あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

法務官 島田朋三郎 「 不起訴處分の命令相成然と思料す 」

2018年03月18日 10時59分03秒 | 十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 )


十一月二十日事件意見書

島田朋三郎
意見書
歩兵第二十六聯隊大隊副官  陸軍大學生  陸軍歩兵大尉 村中孝次 
野砲兵第一聯隊  陸軍一等主計 磯部淺一 
陸軍士官学校豫科生徒隊附  陸軍歩兵中尉 片岡太郎
近衛歩兵第一聯隊  陸軍士官學校本科第一中隊
士官候補生 佐藤勝郎
歩兵第七十九聯隊  陸軍士官學校本科第二中隊
士官候補生 武藤与一
近衛歩兵第四聯隊  陸軍士官學校本科第三中隊
士官候補生 佐々木貞雄
飛行第六聯隊  陸軍士官學校本科第三中隊
士官候補生 次木 一
工兵第九大隊  陸軍士官學校本科第四中隊
士官候補生 荒川嘉彰
第一  各被告人の國家改造に關する思想及運動
被告人村中孝次は士官學校本科在校中より國家社會に關する問題に關心を有し、
日本改造法案大綱を閲讀して大いに之に共鳴し、
同校内に於て同期生菅波三郎等と屢しばしば日本改造法案大綱を中心として國家改造問題に附論議し、
昭和六年九月 士官学校豫科區隊長在職中、
歩兵第三聯隊附と爲り上京したる菅波三郎と相會するに及び、
同人の國家改造對する識見に敬服し其の勧誘に依り所謂十月事件に參与し、
之を契機として爾來菅波三郎を中心とする國家改造運動に參加し、
同七年八月 菅波三郎の満州轉任の後を承け、
同志被告人 磯部淺一歩兵大尉、大蔵榮一、同 安藤輝三、
同佐藤龍雄、同中尉栗原安秀 等と屡會合し、
或は西田税を訪問して共に國體観、社會事情、政治的情勢等を論議し、
國家改造に關する理論方法等につき意見を交換し、
茲に現時の我國の情勢は國體の原理たる一君萬民 君民一體の理想に反すること甚だしく、
特權階級は 天皇と國民との間に介在する妖雲にして猥みだりに大權の發動を拘束掣討し奉り、
政黨は腐敗して大御心に副ひ奉らず、民意の上達を妨げ、
經濟機構は徒らに貧富の懸隔を助長し 天皇の御仁慈は萬民に光被せず、
思想は混亂し、國民精神は萎微し、國家の前途洵に憂ふべきものあり、
速に國家機構を改造し、政治上、經濟上 等 各般の部門に國體原理を顯現し、
軍備を充實し、國民精神の作興を計らざるべからずと爲し、之が爲 先づ軍部が國體原理に覺醒し、
國體の眞姿顯現を目標として、所謂維新的に擧軍一體の實を擧ぐると共に、
軍隊敎育を通じ 且 軍部を樞軸として全國民の覺醒を促し、
全國的に國家改造の機運を醸成し、軍部を中心主體とする擧國一致の改造内閣を成立せしめ、
因て以て國家改造の途に進ましめんことを企圖するに至り、
或は同志の會合を催し、或は地方在住の同志 歩兵大尉大岸頼好、同小川三郎、
同中尉江藤五郎 等と氣脈を通じ、或は同志獲得に力め、
特に昭和九年初頭以降 數回大蔵榮一方、
及 赤坂区青山四丁目梅窓院に於て同志將校及靑年將校等と會合し、
靑年將校に對する國家改造に關する思想の注入 竝 意識嚮上を計り、
同年五月末 軍人會館に於て數期聯合の大會を開催して専ら國家改造の實現を期し
之が機運の促進に力めたるもの。

被告人磯部淺一は豫て國家社會の問題に關心を有したるが、
昭和七年五月 五一五事件に依り大なる刺戟を受け、
同年六、七月頃より菅波三郎と相知り、同年八月 同人が満州に轉任する迄 數回同人に面會し、
更に 西田税、北一輝 等に接し 同人等の所説を聽くに及び深く之に共鳴し、
爾來熱烈なる國家改造論者として被告人村中孝次、大蔵大尉、安藤大尉、佐藤大尉、
栗原中尉等と共に該運動に從事し、同志聯絡の中心的地位に在りたるもの。

被告人片岡太郎は士官學校本科在校中より満蒙問題に附研究したる結果、
自主的強硬外交の必要を痛感し、其の爲 國力を一層鞏固ならしめざるべからずとの念を懐き居りたるが、
偶 昭和六年八月当時 福岡市 歩兵二十四聯隊附歩兵少尉竹中英雄より招かれ
福岡市に於ける陸海軍將校 ( 藤井、古賀、三上、菅波、樽木、後藤 等 ) の會合に出席して
國家改造に關する處論を聽き、爾來之に關心を有するに至り、
同九年三月 士官學校予科區隊長に轉ずるに及び、元同聯隊附なりし被告人磯部淺一を通じて
被告人村中孝次、大蔵大尉、安藤大尉、栗原中尉 等と相知り、
同人等を中心とする國家改造運動の同志と爲り、屡 同志の會合に出席したるもの。

被告人佐藤勝郎は國家改造問題に附 從來全く關心を有せず、
同人が本件に關与するに至りたるは後記の如く、
同僚候補生が國家改造を目的とする直接行動に參加せんとするを阻止せんが爲、
僞って同志たるが如く装ひたるもの。

被告人武藤与一は昭和八年士官學校豫科在校中、五一五事件公判に於ける各被告の言動に刺戟せられ、
爾來 國家改造問題に關心を有するに至り、現在の世相は建國の精神に反し、
政治、繼濟、外交、敎育 等 各部門共に宿弊山積し、國家の前途洵に憂ふべきものあり、
速に國家を改造して我國の眞姿を顯せざるべからずと爲し、
同校本科入校後 屡 同意見を有する被告人佐々木貞雄、同次木一、同荒川嘉彰
等と互に國家改造問題につき論議すると共に、
被告人村中孝次、同磯部淺一 等を訪問して同人等の國家改造に關する所論を聽き、
其の指導を受け同志と爲りたるもの。

被告人佐々木貞雄は昭和七年 士官學校豫科在校中、
五一五事件に刺戟せられ國家改造問題につき稍やや關心を有するに至るが、
同八年豫科を卒業し士官候補生として隊附勤務中、
同聯隊附なりし被告人磯部淺一より五一五事件公判を通じ、
國家改造に關する處説を聽き、爾來改造意識嚮上し、
本科入校後被告人次木一、同荒川嘉彰、同武藤与一 等と互に國家改造問題につき論議すると共に、
屡 被告人磯部淺一を訪問し、
更に同人を通じて被告人村中孝次と相知り 同人等の國家改造に關する處論を聽き、
其の指導を受け 同志と爲りたるもの。

被告人次木一は昭和八年士官候補生として隊附勤務中、
靑年將校の往くべき道 、と題する檄文を閲讀し 初めて國家問題に關心を有するに至り、
同年五一五事件公判に依り 現在の腐敗堕落せる國内の情勢は、
我國體の本義に悖り 速に革新を要するものと爲し、
本科入校後 被告人佐々木貞雄、同荒川嘉彰、同武藤与一 等と
互に國家改造問題につき論議すると共に、
屡 被告人磯部淺一、同村中孝次を訪問し 同人等の國家改造に關する處論を聽き
其の指導を受け 同志と爲りたるもの。

被告人荒川嘉彰は昭和七年士官學校豫科在校中 五一五事件に依り大なる刺戟を受け
同八年一月以降、當時本科在校中の候補生 ( 現少尉 ) 市川芳男、明石寛二より
國家改造に關する思想を注入せられ、
同人等に從ひ 西田税を訪問して社會情勢及國家改造に關する意見を聽き、
同年隊附勤務中 農漁村疲弊の狀況を知るに及び、國家改造の必要を痛感し、
我國の現狀は各方面共に全く行詰り 宿弊山積せるを以て、
速に國家を改造し、皇國本然の姿に還らしめざるべからずと爲し、
同年九月本科入校後被告人佐々木貞雄、同次木一、同武藤与一
等と國家改造問題につき論議すると共に、
被告人村中孝次、同磯部淺一 等を訪問して同人等の國家改造に關する處論を聽き
其の指導を受け 同志と爲りたるものなり。

而して被告人村中孝次、同磯部淺一は、
同人等の國家改造運動は國民的精神運動にして
非合法手段たる直接行動に依り國家改造の機運を促進し、
又は其の實現を企圖するものにあらずと陳述するも、
同被告人等より指導せられた其の國家改造意見に共鳴せる
被告人佐々木貞雄、、同次木一、同武藤与一は 何れも國家改造の爲直接行動を決行せんことを決意し、
被告人荒川嘉彰も亦全然直接行動を否定排斥するものにあらずと認めらるゝ點より観察すれば、
被告人村中孝次、同磯部淺一は右被告人たる候補生を指導するに方り、
國家改造の手段として全然直接行動を否定排斥したるものと斷じ難きのみならず、
被告人村中孝次は十一月三日、
被告人佐藤勝郎より直接行動の計畫時期及手段等につき質問を受けたるに對し、
「 僅かに一、二回 面會したる者に對し言明の限りにあらず 」
と 答へ、
同志大蔵榮一は十月二十八日、
被告人佐藤勝郎より國家改造の手段につき質問を受けたるに對し、
「 一、二回の面識あるに過ぎざる者に對し答弁の限りにあらず 」
と答へたるに止まり、
何れも國家改造の手段につき
毫も直接行動を否定排斥するものなるを弁明せざりし點より推測するも、
被告人村中孝次、同磯部淺一等は必ずしも直接行動を否定排斥するものにあらずして、
少なくとも場合に依りては直接行動を敢行することあるべきを豫想せるものと推定するを相當とす。
加之被告人磯部淺一、同志栗原安秀は被告人片岡太郎及び被告人たる候補生等に對し、
屡 直接行動を決行すべき旨を揚言したることあるを以て、
被告人村中孝次、同磯部淺一の直接行動決行の意思なしとの弁疏は輙く信を措き難く、
被告人片岡太郎も亦被告人村中孝次、同磯部淺一の同志にして、
同人等と同様全然直接行動を否定排斥するものと斷じ難し。
第二  本件事實の眞相
被告人片岡太郎は昭和九年十月二十三日、被告人磯部淺一の斡旋に依り、
四谷區坂町土陽会 ( 高知県出身將校の下宿 ) に於て
被告人武藤与一、同佐々木貞雄、同次木一、
同荒川嘉彰と會合し、被告人佐々木貞雄より靑年將校は果たして直接行動を決行するや、
決行するとせば其の時期は何時なりやと質問せられたるに對し、
東京部隊より歩一、歩三が出勤し、
佐藤大尉、安藤大尉、磯部主計、村中大尉、大蔵大尉等が之を指揮又は同行し、
千葉より戰車出動し栗原中尉之を指揮す。
襲撃の目標は栗原中尉の指揮する戰車は警視廳を襲撃し、
其の他の部隊は首相官邸、西園寺公望、牧野伸顕等所謂國家の重臣を殺害す。
自分は士官學校豫科の區隊生徒を引率して出動する豫定なるを以て、
若し候補生も共に決行せんとするならば自分と共に決行せよ。
襲撃目標は鈴木 ( 喜三郎 ) 武器は銃及銃剣にして彈薬は夫々各隊の彈薬庫より遂行すと答へたり。
之より先 被告人佐藤勝郎は昭和八年九月頃、
當時本科在校中の候補生飯尾裕幸及其の友人安田某より現時の社會情勢を説明し、
國家改造の必要あることを説示せられたことあり、
又同九年十月初旬 同中隊村山他だしり同人が當時所澤飛行學校に在校中の歩兵少尉黒田武文より、
靑年將校は軍隊を出動せしめ直接行動に依り國家改造を決行せんとするものの如くなるを以て、
士官候補生も覺悟をせよと告げられたる由を聞き、
所謂靑年將校が直接行動を計畫し士官候補生を誘惑煽動するものにあらずやと思惟し、
豫て被告人武藤与一は相當右傾せるものなることを同人の友人 小川光より聞知し居たるに依り、
被告人武藤与一を通じて此間の事情を偵知せんと欲し、
同年十月二十三日 所要の爲同人に面会したる際 之を校舎屋上に誘ひ、
自分も亦予て國家改造に關心を有し
靑年將校が直接行動に依り國家改造の實行を企圖せることを知悉せるものゝ如く装ひ、
同人により靑年將校が右實行を企圖せること、及士官候補生にも其の同志あることを偵知し、
士官候補生が靑年將校に誘惑煽動せられて
第二の五一五事件を惹起するが如き事態發生せんことを大に憂慮し、
被告人武藤与一等士官候補生をして靑年將校より絶縁せしめんと欲し、
翌二十四日朝親密なる同僚向井正武に右事情を告げ、
靑年將校より候補生を絶縁せしむるべき方法を協議したるに、
正武は辞退重大にして到底吾人の力の及ぶ処にあらずとし、
適切なる對策を示さざりしに依り種々考慮の結果、
所属中隊長に計り教を乞はんと決意し同日所属中隊長歩兵大尉辻正信に對し、
中隊長たる資格を離れ先輩として敎を乞ふ旨を前提し、
士官候補生中外部の靑年將校と聯絡して
軍隊及戰車を出動せしめて五一五事件の轍を踏まんとする動嚮り、
自分は友人たる候補生を此の渦中より救出せんとするも、
思慮經驗に乏しく適切なる方法を知らざるを以て指導を受け度しと述べたるに、
辻大尉は事態重大にしてとうてい尋常一般の方法を以てしては其の友を救ふこと能はずと述べ、
平素の訓話を引例して万一の場合は共に斃るゝの覺悟を以て身命を賭し、
自ら其の渦中に投ずべき旨指示したるに依り、
僞って被告人武藤与一等と同志と僞り暫く同人等と行動を共にし、
其の狀況を確め以て直接行動參加を阻止せんことを決意し、
同日夕再び被告人武藤与一を屋上に誘ひ、
自分も國家改造に關心を有する者にして自分と同一の意思を有する同志約十名あり、
國家改造の爲一命を抛なげう信念あるも 適當の指導者なきを以て紹介せられ度、
尚招來同志として交際せられ度 旨 申入れたるに、
被告人武藤与一は意外の同志を得たるを喜び、
自分等士官候補生は外部の靑年將校と聯絡して直接行動に依る國家改造を企圖しつゝあり、
其の實行計畫は未だ判然せざるも、在京の軍隊及千葉の戰車出動するものの如し、
校内に於ける同志は佐々木、次木、荒川各候補生の外 片岡中尉にして、
外部の靑年將校同志は
村中大尉、大蔵大尉、磯部主計、菅波大尉、安藤大尉、佐藤大尉、栗原中尉等にして、
尚是等の將校は西田税、北一輝と聯絡あるものと思はるる旨
及 次の日曜日に西田税及び村中大尉方に同行すべき旨を告げたり。
同月二十八日 被告人佐藤勝郎は被告人武藤与一に伴はれ被告人磯部淺一を訪問し、
國家改造の實行につき具體案ありやと質したるに、
同人はパチンコ ( 拳銃の意 ) にて始末を告ぐべきものなりと答へ、
猶 同運動の實行方著々其の緒に就きつつあるが如き口吻を洩らし、
又 被告人荒川嘉彰 及 候補生岡沢某と共に後れて道家に來合せたる被告人佐々木貞雄は、
軍隊を動かして直接行動を決行したる際
之が鎭壓の爲 出動せる軍旗を捧持せる軍隊に遭遇したる場合は如何にすべきや、
軍隊を使用することは不可ならずやと問ひたるに、
被告人磯部淺一は之に對し 明答を与ふること能はず、
更に被告人佐々木貞雄は軍政府に關する理論判明せざるを以て、
北一輝を訪問して其の説明を聽かんとする旨を述べたるに、
被告人磯部淺一は之に同意し一同携えて北一輝を訪問したるも
同人不在なりしを以て一同西田税方に赴きたるに、
被告人佐藤勝郎は同家に居合はせたる大蔵大尉に對し、
國家改造は如何なる手段に依るやと質したるも同大尉は
一、二回の面識あるに過ぎざる者に對し答弁の限りにあらずと述べたり。
同月三十一日頃
被告人佐藤勝郎は狀況偵察の目的を以て週番士官服務中の片岡中尉を訪問し、
故らに頗る昂奮せる態度を以て、
自分は佐々木、武藤等と同様の意見を有するものにして
貴官の國家改造に關する思想につきては豫て同人等より聞及びたる旨
及 過日 西田税 及 磯部主計を訪問したるに、
同人等は自分を信用せず甚だ侮辱せられたる感あるも、
國家改造の爲自分は只一人にても蹶起決行せんとする覺悟なりと告げ、
被告人片岡太郎をして其の同志なりと誤信せしめたる上、
實行計畫の内容を質したるに同人は、自分は所謂陣笠にて詳細の事情を承知せざるも、
村中大尉の指示に依れば自分は區隊の生徒 及 士官候補生を率い週番指令を襲ひ、
彈薬庫の鍵を奪ひ彈薬を取出し、侍從長鈴木貫太郎を襲撃する豫定にて、
決行の時期は自分の考えにては多分臨時議會
若は今年中にて遅くも明年軍縮會議の際ならんと述べたり。
被告人佐藤勝郎は同月二十六日頃、
本科第四中隊士官候補生林八郎 及 同第三中隊士官候補生小林友一に對し、
候補生中右翼に奔る者あり、自分は之を阻止せんが爲、心ならずも同一思想を有するものゝ如く装ひ
彼等に接近し居れるが、同期生を阻止することは自分に於て之を引受くるも、
四十七期生は上級者たる關係上密接なる接触を保つこと困難なして自分の力及ばざる虞おそれあるを以て、
兄等の力を借り度しと依頼し、
翌二日頃被告人佐々木貞雄、同武藤与一に對し辻大尉を訪問し其の意見を聽くべきことを勧説したり。
仍て小林、林両候補生は同月三日 被告人佐々木貞雄、同次木一、同荒川嘉彰を伴ひ、
被告人武藤与一は單獨にて同月四日 及 五日に何れも當時週番服務中の辻大尉を訪問したるに
同大尉は、國家改造の必要は之を認むるも直接行動に依るは不可なること
及 靑年將校は不純にして信用し難きこと等を縷々るる説明したる爲、
各被告人候補生は直接行動決行に對する信念 及 靑年將校に對する信頼に多大の動揺を生ずるに至れり。
十一月三日、被告人佐藤勝郎は被告人武藤与一と共に被告人村中孝次を訪問し
直接行動決行の計畫時期、手段等につき質問したるに、
同人は僅に一、二回面會してる者に對し言明の限りにあらずと答へ、
日本改造法案大綱の一部及農村の狀況等を説明したり。
同月七日、被告人佐藤勝郎は
被告人佐々木貞雄、同次木一、同荒川嘉彰、同武藤与一と校内雄健神社に會合し
靑年將校は蹶起の意思なきものにして頼むに足らざる旨を述べ、
今後靑年將校と絶縁すべきや否やにつき協議した結果、
次の日曜日に被告人武藤与一、同佐藤勝郎は
被告人村中孝次を訪問し靑年將校の眞意を確かめることとせり。
同月十一日、被告人佐藤勝郎、同武藤与一は被告人村中孝次を其の居宅に訪問したり。
當時被告人佐藤勝郎は候補生等の直接行動決行に對する信念動揺せるを幸いとし、
被告人村中孝次に對し
實行計畫の有無を質するも、同人が之に對し明答を与へざるべきを豫期し、
之を利用して靑年將校恃むに足らずとして
一擧候補生をして靑年將校と絶縁せしめんことを企圖し居りたるに依り、
直に村中大尉に對し単刀直入的に實行計畫の内容、時期に附質問し、
同大尉が言を左右にし明答を与へざりしに依り、
被告人佐藤勝郎は實行計畫を示さざるは結局 計畫なきに依るものならん、
然らば自分等候補生のみにて機關銃三挺位を使用し、臨時議會を襲撃すべしと述べ、
或は西郷南洲の部下に對する情誼、五一五事件に於ける青年將校の不信等につき論難し、
今後青年將校と絶縁する旨を告げ、被告人武藤与一を促し退去せんとしたるに、
同人は從來に於ける被告人村中孝次との情誼上其の儘立去るに忍びず、
一言申述べ度しとて、
眞に實行計畫あるならば示され度しと述べたるに、
被告人村中孝次は悲壮なる顔色を爲し、
將に立去らんとする姿勢に在りたる兩名に對し、
急に 「 待て 」 と之を止め、
已むを得ざるに依り語らんとて兩名を隣室に伴ひ、
徐々斷片的に實行計畫を告げたり、
其の内容を總括すれば左の如し。
一、目的方法
軍隊及戰車を出動せしめ、武器を使用し、目標人物を殺害し、目標場所を襲撃して帝都を擾亂に陥れ、
戒嚴令を布き、軍政府を樹立す。
軍政府の首班は林、荒木、眞崎、三大將を以て之に充つ。
時期は早ければ臨時議會中、又は直後とし、遅ければ明年一月迄の間とす。
但し 場合に依りては一年後、或は二年後となるやも計り難し。
二、出動部隊兵力、指揮者、目標
1、歩一より村田中尉の指揮する一箇中隊出動し、佐藤大尉之に同行し目標は齋藤實。
2、歩三より安藤大尉の指揮する二、三箇中隊出動し、磯部主計、坂井中尉、新井中尉、明石寛二少尉 之に同行し、
目標は牧野伸顕、岩崎小弥太。
3、近歩二より山形少尉の指揮する二、三十名の兵出動し、村中大尉 之に同行し、目標は一木喜徳郎。
4、近歩三より飯淵中尉の指揮する一箇中隊出動し、大蔵大尉 之に同行し、目標は首相官邸岡田啓介。
5、士官學校豫科一箇區隊 及 士官候補生出動し、片岡中尉 之を指揮し、目標は鈴木貫太郎、湯淺倉平。
6、豊橋、國府台の有志將校十数名出動し、目標は西園寺公望。
7、習志野より戰車十台出動し、栗原中尉 之を指揮し、目標は首相官邸 及 警視廳
 ( 戰車十台中 三台は首相官邸に、七台は警視廳に充用す )。
以上は第一次行動にして、各部隊は成功後、第二次行動として 幣原喜重郎、若槻礼次郎、財部彪、
清浦奎吾、伊沢多喜男を殺害し、首相官邸に集合し待機の姿勢を執り 其の後の情勢變化に應ず。
尚 被告人村中孝次は候補生の使用すべき武器は、銃劍にして彈薬は學校の彈薬庫を占領して之を充用し、
其の爲必要の場合には週番諸官を斬るべし、又今後の聯絡は毎日曜日、一名宛自分に聯絡せよと告げたり。
リンク→ 十一月二十日事件をデッチあげたは誰か 
同月十八日、被告人佐藤勝郎は
被告人佐々木貞雄、同次木一、同荒川嘉彰と共に被告人村中孝次を訪問したるに、
同人は、被告人候補生に對し概ね前記同様の實行計畫、
及 士官候補生は片岡中尉を中心として精神的に團結し、同志獲得に力むべき旨を告げ、
被告人佐藤勝郎が林、眞崎、荒木 三大將は不和なるを以て竝立し難からんと質したるに、
同大尉は然らば鈴木貞一大佐、石原莞爾大佐を推戴しても可なりと答へ、
週番指令を斬り、彈薬庫を占領せんとするも、
同志にあらざる他の候補生に妨げらるる虞あるを以て
彈薬は他より入手するを可とせずやとの意見を述べたるに對し之を肯定し、
拳銃と軍刀を入手し度き希望を述べたるに對し、
拳銃は入手困難にして配給し難く、
軍刀は早晩入用の軍装品なるを以て各人毎に準備せば可なりと答へ、
更に被告人佐藤勝郎が決行の時刻を質問したるに對し、當然払暁戰なるを以て、
候補生等は司令受領後直に外出し得る如く學校脱出の方法を豫め考究し置くを要すと答へ、
尚 秘密下宿を設くべしと告げたり。
被告人磯部淺一は當日被告人村中孝次方に來合せ、
中途より被告人村中孝次及被告人候補生等と同席し、
被告人荒川嘉彰より上部に聯絡ありやとの質問に對し、
上部との聯絡に手段を盡しある旨を答へたり。
第三  本件犯罪の成否に就て
被告人片岡太郎は昭和九年十月二十三日、
土陽會に於て被告人佐々木貞雄、同次木一、同荒川嘉彰、同武藤与一に對し、
更に同月三十一日頃、士官學校内に於て
被告人佐藤勝郎に對し前記實行計畫の一部を告知したること、
及 被告人村中孝次の自宅に於て同年十一月十一日、被告人佐藤勝郎、同武藤与一に對し、
再び同月十八日 被告人佐々木貞雄、、同次木一、同荒川嘉彰、同佐藤勝郎に對し
前記の實行計畫を告知したることは明確なる事實にして、
被告人佐藤勝郎を除く各被告人は何れも直接行動を必ずしも否認するものにあらざるを以て、
被告人等が本計畫の如く兵力を動かして直接行動を決行せんことを企圖したる疑なきにあらず、
特に被告人片岡太郎の語りたる計畫は、
被告人村中孝次の語りたる計畫の當該部分と著しく符號する處あるを以て
一層其の嫌疑濃厚なるものあるが如しと雖、
各被告人に本件計覺を實行する意思ありと認むべき的確なる證拠なく、
却て被告人村中孝次は被告人たる各候補生に對し本計畫を告知したるは、
當時の狀況上何等かの計畫あることを示さざるに於ては、
被告人たる候補生等は被告人村中孝次一派の將校より離反し、
他の不法なる團體又は勢力に誘惑せらるること、
恰も五一五事件に於て候補生が陸軍青年將校恃むに足らずとし、
海軍將校と行動を共にしたるが如き先轍を踏む虞ありたるに依り、
一時被告人たる候補生等を慰撫して其の離反を防がんが爲、
全く虚構の計畫を告知したるものにして、
固より實行の意思ありたるにあらずと弁疏し、
右の各弁疏は當時の狀況に照し必ずしも排斥し難きものあり。
而して各被告人は國家改造の目的を以て直接行動を決行せんが爲、
本計畫以外更に別箇の計畫を爲したりとの事實も亦之を認むべき證拠なきものとす。
之を要するに被告人等が本件反亂陰謀を爲したりとの事實は之を認むべき證拠十分ならざるものとす。
よりて本件は陸軍軍法會議法第三百三十一條に依り
不起訴處分の命令相成可然と思料す。
昭和十年三月二十七日
第一師團軍法會議
檢察官  陸軍法務官  島田朋三郎

現代史資料 23
国家主義運動 3