あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

求刑と判決

2017年10月10日 16時13分54秒 | 暗黑裁判・幕僚の謀略3 磯部淺一の闘爭

求刑について
山本又、今泉を除き他は全部死刑
山本十五年、今泉七年
一同無言、
同志に話しかけられると、
何に 死はもとより平気だ 
と云って 鞏ひて笑はんとするが その顔はゆがんでゐる。
こんな表情を余は生來始めて見た。
余も亦歪める笑をもらした、泣きたい様な怒りたい様な笑ひだ。
自分で自分の歪んだ表情、
顔面の筋肉が不自然に動くのがわかつた、イヤナ氣持ダ
無念ダ
シャクニサワル 
が復讐のしようがない。

論告は特に出タラ目ダ
民主革命を鞏行せんとしとあるに至っては一同慄然とした。
吾人の行動を民主革命と稱するのだ。
國體を理解し得ない維新を解し得ぬ輩がよつて、たかつて吾人に泥をなすりつけるのだ。
余は思った、
よろしい 貴様等がそれ程低劣な輩ならば余は民主革命でも何でもいゝ
民主革命と云ふ名稱におそれはしない、
たゞうらむらくは國法を守る法域の士が民主も君主も維新も革命もわからず、
國體も歴史も天皇も 皇室も 國民も 國奸もわからぬ程の者であるのに、
憶面もなく陛下の法庭に立ちて吾々を裁くといふことだ。
獣類が人間を裁くのだと云へば最も適切である。
吾人の如き忠漢、義士、が思想も信仰もない唯暴力だけを有する野獣の群にさばかれるのだ。
うらみ多き事ではないか、
進化せざる時代、社會に先覺者が その犠牲となるのだ。
惜しむ可しと云はずにはおれまい。このヒドイ求刑を受け(た)のに余はまだ相當の安心をもつてゐた。
安心と云ふのは求刑を極度にヒドクして
判決に於て寛大なるを示し軍部は吾人及維新國民に恩を賣らんとするのだらふ、
と云ふ観察だ。
この観察は日時がたつ程正しいと思へる様になつた、
他の同志はも早死を観念してゐるのに余は獨り楽観して栗あたりから 磯兄は永生きをする、
殺されるのがきまつてゐるのにそんな楽観出來る様な人はたしかに永生きをする等と云ひて冷やかされた。
栗から 磯部さんあんたは不思議な人だ。
あんたに会ふと何だか死なぬ様な氣がする等と云はれたこともある。
余は七月下旬には出所出來る、出所したら一杯飲まう等云ひて栗、中島、をよろこばしたものだ。
軍部や元老重臣が吾々を殺さうとした所で日本には陛下がおられる。
陛下は神様だ、
決して正義の士をムザムザ殺される様な事はない。
又 日本は神國だ 神様が余等を守って下さる
と云ふ余の平素の信念がムクムク起って來て 決して死刑される氣がしなくなつたのだ。


判決(七月五日)
死刑十七名、
無期五名、
山本十年 今泉四年
斷然タル暴擧判決だ
余は蹶起同志及全國同志に對してスマヌと云ふ氣が強く差し込んで來て食事がとれなくなつた。
特に安ドに對しては誠にすまぬ。
余の一言によつて安は決心しあれだけの大部隊を出したのだ。
安は余に云へり
「磯部 貴様の一言によつて聯隊を全部出したのだ 下士官、兵を可愛そうだと思ってくれ」 と
余はこの言が耳朶にのこりてはなれない。
西田氏北先生にもすまぬ
他の同志すべてにすまぬ
余が余の観察のみを以てハヤリすぎた爲めに
多くの同志をムザムザと殺さねはならなくなつたのは
重々余の罪だと考へると 夜昼苦痛で居たゝまらなかつた。
余は只管に祈りを捧げた。
然し何の効顯もなく十二日朝 同志は虐殺、されたのだ。


附記
1、求刑の前に證コ證人調べがあつた。
  各證人 特に川島、山下、古莊、村上各官等
事件當時の態度を一變して 俄然吾々を反徒賊軍視シタ證言をしてゐる。

特に川島の如きは大臣告示を自ら出しておいきながら 
あの告示は説得の案なりと稱して無意義のものにしてしまつてゐる。

村上の維新大詔案もウヤムヤにて そんなものではないとの 證言。
山下はヌラリと逃げて知らぬ顔の半兵衛をきめこんでゐる。
眞崎も相當ニズルク逃げをはつてゐる、
眞崎は吾々に対しハヂの上ヌリをスルなとさへ云ってゐる。

軍部上級將校のヒ怯なるは憤激にあまりあつた。
又 
戒嚴司令部の機密作戰日誌には 謀略の爲戒嚴軍隊に編入した旨を記してゐる、
まるでウソばかりの證言だ。 
・・・リンク → 『 二・二六事件機密作戦日誌 』
コレデハ吾々もたすかりツコないと全同志は考へた。
2、余は公判の陳述おわりたる六月下旬頃
  荒木、眞、川島、阿部、古莊、香椎、戒嚴参謀長、山下、村上、鈴木、橋本、馬奈木、堀第一D
小藤、西村等十五を反亂幇助罪にて告發した。
コレ等十五名は余等が死刑になれば等シク刑せらる可き程の有力なる幇助をしてゐる、
余が告發したる理由ハ軍閥を倒したき爲メデアツタ。
コノ十五名を刑スルコトになれは軍内はカナエの沸く如くなる、
コレニ依ツテ軍閥は互ひに喧嘩をはじめ自ら倒れるに到る。
今の世に軍閥を倒さずに維新と云ふことはあり得ない、
余は既成軍部は軍閥以外の何物でもないと信じてゐる、荒木、眞崎も南も林も軍閥だ、
而して中央部の幕僚は軍閥のタマゴだ、
軍隊の將校は軍閥の出店につとめる店員だ。
決して陛下の軍人ではないと確信してゐる故に、この機會に軍閥を完全に倒したかつたのだ。
三月事件は村兄に相談した上村兄より告發する。
その他十月、及昭和八年十月事件等をバク露して軍閥の互戰交爭を策した。
從って眞崎の口添へで森氏より受けたる一月二十八日の五百圓事件も自らバクロした。
コレをバクロすれば森氏にメイワクのかゝる事をしつてゐた。
森氏には余は個人的に世話になつてゐるので情に於てシノビナかつたけれど
革命に涙は禁物と云ふ眞理はすでに二月二十八日午后
陸相官邸で實感したので涙をフルツテ眞崎、森の關係をバクロした。
コノ爲めに森氏 眞崎は共に入所し余は兩人に對し對決せねばならない羽目になつた。
眞崎とは七月十日に對決した。
眞崎は余に國士になれと云ひて暗に金銭關係等のバクロを封ぜんとする様子であつた。
余は國士になるを欲しない、如何に極惡非道と思はれてもいゝから主義を貫徹したいのだ。
だから眞崎の言は馬鹿らしくきこえた。
余は眞崎に云った、
大臣告示も戒嚴軍隊に入りたる事もすべてをウヤムヤにしたのは誰だ、
閣下はその間の事情を知ってゐる筈だから
純眞なる青年將校の爲に告示發表当時 戒嚴編入當時の眞相を明かにして下さい。
これによつて同志は救はれるのです。
閣下は逃げを張ってはいけない、
青年將校は閣下を唯一のたよりにしてゐるのだ
故に軍内部の事情を青年將校の爲めにバクロして下さいと願って簡短に引きあげさせられた。
豫審官? たる藤井は余の論鋒をおそれてオロオロしてゐた、
余等を死刑にしたのは藤井等だからおそるゝのもムリはない。

3、檢察官(澤田氏、畑氏)の言動より察するに、
  余の告發したる十五名は遂次に入所せざるべからざるに到る模様なり
又 三月事件もシンリ中らしい、
參謀本部では命令には謀略はないと云ふ意見が出て來て これが爲め法務部はコマツテイルラシイ、
然り 命令には謀略なしと云ふが眞理である
コレハ面白イ事になつて來たと秘かによろこんだ
西、北氏は判決文中から民主革命を鞏行云云の文句がなくなつたから
或は助かるかも知れなぬが幕僚は西、北の首をねらつてゐるらしいとの事、
深痛々々

・・・獄中手記 (2) 「 軍は自ら墓穴を掘れり 」