あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

栗原中尉 「 敎育方針は革命の二字につきる 」

2017年10月24日 15時11分02秒 | 栗原安秀


栗原安秀

自分は資本主義の打倒、政治機構の變革、
すなわち昭和維新の斷行をもって、
幹部候補生の指導方針とする。
自分の教育方針は革命の二字につきる

「 思想的にもっとも尖鋭な教育を施す 」
天皇陛下ヲ中心トスル國家社會主義ノ建設
錦旗革命ノ必要
議會ノ不淨
暗殺ハ最高ノ道徳デアル
プロレタリア意識

昭和八年九月頃、
栗原は幹部候補生數名と共に、クーデター決起を準備していた、
所謂埼玉挺身隊事件
「 われわれはクーデターを斷行し、ただちに憲法を停止する。
同志西田税を通じ宮中の同志に聯絡、
陛下に戒嚴令の必要を上奏し、
その宣布を求める。
戒嚴令と同時に、國内の混亂を鎮壓し、
國家改造の行動を開始するため、
荒木陸相を首班とする軍政府を樹立し、軍の獨裁政治を布く。
この軍政府は革命に附随する混亂を鎮めるための過渡的政治機構である。
荒木の軍政府は、われわれが革命達成のためのロボットとして用いるものだから、
ごく短期間にすぎない。
荒木は妥協的だから、われわれの革命目的を遂行させうるかどうかは疑わしい。
そこで、人心が収まった機會に、
第二次革命として荒木を倒し、
同志と革命委員會を組織し、
國内の政治經濟機構の根本的改造に着手する。
西田や自分らもこの委員会につらなる。
國力充實の後に、
革命政府は世界革命の第一段階として、ソヴィエトロシアに宣戰を布告。
皇道宣布によって世界統一を企てるものだ 」