あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

豫審について

2017年10月08日 15時50分50秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略3 磯部淺一の闘争

豫審について

入所後数日を経て直ちに豫審がはじまつた。
豫審官は決して正しい調へをしようとしなかつた。
自分の考へてゐることに 余を引き入れて豫審調書を作成しようとした態度がありありと見えた。
それで余はコレデハタマラヌと考へたので、
「 一體吾々は義軍であるか否か
即ち吾人の行爲は認められたか否かと云ふことを調査せずに
徒らに行動事實をしらべて何になるか。
吾人は反軍ではない反乱罪にとはるゝ道理はないのに、
反乱罪の調査ばかりすると云ふのは以ての外だ 」
との意をのべたら豫審官は
「 君等の行爲は軍中央部に認められる以前に於て反乱だ 」
と 極く簡短に答へて シキリに行動事實だけを調べようとするのであつた。

[ 註 君等の行動ハ軍中央部ニ認メラルヽ前ニ於テ既ニ叛乱ダト云ケレドモ
ソレ程明瞭ナル反軍ニナゼアノ如き大臣告示ヲ出シタカ
又戒嚴軍ニ入レ警備ヲ命ジタカト云フコトハ公判ニ於テ陳述セリ・・・欄外記入

又 余は行動事實なんか大した問題ではない、
それよりも思想信念原因動キ社會狀勢をよくよく調へる必要がある、
と 云ふことも云ったが豫審官はすべて聞き流してしまつた。
大急ぎで行動事實だけを調べた。
余は思った、軍部にも人がある 必ず上々に処置するだらふ、
豫審の調べがズサンなのは或は不起訴にするのであるかも知れぬと考へた。
それで豫審官に對してはすこぶる好感を以て對した。
此の豫審官は必ず吾人の精神をわかつてくれると信じた。
一度信じてみると一から十迄疑ふ可き所はなくなつた、益々豫審官が立派に見えた。
流石に國法を守る人には正義の士がいると云ふ強い信頼さへ出て來た。
その爲に云ひたい事も云はずに豫審を終わってしまつた。
だから余の豫審調書はズサン極まるものであつた。

四月になつてから安ド、中島、トキワと共に運動入浴を許される様になつた。
安ドは馬鹿に楽観して、
四月二十九日の天長節には大詔渙發と共に大赦があつて必ず出所出來るとさへ云ってゐる。
余はそれ程には思はなかつたが、マア近いうちに出られるだらふと考へた。
これは後にわかつた事だが、
二月廿八日 安ドは維新大詔の草案を村上軍事課長から見せられた事實があつた。
リンク→維新大詔 「 もうここまで来ているのだから 」 
その爲でもあつたらふ安ドは 天長節に出られる、出たら幸楽で祝賀會をやると云って朗らかにしている。
四月の二十日前後に下士官が少し出所したらしかつたのを知って
益々私も天長節には出られると考へる様になつた。

四月の廿四、五日頃公訴提起の通知があつてビツクリした。
不起訴になるだらふと云ふ豫測がはずれ(た) ばかりでなく、
あのズサンな豫審の調べで公判を開くと云ふのだからビツクリしたのだ。
藤井と云ふ法ム官 ( 裁判官 ) からよばれて豫審で云ひたりない所を云へと云はれたが、
題目だけを云っただけで もうそれでイイと云って法ム官の方できこうとしなかつた。
余は藤井にむかつて
「 一體あんなズサンな調べて公判をひらくとは不とどきだ
しかも公判は非公開、弁ゴ人は附せず 何と云ふ暴擧だ 」
と 云ったら藤井曰く
「 豫審よりも公判が主だから公判で何も彼も云へばいゝ
裁判官たる法務官は檢察官とはちがつて全然公平な立場で裁くものだ 」
と 云ふて 余をいさゝか安心させた。
何も知らぬ余は公判でウンと戰へると考へた。
そして私かに全勝を期してユカイでたまらなかつた。
知らぬが佛だ、公判に於てアレ程の言論封サをされることも知らずによろこんでゐるのだから。

・・・獄中手記 (2) 「 軍は自ら墓穴を掘れり 」