奉勅命令について
( 事件を解くには第一番に奉勅命令は如何なるものであつたかを明かにせねばならぬ )
十一年三月一日
宮内省の發令で大命に抗したりとの理由により同志將校は免官になつた。
吾人は大命に抗したりや、吾人は斷じて大命に抗していない。
大體、命令に抗するとは命令が下達されることを前提とする。
下達されない命令に抗する筈はない。
奉勅命令は絶對に下達されなかつた、従って吾人は大命に抗していない。
奉勅命令が下達されそうだと云ふことは二月廿八日になつて明かになつた。
それで二十八日午後陸相官邸に集まった。
村、香、栗等諸君は
もう一度統帥系統を通して 陛下の大御心を御たづね申上げよう、
どうも奉勅命令は天皇機關説命令らしい、下つているのかどうかすこぶるあやしい、
と云ふことを議したのだ。
余は二十七日夜半農相官邸にとまり、
場合によつては 九段坂の偕行社 軍人会館をおそつて、
不純幕僚を焼き殺してやらふと考へてゐたので、相當に反對派の策動に注意していたら、
清浦の參内を一木 湯淺がそ止した事、
林、寺内、植の三將軍が香椎を二十七日夜半訪ね、
その結果 余等を彈壓する事になつた旨を 知ったので
怒り心頭に發して戒嚴司令官と一騎打のつもりで司令部へ 二十八日朝行った。
所がどうしても會見させない。
午前中待ったが會わせない。
石原、満井に會ひ
両氏より兵を引いてくれと交々たのまれ、両氏共声涙共に發して余を説いた。
特に石氏は
戒嚴司令官は奉勅命令を實施せぬわけにはゆかぬと云ふ斷乎たる決心だから兵を引いてくれ、
男と男の腹ではないかと云って 涙して余の手を握ってたのまれた。
余は
「 それは何とも云へぬ 同志の軍は余が指キ官にはあらず、
然し余は余に出來るだけの努力はする、唯 余個人は斷じて引かぬ 一人になりても賊をたほす 」
と 云ひて辭し
陸相官邸に來りて見れば
前記三氏 ( 栗、村、香 ) 等は 鈴木、山下、にとかれている。
余は此処にて 斷じて引いてはいけないことを提唱した。
それで前記の 栗君の も一度大御心を御伺ひしたいといふ意見が出たのだ。
若し陛下が死せよと云はれるなら自決しようと云ふ意見であつた。
彼レ是れしている間に堀第一D長が來て勅命は下る狀況にある、兵を引いてくれと切願した。
爲めに大體兵を引かふ 吾人は自決しようと云ふことに定つた。
余は自決なんぞ馬鹿な事があるかと云ひて反對し、
唯陛下の大御心を伺ふと云ふことはこの場の方法として可なりと云ふ意見を持した。
自決ときいた清原があわてゝ安ドの所へ相談に行ったら安は非常にいかり
引かない 戰ふ、今にも敵は攻撃して来來そうになつてゐるのに引けるかと云ふて應じない。
村兄、安の所へゆき敵狀を見てビックリし とびかへり、
余に 磯部やらふ と云ふので余は ヤロウ と答へ 戰闘準ビをすべく農相邸へかへる。
右の様な次第なる故
遂に奉勅命令は下達されず未だに奉勅命令が如何なるものかつまびらかにしない。
此くして二月廿九日朝迄吾等は頑張った。
吾人があんまり頑張ったので むかふも腹を立てゝ目がくらみ 処チを失ひ、
奉勅命令を下達することも忘れ 唯包囲を固くすることのみをやつたのだ。
日本一の大切な勅命が行エ不明になつたのだ、
戒嚴司令部では下達したと云ひ 吾等は下達を受けずと云ふ故に。
二十八日夜
安の所へ第一D参謀桜井少佐が奉勅命令を持參したる
も歩哨にサエギラレて安は見ず。
山本又君 少佐を安の所へ案内せんとしたるも出來ず。
山本君のみは奉勅命令を見たりと云ふ。
二十九日朝ラジヲにて奉勅命令の下達されたるを知りたるが最初なり、
それ迄は決して命の下達されたるを知らず。
要するに吾等は 二十七日朝戒嚴軍隊として守備を命ぜられたるものデアルカラ
奉勅命令を下すならば 一D長一R長を經て下すべきであるのに、
ワケもワカラヌ有造無造がヤレ勅命だ、やれさがれと色々様々な事を云ふので
トウトウワケがワカラなくなつたのだ
小藤に云はすと
「 アイツ等は正規の軍隊ではない反軍だ、 ダカラ命令下達も系統を經てヤル等の必要はない 」
と 云ふだらふ 否 彼は左様に云ってゐる。
だが何と云ったとて駄目だ 戒嚴部隊に入ってゐるのだから。
奉勅命令については色々のコマカイイキサツがあると思ふが
如何なるイキサツがあるにせよ 下達すべきをしなかつたことだけは動かせぬことだ。
下達されざる勅命に抗するも何もない、吾人は斷じて抗してゐない。
したがつて 三月一日の大命に抗し云云の免官理由は意味をなさぬ。
又二月廿九日飛行キによつて散布シタ國賊云云の宣伝文は不届キ至極である。
吾人は既に蹶起の主旨に於て義軍であり ( このことは大臣告示に於ても明かに認めている )
大臣告示戒嚴群編入によつて義軍なることは軍上層さえ認めてゐる。
勅命には抗してゐない、
だから決して賊軍などと云はる可き理由はない。
以上で賊軍でないことは明々白々になつた筈だ
賊軍でないならば本來の義軍である筈ではないか。 磯部浅一
・・・獄中手記 (1) 「 義軍の義挙と認めたるや 」 から