが、機密保持上口頭で説明する。
いささか複雑だから、皆よく聴いてくれ 」
「 この作戦は S作戦 と秘匿してよびます。 
総指揮官はイソさん。
作戦部隊を大別すれば、
坂下門の警備小隊と坂下門から参内する帷幄上奏隊、この二隊に分かれます。
このため モトが率いる近歩三の一箇中隊一二〇名を、
坂下門の警備に当たる第二小隊と、帷幄上奏隊に加わる第一小隊に分割します。
双方に少尉級の指揮官を配備します。
第一小隊は砲工学校の中島莞爾少尉、第二小隊は未定ですが、近歩からモトが選抜する段取りです 」
三名が固唾を呑んで栗原の説明に聞き入る。
「 第一小隊はモトも加わり、まず高橋蔵相を殺ります。
中島少尉はすでに本日の午後、モトとの打合せを終えました。
当日の早暁、蔵相が赤坂表町の私邸にいるのか、永田町の公邸にいるのか現時点では不明ですが、
中島が明日にでも下見調査します。
どちらにせよ一ツ木の兵営から あまり距離的には違いはなく、
五時決行には五時十五分前に出陣すれば充分です。
この小隊は襲撃が終ると、いったん首相官邸の私の隊に移動合流させます。
ここで野重七のカツが編成する軍用トラック数台に分乗待機、運転手はカツが容易する手筈です。
首相官邸襲撃を終えた歩一機関銃隊が重機関銃を三~四挺装備し、これに加わります。
帷幄上奏隊を警護する第一小隊はつまり近歩と歩一の連合隊です。
ですが あくまで近衛兵が中心に編成されていますから、
上奏隊を宮城内で護衛警護するという大義名分が成り立ちます 」
「 一方、陸相官邸では乗用車で上奏隊を編成します。
陸相をはじめとする陸軍首脳と蹶起将校代表が乗車します。
メンバーは、イソさん、タカさん、香田さん。
乗用車はこれもカツが調達します。不足の場合は首相官邸の公用車を使用します 」
「 一方の第二小隊ですが、第一小隊の戦闘服とは異なり控兵の軍装です。
第一小隊と共に兵舎を出ますが、蔵相襲撃が終了するまで近くで待機します。
私邸の場合はシャム公使館ないし薬研坂附近、公邸の場合は新議事堂附近が想定されます。
蔵相襲撃終了後、第二小隊はモトの指揮で速やかに半蔵門に到ります。
モトの下見では徒歩所要時間は二〇分程度。
『 明治神宮参拝に偶々非常事態を知り、緊急警備に駆けつけた 』
と 赴援隊の仮面を被るのです。
半蔵門から宮城に入り上道灌濠の守衛隊司令部を経て、坂下門の非常警備任務に就きます。
控兵将校は坂下門担当と細則にあり 規則に適います。
ここを橋頭堡に上奏隊車列の参内を待つことになります 」
村中が勢い込んで質問する。
「 宮城内に入った赴援隊と待機している上奏隊との連絡はどうするんだ 」
「 第二小隊が坂下門の緊急警備に就けば、宮城堤から警視庁屋上望楼に 『 坂下門準備完了 』 の連絡が行きます。
発行信号か手旗信号です。
野中さんの歩兵第七中隊が警視庁側で受信すること、伝令を三宅坂三叉路附近の安藤隊を経由して、
陸相官邸のイソさんと首相官邸の小官に送ります。
連絡を受け次第、首相官邸で待機している連合警備隊は陸相官邸に移動します。
さらに陸相官邸で準備が出来次第、今度は伝令が警視庁に走り、宮城に向けて 『 上奏隊準備完了 』 の信号を送ります。
その上で警備隊に前後を護衛された上奏隊の車列が陸相官邸を出発、
車列は第二小隊が固める坂下門を経て、宮殿の東車寄に到るという訳です 」
栗原は此処まで一気に説明して磯部の顔を見た。
磯部は満足げに頷く。だが 村中も香田も野中も皆、無言でこわばった表情が崩れない。
「 そんなに巧く騙だませるだろうか。『 偽装赴援隊 』 は、ひとつ躓けば破綻するのではないか・・・・ 」
『 実に大胆極まれなし 』 と 皇宮警察史 が記している通りだろう。
問題は高橋蔵相を殺害した中橋中尉が、怪しまれず すんなり宮城に侵入できるかどうかだ。
仮に中橋が蔵相襲撃に加わっていないのであれば、リスクは少ない。
だが 両手が血で穢れていることを はたして隠し遂おおせるだろうか。
さらに 『 偽装赴援隊 』 が坂下門緊急警備に就けたとして、
それを宮城の外部にいる蹶起軍にスムーズに伝達できるかどうかだ。
まさか坂下門の外で上奏隊が待っている訳には行かない。
宮城守衛隊の目を盗んで蹶起軍同士が密かに連絡を取り合うことができるのか。
国家非常事態にあって、誰の眼にも勝算は際どいと云わざるを得ない。
「 クリ、カツの用意する軍用トラックの台数だが 」
「 近歩三の兵が約六十名、それに歩一機関銃隊から十五名ほど、
トラック一台に二十名程度が乗車するとして、三~四台は欲しいですね。
無論、運転手付です。 いざとなれば小官も努めます 」
戦車中隊の経験がある栗原は大型車の運転免許を持っていた。
磯部が補足する。
「 カツにはサイドカーもあると助かると云ってある。
場合によっては宮城と陸相官邸の間を連絡将校が往復することになるかもしれないからな 」

その時だ、野中四郎大尉 ( 32 ) が おもむろに口を開いた。
「 第二小隊の装備だが、控兵は実弾を持参するのか 」
「 近衛の細則には、赴援隊は実弾を装備せずとあります。従って非常呼集の際には小銃なりに実弾を込めれば、
兵たちが事前に怪しみ、偽りの任務が露呈する恐れがあります 」
野中の質問が続く。
「 じゃ、警備隊のそうびだが、重機は実弾を装備するのか 」
「 当然です、邪魔が入れば撃ちまくります。宮城であろうが、どこであろうが同じです 」
野中の表情がサッと変った。
「 おいおい、磯部、乱暴にもほどがある、武力を背景に宮城に上奏隊を送るなど 以ての外だ。
況や 皇軍が宮城で相撃の事態に到るなど全く論外、それでは陛下に弓を引くことになるではないか。
我々の蹶起目的はあくまで昭和維新の捨石になることじゃないのか。
陛下の大権を侵してまで、あれこれ奉ることが主眼ではなかった筈だ、オレは承服しかねる 」
こんな血相を変えた野中を誰も見た事が無かった。
厳格な軍人家庭に育ち、寡黙、謹厳、真面目一徹。
若き日は将校寄宿舎で一人黙々と草むしりに従事する。若い将校達からは 陰で 野中型 と呼ばれていたほどだ。
子の軍人からすれば、宮中に実弾を装備した部隊がトラックで突っ込むという発想は、
まことに畏れ多いことに違いなかった。
今度は磯部が大声で吠え始めた。
「 俺達は 革命をやるんじゃないのか。
弾の入っていない鉄砲なんて、子供のオママゴトじゃあるまいし。
陛下に弓を引くことなんか、北先生だって考えちゃいない、あくまで陛下を奉る革命なんだ。
だが蹶起を鎮圧する動きがあれば、宮城だろうが、三宅坂だろうが、反撃せざるを得ない。
相撃なぞ革命の常識だろう。えッ そうだろう 」
野中に香田が同意し、磯部には栗原が加担する。村中は黙って聞いて居た。

蹶起将校たちのエートスを分析すると、一つは天皇主義、もう一つは改造主義 と分かれる。
天皇主義にあっては、
蹶起はあくまで昭和維新への捨石となる集団テロリズムの様相を帯びる。断じて政治的クーデターではない。
軍人は政治に関わらず。従って軍事行動後の上部工作は禁じ手となる。
大権私議にあたり、蹶起軍を考えるべき領域ではない。況や社会の構造的変革など至尊強要で論外。
直接行動で君側の奸賊を芟除せんじょする目的さえ達せられれば、後は大御心にひたすら俟つことが求められる。
いつでも潔く自刃する覚悟が必要だ。
これを作家、三島由紀夫は ロマン主義美学の視点から 『 道義的革命 』 と 称賛した。
野中四郎、香田清貞、河野壽、丹生誠忠、坂井直、高橋太郎、中島莞爾、林八郎
改造主義では、
北一輝 『 日本改造法案大綱 』 を根拠に、支配層の政界財閥軍閥から権力の奪取奉還を図る。
蹶起とは天皇を奉じての民主化をめざすクーデターだ。
ここでの天皇は明治維新に於ける 「 玉 」 の観念に近い。
ここでは要人の襲撃と中央官衙かんがの武力占拠の第一段階が終われば、
蹶起の意志要求を天皇始め権力者に伝える第二段階の政治工作が当然帰結となる。
政治的な変革にあたっては、天皇に改造法案が優先する。
たとえ奉勅命令であても内容が昭和維新成就にマイナスであれば、認める事は出来ない。
磯部浅一、安藤輝三、渋川善助、竹嶌継夫、栗原安秀、對馬勝雄、中橋基明、田中勝、安田優
むろんこの分類は理念型であって、現実の一人の青年将校の中には両者が混在している。
村中孝次は二つの立場を微妙に揺れていた。

その村中が静かに口を開いた。
「 警備隊の重機は空包装備でいいじゃないか。
その代わり多量に携行しよう。
宮城内なら近衛の部隊も実弾を装備していないんだから、空砲の威嚇射撃で充分効果を発揮するだろう 」
磯部がしぶしぶ応じる。さらに野中が念を押した。
「 磯部 武力上奏隊の武力を外してくれ。いいな 」
こうして対立した謀議の翌日、歩一弾薬庫から重機の空包が、なんと約六千発も持ち出された。
憲兵隊第一回訊問調書で栗原中尉は部下に運び出させた弾薬を証言する。
小銃実包  約 三万発 ( 二十箱 )
重機関銃実包  約 四千発
重機関銃空包  約 六千発
拳銃実包  約 三千発 ( 一箱 )
小銃弾は軽機関銃にも流用出来た。
したがって数は合せて三万発と厖大になる。
栗原は軽機を六挺 用意した。
林少尉に命じて歩一の他の中隊から借りださせる。
問題は重機関銃だ。重機は九二式、七・七ミリ弾を装備した最新高性能機だが、
この夜の謀議を反映して実弾より空砲弾が圧倒的に多い。
重機では実弾を装填するか、空砲を撃つかによって、異なる銃身を準備しなくてはならない。
その結果、栗原は重機を九挺も持ち出すが 内 三挺は空砲銃身の装備だった。
重要なことは、この空包の数値は憲兵隊訊問調書
或は 調書を基にした 「 叛乱部隊襲撃占拠一覧表 」にしか記載がない事だ。
戒厳司令部 「 叛乱軍携行弾薬調査一覧表 」 には、機関銃の空包弾数は記載がない。
これは裁判資料の基本と見られるが、他の裁判史料にも一切ない。
なぜなら この数値には 「 S作戦 」 を解明するカギがあるからだ。
空包弾の意味を辿れば、宮城を部隊にした秘密作戦があぶり出される。
蹶起軍は単に重臣の参内を坂下門で阻止しようとしただけではない。
蹶起目的に アカ の要求と当時は云われかねない変革課題を掲げ、
帷幄上奏の非常手段にまで及ぼうとしたのだ。
加えて皇族を起用した政治工作まで企図する。
秘密作戦が明らかになれば拵えたシナリオで隠蔽した真実が露呈してしまう。
だが 憲兵隊訊問調書が作成されたのは事件直後で、栗原の場合で云えば三月一日。
興奮が覚めやらぬ中だったから、事実関係が比較的率直に反映したとみられる。

次頁 中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 3
に 続く