あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 4

2019年05月15日 08時28分33秒 | 中橋部隊


近衛歩兵第三聯隊第七中隊 中隊長代理
中橋基明中尉 ( 2 8 )
 
中橋中尉の昭和維新を、
鬼頭春樹 氏が、その著書 『 禁断 二・二六事件 』 で、
恰も再現ドラマの如く物語る

前頁 中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 3 の 続き


「 非常 」 
トラックの荷台から田中勝中尉が大きな声で叫ぶ。
五時二十分だった。
「 取り込み手が空いていないので敬礼ができないが、失礼する 」 という軍隊用語だ。
市電通りで追い越して行く野重七のトラック部隊を見送った中橋中尉。
「 あれだ。あのトラックに明治神宮参拝から帰る途中に遭遇して、
非常事態が発生したことを初めて知った事にすればいい 」
中橋は六十二名の第二小隊と共に半蔵門をめざしている、その途上で遭遇したのだ。
田中は宮城参拝からすぐ陸相官邸に回ったが五分早く到着。
一方の歩一第十一中隊、丹生中尉指揮の占拠部隊が五分遅れたため、落ち合うことが出来なかった。
異変が生じたのではないかと危惧した田中は、確認の為麻布六本木の歩一に急行する。
山口週番指令から、既に第十一中隊が出撃したことを聞くと、
すぐさま陸相官邸にとって返した、まさにその途中だった。
中橋は策をめぐらす。
半蔵門にいたる途中の五時半、伝令を赤坂一ツ木の聯隊本部に送るのだった。
週番司令はこの朝、南武正大尉である。
周到な計算だった。
『 明治神宮参拝途中、突然事件を知り、非常と認めて第七中隊は直ちに宮城へ赴く 』
巧妙且危うい 赴援隊のシナリオが実行に移されるのだ。
純粋な応援部隊の仮面を被り、宮城には赴援隊一箇小隊を率いて馳せ参じる。
だが蔵相襲撃の血で穢れた手を一時は隠し遂せたとしても、いずれは確実にバレる。
問題はそのバレるまでの時間だった。
いち早く露見すれば、事は挫折頓挫する。
「 S作戦 」 は砂上の楼閣に終り、中橋は奈落に墜落しよう。
だが時間が稼げれば、坂下門に軍事的な橋頭堡を築くことが出来る。
宮城と警視庁が密かに連絡を取り合い、
陸相官邸を出た蹶起軍車列が坂下門に到着するまで持ち堪えさえすれば
「 S作戦 」 は 成就する。
両者の分かれ目はきわどい、歯車が一つ狂えば 全てが失われる。
こうして蹶起軍はサイコロに賭けた。
皇宮警察史が実に大胆極まりなし と記すように、大胆な博打バクチを打つのだった。
日の出時刻が近くなってきた。出撃の時チラホラと降っていた雪は止む。
だが新雪も重なり路上の積雪が行軍を阻んでいた。
雪の下は凍ってアイスバーンのように滑る。
所によっては吹き溜まり状態で兵士たちは足をとられた。
なかには用意周到に靴に荒縄を巻き付け、滑り止めにしていた兵がいた。
歩三第十中隊の加庭伍長勤務上等兵はそれを証言する。・・加庭勝治上等兵 「 赤坂見附の演説 」

夜明け前の半蔵門はシルエットで閉ざされていた。
六時少し前、中橋中尉は第二小隊と共に半蔵門外に到着する。
お堀端の雪と石垣が墨絵のように淡い対比を見せていた。
斉藤一郎特務曹長 ( 32 ) が 一人 門に近づき立哨ポストの皇宮警守に告げた。
「 近衛歩兵第三聯隊第七中隊、赴援隊一箇小隊六十二名、
明治神宮参拝のため非常呼集をなし行軍中、蔵相邸附近に於て非常事件の起れるを知り、
直ちに控兵として転進到着せり、聯隊週番司令には報告済みである。直ちに開門願いたい 」
警守は緊張した面持ちで立哨ボックスに入り、裏手の半蔵門分遺所当直に電話で判断を仰ぐ。
「 御門を潜るのがまず先決だ。宮城に入らなければ何事も始まらない。
二十分前に送った伝令の報告が、すでに宮城内の守衛隊司令官には届いているはずだ。
従って警戒心は与えてはいまい。だが どこでなにか不手際が生じていないとも限らない。
半蔵門は開門の機会が極めて少ない。主に皇族の出入りに使用されているからだ。
半蔵門を入り一直線に進めば内苑門を経て天皇の私的な空間である御常御殿に最短距離で到る。
また宮中三殿や生物学御研究など重要な施設にも近い。
乾門や坂下門が一般人にも開放され往来の頻度が激しいのとは対照的だ。
ほどなく皇宮警守が受話器を置くと、一言部下に命じる。
五時五十三分、半蔵門の扉が静かに開かれた。
六十二名の小隊は積雪を踏みしめながら、宮城のなかに吸い込まれて行く。
「 どうか変な者を入門させないよう十分注意して下さい 」 ・・皇宮警察史
この時点では半蔵門は常時一名の警守が二名に増加されたにすぎない。
後に非常配備転換されると、近衛師団の下士官兵九名、重機関銃一、軽機関銃一と厳重を極めた。
重機が配置されたのは半蔵門と竹下門だけ、蹶起軍占拠区域に接するだけに最重要ポイントとされたのであろう。
中橋は覚悟を決めていた。
「 ここまで来たからには運を天に任せてやるしかない。赴援隊は規則上も当を得ている。
際どいバクチだが捨身で身を委ねるしかない。
オドオドするな、たった一人の戦いだが堂々とするんだ、仮面を一人被り、偽りの表情を演じるんだ・・・・」
宮城の外周を巡る土手沿いの小道がある。
部隊は桜田濠を見下ろし、一列縦隊で進む。物音と云えば兵の息遣いだけ。
日の出を前にあたりは薄明かりとなって来る。
外気は零下十度に近く 隊列に真っ白な湯気が立ち上がった。
小隊は五分足らずで上道灌濠に突き当たる、この濠を越えた所に守衛隊司令部があった。
未明に野重七の田中中尉が釈明をした場所だ。
この朝、当直で宮城内警備にあたっていた近歩三の二箇小隊が詰め、
正門をはじめ乾門や坂下門などの警備に赴いていた。
司令官は門間かどま健太郎少佐 ( 40 ) 中橋の控兵もこの指揮下に入る。
兵力で見れば中橋が統率する控兵はわずか一箇小隊、宮城守衛隊全体の五分の一にすぎない。
半蔵門文遺所から連絡を受け、門間司令官と中溝正門儀仗衛兵司令が二階の司令室で待っていた。
中橋赴援隊長が一人入る。
六時を少し回った頃、颯爽とした態度だった。
「 第七中隊長 中橋中尉以下一箇小隊、緊急事態発生のため御守衛赴援隊として到着致しました 」
「 あー、ご苦労さん、よく来てくれた。それにしても早かったなア 」
「 明治神宮参拝からの帰り、偶々市電通り赤坂表町電停附近で蹶起部隊の自動車隊と遭遇したためです。
そこから転進し、馳せ参じました 」
門間の表情には警戒感がない。中橋の挙動がなにより自身に満ちていた。
そして司令官は中橋をよく知らない。同じ聯隊であるが演習帰りに一度だけ話を交わした程度だった。
この時、中橋の上衣のボタンが二つ外れていたという。
二番目と三番目。
蔵相襲撃後、シャム公使館脇に向かう途中で途中で休息した際、かけ忘れていたのだった。
門間が仮にこれを指摘出来たら、中橋は周章狼狽したに違いない。
血で穢れた両手を見せてしまうことに繋がったのだから・・・・。
この時門間は気になる情報を得ていた。
青山の大宮御所警備に就いている司令、今井一郎中尉からの電話報告だ。
「 蔵相私邸の襲撃部隊が近歩の徽章をつけていた 」
これは中橋の不覚だった。
蔵相私邸の襲撃に当っては周辺に御所があり 海外公館も多い事から、
累を他に及ぼさぬよう細心の注意をと盟友の栗原中尉が中橋に念を押していた。
このため中橋は襲撃に先立って、わざわざ市電通りを挟んだ大宮御所に自ら赴き、
「 御所に向かっては何もしませんから、なにとぞ騒がないで下さい 」 ・・皇宮警察史
と告げる。
この時中橋は軍帽徽章を大宮御所を守衛する皇宮警察官に確認されてしまったのだ。
近衛師団の軍帽には特徴がある。
陸軍軍帽はシンプルな星 ( 五芒星 ) が徽章なのだが、近衛だけはその周りを桜のつぼみと葉が取り囲んでいた。

一目で見分けが付く。
門間は 「 まさか 」 と 考え、直に東京警備司令部に問い合わせるよう命じた。
東京警備司令部は首都警備にあたる軍隊組織で戒厳令が布かれると、戒厳司令部に移行する。
宿直の深井軍曹の答えから、警視庁や首相官邸などの襲撃部隊は第一師団の歩一と歩三と判明した。
近歩三聯隊本部の週番司令、南大尉からは、
「 中橋中隊は明治神宮参拝のため兵を連れて出ているが、
さきほど連絡があり、異常事態に遭遇して附近を警戒中 」 との情報を得る。
このため今井の報告は実際に当人が目撃した訳ではなく、
歩三と近歩三を取り違えた誤報と見做して納得したのだった。
だが 仮に中橋が今井中尉の名を聞いたら平常心を失ったに違いない。
何故なら嘗ての中橋の直属の部下だったからだ。
昭和八年の救国埼玉青年挺身隊事件では見習士官の今井に事件への参加を強要するが断られ、
結局、事件そのものが未遂に終わる。
その経験から今井は今回の仕業も中橋に違いないと直感的に見抜いていたのだった。
何も知らない門間は、
「 非常時には赴援隊将校は坂下門の警備に赴いてもらう決りだ。
当方もいま 宮城内の警備再点検を大至急行なっている。
方針が固まる迄、小休止してくれ給え 」
中橋は内心 シメタ と叫ぶ。
正門衛兵所を出ながら 屯たむろしている小隊に大声で命令した。
その時 六時を過ぎていた。

守衛隊司令部の裏手には宮城堤が拡がる。
ここから直下の桜田濠越しに警視庁が目と鼻の先に望めた。
なにも知らされていない中橋中隊の兵たちがひそひそと話し合う。
「 すごいなア、いったい何が始まるんだ。敵はどこにいるんだ・・・」
新兵が驚くのも無理はない。薄明かりの眼前にパノラマ大異変が拡がっていたからだ。
折から警視庁を占拠した歩三・野中大尉指揮五百名の大部隊が路上に有刺鉄線のバリケードを築いている。
砂袋で陣地を構築、重機関銃をその上に配置する。
重量は三脚も含めると八十キロを超えた。
視線を右に転じれば、陸軍省、参謀本部の一体となった建物 ( 省部 ) を占拠した
歩一・丹生中尉指揮二百名が厳重な警備を布いている。
さらに右翼の三宅坂三叉路には、歩三・安藤大尉以下二百名の部隊が慌ただしく動き回る。
侍従長官邸の襲撃を終えて まさに到着した直後だ。
この土手からは帝都中枢官衙を占拠した蹶起部隊の姿が立体的に把握できた。
中橋は背嚢からチョコレートを取出すと口に含む。
「 予定通りだ。次は坂下門の緊急警備に就いた時点で、警視庁の屋上望楼と連絡を取り合うことだ。
それさえ巧くけばいい 」

その頃、磯部浅一は昂揚感の絶頂にあった。
陸相官邸の正門に立って三宅坂一帯を睥睨へいげいしている。
三宅坂とは昭和初期にあっては陸軍省官衙の代名詞と云えた。
その中枢を歩一、十一中隊・丹生誠忠中尉 ( 27 ) 指揮百七十名の部隊が完全に掌握占拠している。
陸軍省と参謀本部、その裏手にある陸相官邸は蹶起部隊の手中にあった。
その蹶起軍ヘッドクォーターに、六時頃には各襲撃隊から次々と凱旋報告がもたらされた。
「 高橋是清襲撃の中島帰来し、完全に目的を達したと報ず。続いて首相官邸よりも岡田をやったとの報、
さらに坂井部隊より麦屋が急ぎ来り、斉藤を見事やったと告ぐ。
・・中略・・
安藤は部下中隊の先頭に立ちて、颯爽として来る。
「 やったか!」 と 問へば 「 やった、やった 」 と答える 」 ・・磯部浅一第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」 
そのたびに万歳が雪化粧した台地にこだました。
磯部の感情はいやがうえにも高ぶった。
そして蹶起将校全員の胸中に中橋の姿が去来する。
「 予定では宮城に入った時刻だ。巧く運んでいるだろうか 」
蹶起から一時間が経過、焦点は第二段階の政治工作に移る。
蹶起軍と宮中との攻防が始まろうとしていた。

六時十五分、宮殿御政務室から百メートルしかはなれていない守衛隊司令官室。
門間少佐は中橋中尉に重々しく命じる。
「 近衛歩兵第三聯隊第七中隊は宮城守衛赴援隊として坂下門の非常警備配置に就け 」
中橋は内心 哄笑こうしょうした。
「 やったぞ、予定通りだ 」
有事に在っては宮城では御門の警備に近衛師団があたる。
その非常配備転換がまさに各門で行われようとしていた。
坂下門周辺も俄かに殺気立った雰囲気に包まれる。
慌ただしく土嚢と軽機関銃二梃が運ばれた。
中橋中尉が小隊を直接指揮し、今泉少尉と共に坂下門へ赴く。
「 私は小隊を率い坂下門に急行した。下士官の連中がテキパキと兵隊を区署し歩哨線を張り、
門の両側の土手上に二梃の軽機関銃を配置した。
私も以前、宮城の非常警備配置について演習したことはあったが、下士官の的確な処置には感心した 」 ・・今泉義道
配備が完了したのは、六時半前後。
重臣の顔写真が密かに下士官に配られた。中橋はこの期に及んで周到冷静だった。
「 約一箇小隊の兵を率いて東渡り廊下、坂下に到り、うち 二箇分隊を蓮池門跡の配備につけ、
一分隊位を皇宮警備部前にとめて坂下門に向けさせたのち・・・・」 ・・皇宮警察史
万一、近衛師団の他の聯隊から宮城で攻撃を受けてもいいよう、坂下門の前後を固めたのだ。
その上で 全ての要人の出入りを坂下門に限定させ、中橋中隊が出入りをチェック、実質的に宮城を封鎖する。
そこへ帷幄上奏隊が到着する・・・・此がシナリオ。
「 坂下門到着後は前記の如く宮城への出入者を坂下門に限定せむと画策する等、
「 実に大胆極りなしと云うべく、直接同中尉と接したる佐野警部塔り その感想を聴取するに、
幾分、顔色勝れなく如く感ぜられたるも極めて冷静にして上の如き大罪を犯せる者とは信じ得ざる情態なりし 」
とのこと 」・・二・二六事件に関する警備記録
「 ようし、愈々 警視庁への連絡だ。 これさえ巧く行けば昭和維新は成就する 」

宮城の南、桜田濠の土手に沿った松並木で奇妙な行動が見られた。
推定時刻は六時四十五分。
将校マントを羽織った一人の軍人が立ち、桜田門の警視庁方向に身体を傾け、なにやら腕を動かしている。
松並木の木々はいずれも樹齢が古く、三宅坂の方向から桜田濠越しに見ればうっそうとした森を形成していた。
その枝々に見え隠れして男の姿があるのだった。
傍らには兵士が一人控える。
マントの男の右手には太く長い懐中電灯があった。
そのスイッチを入れたり、消したりしながら、前方を一心に見つめている。
羽織ったマントのボタンを掛けず、袖も通さないラフなスタイルだが、顔の表情はこわばっていた。
ツー、トン、トン、トン、ツー、トン、ツー、ツー、トン  モールス符号の発光信号通信。
符号マニアの中橋中尉にとってはお手の物だ。
かねて警視庁側の歩三と打合せの符牒は 『 春が来た 』
「 当中隊は坂下門の非常警備に就いた。準備は整う。速やかに陸相官邸より坂下門を経由、
警備隊付の上奏隊を送られたし 」
中橋は傍らの長野峯吉一等兵 ( 21 ) には手旗信号を備えさせていた。
六時十六分の日の出を過ぎて少しでも太陽が出て来るなら、手旗信号を用いるつもりだったのだ。
だが天候は回復しない。むしろますます気温が下がり靄もやが出てきた。
濠の周辺の暖かく湿った空気が冷気で急激に冷やさたためだ。
直線距離でわずか七百メートル。
ふだんなら目と鼻の先に見える警視庁の五階建ての建物がボンヤリ煙っていた。
さらにその上に聳える望楼に至っては輪郭すらおぼつかない。
こうして実際に宮城の土手の上に立ってみると、大声を出して直接伝えたい衝動に駆られる。
それほど近距離なのだ。
だが仮に視界が利き、望楼が黙視出来たとすれば、中橋はこのとき驚くべき光景を目にしたはずだ。
誰もいない無人の屋上を・・・・。
『 野中部隊が警視庁屋上から中橋中尉へ、宮中の號砲臺の上から 手旗信号を遣ることになっており、
中橋が遣ったが、野中大尉は遣らなかったようです 』 ・・栗原中尉
中橋からの警視庁への信号が、仮に成功していれば、
次には 『 春が来る 』 の緊急信号が警視庁側から 宮城に来ることになっていた。
『 警備隊付き上奏隊が陸相官邸を出発する 』 の意味だ。
なにも知らされなかった長野一等兵は事件後、憲兵隊に呼び出され執拗な取調が数度にわたる。
「その内容というのが、私が宮城内で担当した連絡任務で時間、位置など克明に聞かれたので、
私は正直に連絡のなかったことを説明したところ、ようやく放免された。
思うに警視庁屋上からの連絡は、重大な意味が かかっていたようである 」
・・長野峯吉 中橋中尉 「 警視庁の蹶起部隊から連絡がある、受信したら報告せよ 」 
この長野の憲兵隊訊問調書も亦 抹消されている。

首相官邸には六時五十分、田中勝中尉の自動車隊が勢ぞろいする。
「 S作戦 」 に従事する車列だ。
トラック三台、乗用車三台、サイドカー一台。
トラック三台には歩一機関銃隊と近歩三近衛兵の連合警備隊が分乗する。
歩一が持ち出した空包銃身の重機三挺と空包弾千発、それに実弾入りの小銃を装備した。
乗用車三台には陸相など幹部と磯部、村中、香田ら蹶起軍将校からなる上奏隊が分乗する。
うち二台は首相官邸の公用車だった。
パッカード・エイトにキャデラック。当時は軍用トラックでさえ輸入されていた時代だ。
これらの外車の運転は歩一機関銃隊、横道二等兵と栗原中尉自らがかってでる。
サイドカーには坂下門から中橋中尉が乗る手はずだ。
これは田中中尉が運転する。
この車も市川の部隊から調達したものだった。
こうして帷幄上奏隊と警備隊の車列の準備が整う。
陸相官邸には栗原が心配顔で駆けつける。上奏隊車列の予定出発時刻七時が迫っていたからだ。
磯部の袖を引き、机やイス、ロッカーなどでバリケードが構築され迷路のようになった廊下に連れ出す。
床は泥だらけだった。
栗原が磯部に切羽詰まった真剣な表情で聞く。
「 坂下門からの連絡はまだか 」
「 うーん、気がかりなんだが・・・」
「 警備隊の編成は終っているんだ。早く上奏隊を出発させないと間に合わない 」
栗原は、岡田首相を殺害したと信じ、次の上奏隊のことで頭がいっぱいだ。
磯部が頷うなずく。
「 判った、俺がちょっと警視庁に行って見て来る。サイドカーで行く 」
「 じゃあ、俺は首相官邸で待機して待ってる 」
磯部が乗ったサイドカーが勢いよく発進する。サイドカーには小さな旗がはためいていた。
尊王討奸と墨汁で書かれる。運転席に田中勝中尉が乗った。
磯部浅一は座席で旗を見ながら思案していた。
「 いざとなれば、川島陸相と斎藤少将だけでも連れて上奏隊を出発させよう。
人質の数が多ければいいというものでもない・・・・」

野次馬が遠巻きにし、騒然とする警視庁にサイドカーが到着する。七時五分頃か。
「 岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長、斎藤内大臣に天誅が下りました、昭和維新は間近です 」
田中中尉が野中大尉を見つけ報告する。
「 おおそうか 」
野中は啜っていた汁粉の椀を持って微笑んだ。隣の磯部の顔を見て少し表情を曇らせる。
「 野中さん、坂下門からは何も云ってきませんか 」
「 望楼で清原が待機しているが、何も来ないな。ともかく天候が悪くて見通しが利かない 」
当初予定では中橋小隊は遅くとも七時には警視庁望楼に信号を送れるはずだった。
しかし七時を回ったというのに、待てど暮らせど信号が来たと云う伝令は磯部に来ない。
「 天候が悪い場合は、発光信号ですね 」
「 いつもであれば苦労しないんだが、靄がひどいからね 」
普段の天候であれば、警視庁望楼からは桜田濠越しに宮城の森が手に取るように望めた。
「 坂下門で何か起きたのかな 」
「 心配なんで、さっき常盤を坂下門まで偵察に行かせたんだが・・・」
野中中隊に属した常盤稔少尉 ( 21 ) は、戦後こう証言する。
「 兵隊を連れて坂下門まで偵察に行ってますよ。
清原が信号を待っているが、いつまでたっても信号がない、これはおかしいと云うので、
野中大尉が 「 坂下門まで行って、何とか連絡して来い 」 と 云うんですよ。それで行った。
行ったが、坂下門には皇宮警察がのんびりいるだけで、知っている顔は一人もいない。これじゃ連絡のとりようがない 」
常盤少尉が坂下門に着いたのは六時十五分頃、非常警備体制に切り替わる十分前と推定される。
・・・もともと大権私議にこだわっている男だ。 「 S作戦 」 の実現には熱意はない。
陸士で二年先輩でなければ、怒鳴りあげるところだが・・・
「 屋上望楼の部隊をそろそろ降ろそうかと思っている 」
この時点で何も知らない磯部は七時過ぎ 警視庁を後にする

「 うん? あいつは土手の上でなにをしているんだ 」
宮城では七時を過ぎ風が出て視界が晴れて来た。
守衛隊正門儀仗副司令、片岡栄特務曹長は、司令官・門間少佐から中橋を探して来る様に命ぜられる。
「 連行しろ 」 という言葉にはただならぬ気配が感じられた。
めざす中橋中尉は坂下門附近にはいるだろうと漠然と考える。
坂下門では今泉少尉以下の一箇小隊が非常警備に就いていたからだ。
だが片岡は全く予期せぬ光景に遭遇する。
なんと中橋は司令部裏手の土手堤にいた。
その両手には信号用手旗が握られている。
眼と鼻の先には警視庁の四階建て庁舎とその屋上望楼が聳え立つ。
靄が消え七百メートル先の建物が目視できた。
赤マントの男は、先程見通しの利かない中で送信したモーレス信号が警視庁に届いていないことを懸念して、
手旗信号で再送信しようとしたのだ。傍らには誰もいない。
片岡は中橋の背後に静かに迫ると、無言で後ろから羽交い絞めにした。
二人はもつれ合う。すんでのところで土手から転げ落ちそうになる。
片岡はこの上官に手荒なことは避けたかった。逆上されてなにが起きても不思議ではない。
「 中尉殿、門間司令官がお呼びです。直ちに司令官室に出頭願います 」
努めて平静を装って同行を促す。
これには目撃者がいた。
「 近衛師団司令部の山崎勇軍曹は、加納営造少佐をサイドカーに乗せて皇居内に入った所で、
積雪のためサイドカーが動かなくなり、已む無く歩くことを余儀なくされた。
その時、土手の上で揉み合う二人を見たのだった。
近づくと、手旗は中橋中尉、羽交い絞めにしていたのは同郷の片岡特務曹長だった 」 ・・藤井康栄 『 松本清張の残像 』
門間司令官へ中橋拘束の指令が飛んだのは七時と推定される。
近歩三、園山光蔵聯隊長が一ツ木の聯隊本部に出仕したのが六時五十分。
営舎で点呼をとらせると、中橋中隊の二箇小隊百二十三名が行方不明だった。
憲兵隊、連隊副官、週番司令などの断片的な情報を綜合するうちに、
一箇小隊が既に赴援隊として宮城に入った事が判明する。
こともあろうに 今まさに坂下門で非常警備に就いているという衝撃が近衛師団首脳を襲った。
穢れた両手がとうとう二時間後にバレたのだ。
そして蹶起軍の究極目的である 「 S作戦 」 も亦 近衛師団に掌握される。
六時二十五分、本庄侍従武官長から橋本師団長への連絡が端緒となった。
直ちに近衛師団と皇宮警察は宮城警備で緊急打合せを持つ。
「 叛乱部隊が上奏隊を宮城に侵入させる計画ありとの情報に接し、
内藤皇宮警察部長と中溝猛正門儀仗衛兵司令がその対策を協議の結果、
「 目的・同期の如何を問わず、手段・方法に於いて不法なる以上、
守衛隊と皇宮警察部は協力して、断固これを阻止すべし 」
との方針を確立し、部下一同に伝達した 」 ・・皇宮警察史
まさにその頃、中橋小隊は坂下門の非常警備配置を完了する。
その三十分後、今度は中橋拘束の司令が飛び、手旗信号中の中橋は司令部に連行された。
こうして蹶起軍は坂下門の橋頭堡を失うのだった。
蹶起軍が坂下門を確保したのは
二月二十六日 ( 水 ) 午前六時二十五分~七時五分までの四十分間だけのことになる。

片岡特務曹長に伴われて宮城守衛隊司令部に連行された中橋中尉は平然としていた。
お得意のポーカーフェイスだ。ポケットからチョコレートを取出す。口に含んで気を落ち着かせた。
「 司令官室に呼び 更に事情を応答せしむも事情判明せず、犯行せること等全く云わず。
又 態度少しも変わらずチョコレートを衣嚢より出し、「 大変だったでせう。之でもお上がり下さい 」
と 半分に割りて呉れ、煙草に火をつけられ等し、他意無きように見受けたり 」 ・・東京地検所蔵の裁判史料
「 判りました、はい、直ちに処置します 」
門間司令官は師団司令部の橋本師団長の副官から かかってきた電話を切ると、中橋を怒鳴りつけた。
「 貴様ッ よくも騙したな  高橋蔵相を殺ったのは貴様だな 」
中橋は無言で門間を睨みつける。
いきなり腰にしたブローニング拳銃をドサッとテープルの上に投げつけた。
大型拳銃、その銃口からプーンと硝煙の臭いが鼻を突く。蔵相殺害の痕跡を雄弁に示していた。
「 少佐殿、お察しの通り。未明、我ら同志は昭和維新を断行すべく蹶起した。
我が中隊の任務は坂下門を固め、君側の奸臣どもを陛下から遮断することにある。
更に同志の帷幄上奏隊が参内することを警護する。
ついてはこれ以降、少佐殿の指揮権を小官にお譲り願おう 」
中橋の挙動には気迫殺気が感じられた。
門間がとっさに腰にした拳銃に手を掛ける。中橋が首を振った。
「 誤解なきよう、上官殿を傷つけることは、もとより小官の本意ではない 」
すると中橋は拳銃の弾倉から弾を抜き出し始めた。バラバラと机に散らばった実弾が五発。
同時に司令官室内の電話が一斉に鳴り始めていた。
門間の表情が歪み、言葉が訥弁になって行く。
「 陛下のお側をお守りすべき・・ご守衛隊が畏れ多くも・・・陛下に弓を引くとは、貴様・・」
「 陛下のお命を狙おうなど大逆の企ては毛頭ない。ただひたすら大御心を曇らせている奸側の重臣共を芟除せんじょ奉り、
殿下を奉じて一君万民の国家改造を行う、それが昭和維新だ 」
「 なにお・・小賢しい・・陛下の大権を・・私議し統帥権を干犯・・、逆賊め血迷ったか 」
「 逆賊かどうかは、大御心がご判断をなさることだ。貴殿のような軍閥の手先に用はない 」
門間が昂奮気味なのに比べ、中橋の言葉はあくまで冷静だ。
そのときだ。
赤マントが一瞬翻り、中橋は内ポケットに手を入れるや、忍ばせていた短刀を引き抜く。
すかさず木机の上にダーンと突き立てた。
白い刃が突き刺さり、振動で小刻みに揺れる。
「 再度云う、指揮権を小官に足かに お譲り願おう 」
司令官の表情がさらに大きく歪む。
「 ワーオー 」
言葉にならない奇声が門間の口からほとばしった。
ただならぬ気配を聞きつけて、守衛隊の将校、下士官たちが司令官室に駆けつける。
「 逆賊、中橋を監禁しろ。眼を離すな 」
七時二十分のことだ。
湯浅宮相が天皇に、「 後継内閣を置かず 」 と上奏する十分前、
真崎が公用車で陸相官邸に到着する三十分前のことだ。
蹶起から二時間二十分、とうとう危険なバクチに敗れたのだった。
警視庁望楼との信号交信が通じない中で、高橋蔵相襲撃に中橋中隊が携っていたことが露見する。
中橋はガックリと頭を垂れると、両側から抱えられて副司令官室に連行された。
残された門間司令官は取り乱していた。
近衛師団のお膝元、宮城で叛乱が発覚したのだ。
「 中橋の身柄をどうする・・坂下門の控兵小隊をどうする・・ともかく宮城を蹶起軍から防衛しなくてはならない・・
だが実弾が無い・・兵の数も足りない・・師団司令部に緊急報告しなくては・・
うかうかしていると、坂下門に蹶起軍上奏隊が大挙襲来する・・・」
門間司令官の上申を受け、橋本近衛師団長は宮城守衛隊の増強を直ちに指示した。

「 ちょっと出て来る 」
七時五十五分頃だ。中橋中尉は赤マントのまま立ち上がった。
宮城守衛隊司令部の副司令官室。監視役を仰せつかっていた大高政楽少尉は戸惑う。
「 困ります中尉殿、司令官が帰るまで待って下さい 」
「 司令官には俺が断る、心配ない 」
中橋は足早に部屋を出る。
大高は司令官室に飛び込むが誰もいない。
司令部を出て中橋の後を追うと、すでに二重橋 ( 正面鉄橋 ) の上で立ち止まり、
警視庁の方向に何か手で合図を送っていた。
しかし視界が利かない。諦めたのか歩きだし去って行く。
正門から出る際、緊張があった。
「 宮城正門より出門したるが如く  出門に際し、
守衛隊勤務中の某少尉 同門より出門するを拒否せむとするや
中橋中尉は隠し持ちたる拳銃を同少尉に擬して威嚇して出門し、
反乱軍の本体たる首相官邸に赴きたるものの如し 」
中橋は門間司令官との対決の際、机上に置いたブローニングの他に、
皇宮警察によれば、さらに拳銃を隠し持っていたというのだ。
いつの間にか雪が降りだしていた。
中橋は警視庁を経て参謀本部前まで来たところで、
八時四十分頃、偶然、栗原の朝日新聞襲撃の車列と遭遇、そのまま加わるのだった。

リンク

・ 朝日新聞社襲撃 
・ 朝日新聞社襲撃 『 国賊 朝日新聞を叩き壊すのだ 』 
・ 
朝日新聞社襲撃 ・緒方竹虎 
中橋中尉 「 ワレ皇居を占拠セリ 」 


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