あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

栗原中尉と齋藤瀏少将 「 愈々 正面衝突になりました 」

2018年03月22日 16時04分40秒 | 十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 )

行政処分を受けた村中、磯部の両名は連名で
粛軍に関する意見書
なるものを、十年七月十一日付で印刷、関係方面に配布した。
事件を陰謀だと糾弾した 「 意見書 」 の矛先が
永田軍務局長に向けられていることは確かなものだったが、
陸軍当局はこれを怪文書扱いとした。

百十頁に及ぶ冊子を持って 栗原と坂井が上池上の斎藤のところにやって来た。
七月十三日、お盆の入りの夕刻だった。
門の前で史が盆提灯にむかえ火を入れているのに出会った。
「 済南事件で亡くなった兵隊さんたちが還ってくるのよ 」
そう言ってマッチを擦る浴衣姿に目をとめてから、栗原が声をかけた。
「 やあ、フミ公、やっぱり東京式のお盆はいいなあ。おじさん、いるかい 」
「 はい、中尉殿。齋藤閣下はおられます 」
と 敬礼しておどける史に笑顔を投げた栗原は、玄関に向ながらひとこと史に言った。
「 あとで見せたいものがある 」

粛軍に関する意見書 をざっと見終わると
齋藤は栗原にこう尋ねた。
「 これなら私憤から書いたことにはならず、よくその精神を分ってもらえると思う。
ただ、村中と磯部の署名になっているが あとの隊附き将校との関係はどうか 」
「 ことのいきがかり上、二人の名前にしてありますが、 あれは我々青年将校全部の意見です。
 全員が結束して二人を支持しており、歩調をひとつにしています。
おじさん、いよいよ正面衝突になりました。もう直進のほかありません 」

この日、齋藤はいつものように 「 自重せよ 」 「 軽挙を慎め 」 とは 言わなかった。
浴衣姿の史が入ってきて、栗原のコップに麦茶を注いだ。
男の世界のことは口出しはしないわ、というのが彼女の口癖だった。
またこれまで、栗原たちのほうから、史に政治や軍閥のことを語ることも決してなかった。
開け放たれた窓から、真夏にもかかわらず夕方の涼風が流れ込んでくる。
栗原安秀は八年八月に戦車第二聯隊附に出されていたが、
この年の三月に再び 歩兵第一聯隊機関銃隊に復帰した。
そして (十年) 四月に、安雙玉枝と祝言を挙げた。
坂井はこのときまだ独身である。

栗原は突然のように小箱をポケットから取り出すと、それを史の掌に載せた。
渡されたものを史が何気なく受け取ると、栗原がこう言った。
「 ちょっと重いぞー 」
と 注意しました。
名刺の箱くらいの、それは、たしかに持ち重りがし、
蓋を開けると、びっしりとピストルの実弾が入っていたのです。
「・・・・・・」
何も見なかったようにごく普通の顔でそれを彼にかえし、彼もごく普通にそれを収めました 」
・・『遠景近景』

齋藤は実包を取り出した栗原を前に、
黙ったまま窓越しに夏の夕空を見やっていた。
もはや自分がとめ立てをする段階ではないことを悟っていたのだ。
( いよいよ 「 知行一致 」 のときが来たか )
口には出さない言葉が齋藤の目に走ったのを栗原は認めた。
工藤美代子 著  昭和維新の朝  から