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Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

「綴じよ、さらば開かれん」

2010-03-25 15:35:38 | 本/心に残ったコトバ
こないだ遊びにきた友達がひとつまえの記事にコメントをしてくれて(ありがとね!)、ブログに感謝!と書いてあったのでふと思ったこと。

私の日本のお友達のハラディこと原田先生はドキュメンテーションの活用法をいろいろ研究している人で、この先生の師匠が「綴じよ、さらば開かれん」とよく言っていたそうだ。綴じる、というのは、アルバムにしたり、冊子にしたり、何らかのかたちに「パブリッシュする」ことを指す。私の場合はブログに載せるということもあてはまる。

文章や写真が完璧にまとまっていなくても、断片でも、不完全でも、とにかく一度綴じて(パブリッシュして)みる。綴じておけばかならず開かれる(=目に触れる)。自分の目にも、他人の目にもね。たくさん写真とっても、単にハードディスクに溜め込んでしまうだけではもったいないものね。

一度かたちになったものは存在として残るし、かたちがあるから発展もしていく。だから、本当は日常のいろいろなできごと、面倒くさがらずに、パパッとブログに載せちゃえばいいんだけどね。感動したことがあって「そのうち書こう」と思っていても「そのうち」は永遠にこなかったりする・・・。あぁ、なるべく、なるべく、面倒くさがらずに日々の感動を言語化あるいはビジュアル化していきたい。そうして出力することで、あらためて自分の人生を可視化してみる。すると、見えなかったものが見えてきたりするものだ。

「綴じよ、さらば開かれん」って、、、やっぱり名言だなぁ。
これって日常の、ノートをとる、メモをとる、スクラップする、などのいろんな認知的行為にあてはまるよね。大切な思い出だけじゃなくて、さまざまな思考やアイデアの整理・体系化・抽象化のために、いろいろなものを一度綴じてみるのがいいと思う。

Involve me and I understand.

2009-11-08 03:17:53 | 本/心に残ったコトバ
"Tell me and I forget, show me and I remember, involve me and I understand."

最近出会った素敵な言葉。
こども達にとって「ラーニング」とはなにか、をシンプルに示しています。
こちらにいる間に、教育に関するいい実践をたくさん見たいと思っています(もちろん参画も)。

今日も空が澄みきっています。

ご冗談でしょう、ファインマンさん

2009-01-13 23:51:36 | 本/心に残ったコトバ
最近行き帰りの電車のなかで読んでいた本。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉




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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉




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ノーベル賞も受賞している天才的物理学者リチャード・ファインマン(Richard Feynman 1918-1988)の自伝。
幼い頃から好奇心にあふれ、興味を持つと何事であっても夢中になり、知的にひょうきんだった彼。実践的に頭脳明晰でアタマが良いのですが、人柄もまた素晴らしい。MITの学生であり、プリンストン、コーネル、カリフォルニア工科大と職歴を重ね、好奇心といたずら心に満ち満ちた彼の日常を描いたエッセイは、物理がどうのこうの、というよりも、研究者としてどうあることが自由かということを教えてくれる。

研究者の陥りやすい落とし穴として、その興味関心が、『What is true? (何が真実か)』から、いつのまにか、『What is supposed to be true?(何が真実になるはずか)』のほうへ傾倒しがちなことがある。この本は、ともすれば地位やグラント獲得のためにそういう落とし穴に陥りがちな研究職の人達に、何が最も大切かということを思い起こさせてくれる。シンプルに言えば、「できたことを述べ、できなかったことも忠実に述べる」という科学的良心を忘れない、ということかな。
ファインマンさんは、小さな仕事も、くり返しの仕事も、大きな仕事も、とにかく何ものをも厭わず、誠心誠意とりくむ姿勢があり、「何が本当でなければならないか」なんていうせせこましい思想からは完全に自由であった。名誉のために事実をねじまげて報告する人々を、「このようなニセをでっちあげる連中は、ほんとに独創的なものをつくりだす勇気など持ち合わせていないのだ。」と痛烈に批判。
いやー、この人が言うと爽快だ。

とくにアメリカの小学校の科学・数学の教科書選択の委員にならされ、かたっぱしから教科書を読み選定するときの話は痛快。
「どの教科書を読んでみても皆同じことだった。例外なくてんで役にも立たないことばかり説明しているが、これがおよそ漠然かつ混沌としているうえ、完全には正しいと言えないようなことばかりが、書いてある。こんな本を読んで、どうやって科学を学べるというのか?僕には想像もつかない。なぜなら、こんなものは科学ではないからだ。」
本の中、ファインマン節に出会うたびに、なまっていた感覚がピシッと叩かれるようです。

身体のなかをさわやかな風がとおったような、後味のとっても良い本。中学生ぐらいのときに出会いたかったな、これ。(ファインマンさんの人柄を知るには、松岡正剛の千夜千冊もおもしろかった。)

つぎ、『困ります、ファインマンさん(原題:What do you care what other people think?)』も読んでみようー。

安藤さんのガツーン

2008-04-16 23:10:04 | 本/心に残ったコトバ
ちょっと前に東大に新しくできたホールの竣工式で建築家の安藤忠雄さんの講演を聞く機会があった。
「発想力と実行力」、というタイトルだった。

安藤さんは経済的な理由から大学進学を断念。高卒後は、独学で建築を勉強した。学位もないし、失うものは何もないから、とにかく勇気をもってひとつずつ挑戦していけばなにか道が開けてくるのではないか、という気持ちでやっていたという話から始まった。

講演のテーマは、発想したことをどう「実行」するか。

例えば、予算はないがパリのユネスコ本部に平和のために何かシンボルを建てないかと持ちかけられたときのこと。安藤さんがいろいろ概算すると1億5千万円はかかることがわかった。普通はそこであきらめる。ていうか、概算するまでもなく、予感で「無理ー」と片付けるよね。でも安藤さんは、「1人1万円」という寄付を募り、資金を集めたという。
- 平和のためにあなたの1万円、寄付しませんか?
- それでパリに平和塔が建ちますよ。
- 募金してくださった方のお名前は塔に刻まれます。
- パリに自分の名前が刻まれるのは素敵ではないですか。
(こんなことを言われたら私でも募金してしまうかもしれない。)
ということで結局1万7千人の人が募金に協力し、1億7千万円が集まった。パリのユネスコ本部にはこうして「瞑想の空間」という円筒が建てられた。民間からの寄付金だけで。

実行力をもつということはまずはあきらめないことだ、と安藤氏がさらりと言っていたが、そのことが印象に残った。それは一番単純で一番大事なこと。あきらめたことを自覚しないままスルスルと生きている人はたくさんいる(自戒もこめて)。無意識のあきらめが人生の中で日常化している人も。まぁ、現実的でないから、とか、保証がないから、とか、いろいろ大人な理由もあるのだと思うけれど。

それに比べて、絶対に成し遂げたいこと、あきらめたくないことを持っているというのはスリリングなことだし、何より挑戦している感がいい。成否がはっきり出るという意味で。逆に、絶対に失敗しない方法は、何も始めないこと、かな。
何もはじめない、その生き方には夢がない。おもしろみがない。実行力はやっぱり夢を持つことから始まる。エキサイティングな夢じゃなくとも、淡々としたささやかな希望でもいい。
夢や目標を失ったときに、人は老いる、と。よく引用されるサムエルウルマンの詩を、安藤さんも引用していた。

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちをふり捨てる冒険心を意味する
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うときはじめて老いる

超満員の新しいホールで、立ち見や地べたに座って聞き入っていた東大の学生たちに、優秀であるより、勇敢でありなさい、と話していた。時に激をとばし、適度に笑いをとる、安藤さんって関西人だったのね。

安藤さんの話は、どこかで知っている話、聞いたことのある話だったように思う。だけど、「知っている」からといって自分の身体の中に浸透しているわけじゃない。
夢や希望、青春(!)だなんて、使い古されているし、みんな知っているつもりになっている言葉たちだと思う。
でも、安藤さんの話はすでに知っていることであっても、ガツーンと響くのであった(ということは、知らなかったってコトや)。

3月の終わりのことだけどね。あれからもう3週間ぐらい経ってる…、はや。

センス・オブ・ワンダー

2008-04-04 00:59:18 | 本/心に残ったコトバ
The Sense of Wonder


Once the emotions have been aroused ― a sense of the beautiful, the excitement of the new and the unknown, a feeling of sympathy, pity, admiration or love ― then we wish for knowledge about the subject of our emotional response. Once found, it has lasting meaning.
- "The Sense of Wonder" by Rachel Carson

ひとたび、美しいという感覚、新しく未知なるものへの興奮、共感、同情、感嘆や愛などの感情がわき起こると、感情を揺り動かしたものへの知識を渇望するようになる。そして、そのようにして見つけだされた知識は、永続的な力を持つのだ。
- 「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン

与えるワンダーではなく、こどもが自ら見つけるワンダーへ。

最近はどうも大人目線で美しさを考えがち。
こどもの頃ってどんなふうに世界を見ていたのだっけ、とふと思う。
別に雄大な景色とか真っ赤な夕日の沈む海岸、、、みたいな特別な景色じゃなくて全然よかった。むしろ、道ばたの水たまりなんかに心奪われていたものだよね。そういうの、こども時代の「センス・オブ・ワンダー(=神秘さや不思議さに目を見はる感性)」、大人のセンスでつくっちゃいけない。

こちらが用意した1つの意図どおりにこどもを導くのなら、その意図から外れる99の発見が誰にも拾われずにこぼれ落ちてしまう。

もったいない。こどもの器はもっと広いのだ。

イサムノグチ庭園美術館

2008-03-29 23:53:38 | 本/心に残ったコトバ
先月、イサムノグチ庭園美術館に行った時のことを書こう書こうと思っていて途中になっていたのでようやくアップ。

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直島をあとにして、フェリーで高松へ。
高松からイサムノグチ庭園美術館へ向かう。

イサムノグチ庭園美術館は、火木土しか開いていなく、鑑賞するのに予約の必要があります。その方法は、「往復はがき」のみ。ちょっと大変、でも友達にしてもらいました。(そんなところなので写真撮影はもちろん不可)

「まだかなー」と車を走らせるていると、「近づいてくると石がたくさん見えてくるからわかるよ」と同僚。
そう言われても想像がつかなかったけれど、現場に近づいてやっとその意味もわかりました。

香川県、牟礼は石の産地。

ここにはイサム・ノグチ晩年の住居と、アトリエがあります。アトリエ内の道具など、当時のままの状態で残されています。
アトリエでもある野外制作現場はまるい石垣に囲まれていました。この石垣もイサムが積み上げたもの。まるい仕事場。いいねー、まず自分の仕事場を築くというのは。
この自然のなかで熟考し、このマルのなかでつくったのだな。
マルの中には石の彫刻が置かれていました。「美術館」とは言え、彫刻にはタイトルもついていなく、完成した作品、未完成の作品とばらばら。無造作にごろごろ転がっているようで、きちんとイサムによって配置が考えられていたらしい。ひとつひとつに説明がない代わりに、全体で、その場所全体から感じるエネルギーがありました。なんだろうね、あれは。場所全体からの何か澄んだエネルギー。

まぁ本当にここは、何もかもがきれいです。それにつきる。
きちんと整っていて、美しい。仕事場も、アトリエも、周辺も。
主はいないのに、ピンと張りつめた緊張感が今も残る。緊張感は硬質な石々からただよってくるのだろうな。アトリエ横にあるちょうどいい具合に生い茂る楠の木は、聞けば最も美しく見えるバランスを考えて地中に幹を半分埋めてあるのだとか。視界に入るものの、配置やバランスが絶妙。

そんなふうだからここにいる間じゅう、感性は刺激されっぱなし。
石に対しても、そう。今まで石の作品ってあまり鑑賞したことがないし、石自体にそれほど注意なんて払ってこなかった。その質感とか、色、表面、硬さ、冷たさ、迫力、重量感、石と光の関係、、、そんなこと全然気にせず生きてきたように思います。だけど、数々の作品、製作途中のものも含めて、あれほどたくさんの石の表情に出会った(意識した)のは初めてで、一度気になりだすと、力強さ、柔らかさ、様々な石の肌・石の顔が見えました。それが私にとっては発見だった。

彼の住居も覗いてきました。
「家庭生活を始めるのに必要なのは、台所と、寝床と、あかりである。」
と彼は言ったそうですが、その佇まいとしつらえからはイサムの美意識がうかがえます。印象は「風」だな。イサム提灯の「あかり」がゆらゆらと幻想的に風に揺れ、庭の竹も風が吹くたびにサワサワサワサワ…。地面の上に竹が揺れるごとに散らばった光と影がすごくきれいでした。いつも風の吹き抜ける家は和紙やあかりが揺れ、幻想的な不思議な空間でした。京都でお寺を拝観する時とは違う自分の中の「日本人-ness」が揺さぶられた感じ。

「世界中を旅してみたけれど、ここからの眺めが一番好きだ。」

イサムがそう言った丘は住居の裏にあります。
彼が立っていたその丘に、私も立ってみました。採石場、石切り場、住宅が密集し、その向こうにきれいな稜線を描く山が見えます。カツーンカツンと石を切り出す音も聞こえます。

価値あるものはすべて、最後には贈り物として残る。
その人が生きた場、考えた場、その人の息づかいが聞こえてくるような場、
主なき後もただならぬインスピレーションただようこの場所、
ほんとうに贈り物だよね。

かなり満足してここを去る。でもまた行きたい。
イサムは春と秋の季節にしかこの場にいなかった(それが最も美しい季節だから)というけれど、その時期にいくとまた景色が違うのだろうな!

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牟礼から丸亀へ戻り、
猪熊弦一郎美術館へ寄って京都へ戻る。

夕暮れ空バックに美術館。
丸亀駅前にふつうにこんな光景、すごい。

ビリビリ

2008-03-21 01:02:25 | 本/心に残ったコトバ
夕方、河原町通にある文房具・インテリア・雑貨屋さんAngersにふらっと入る。
雑貨もいいけど、このお店の本棚が好き。
ピピッと感情&知的アンテナにひっかかる本がたくさん置いてある。

前好きだった本が目に入ったので、久しぶりにパラパラと手に取った。

愛する言葉岡本 太郎, 岡本 敏子

(同じシリーズの『強く生きる言葉』も好き)

ぱっと開いたページに、

「愛している。好き。何かしてあげたい。それだけでじゅうぶんじゃないの。」

という敏子さんの言葉。
心に響いた。(ビリビリ…!って感じだった)
パタンと本を閉じて、お店の中ぐるりとまわって何も買わずに出てきた。

春風の吹くやわらかい雨の日。
ほんとうに、それでじゅうぶんだと思った。

学びのメモ

2007-09-26 05:45:32 | 本/心に残ったコトバ
最近きいた教育と学びのはなし。忘れないうちに、メモ。

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「人が良くなろうとしている」ということを原点に考えたい。

なのに「教育」という言葉を口にしたとたん、
「人が良くなろうとしている」のではなくて、
「人を良くしてあげよう」という話になってしまう。

人は、そもそも、教えなければ学ばないのだろうか。

そうじゃない。
学びたいということが原点にあるからこそ、誰かに教えてもらいたいという話が正しいはずだろう。
それが、どうも「教育」という言葉を口にすると、「(私たちが)教えるから(彼らが)学ぶのだ」という勘違いにとらわれてしまう。

「教育」の結果としての「学習」ではなく、
「学ぶ」ということを根源に考えて、「学びたい」という人間が「教えてもらいたい」という気持ちになったときに、「教育」という活動があるのが本当ではないだろうか。

そして今、どうも、人々は「教えてもらいたくない」
「教えてもらうのはいやだ」という声が高まっている。

それが「学びからの逃走」だとか、「学ぶ意欲の低下」だとか言われているが、
それは、学びたくないからではない。
「教えるから学ぶのだ」というそのロジックに対する根源的な拒絶反応なのだと考えたい。


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ほんと、あの先生が話すといつも空気が変わる。
実践的なお話をしているわけじゃない。
証拠を持って話しているわけでもない。
でも、こうあるべきだろう、というメタ理論がいつも哲学的で、
こちらがはっとするような問いかけを持っている。

「数字にならないことしか本当じゃないの?」
「人間というのはきっとこんな存在だろう、きっとこれが本当だろう、そう思って追求するのが学問なんじゃないの? 数字になってもならなくても。」

ガツーン。
数字になることばかりを調整して集めて、それなりにデータとして表示して、
「はい、こんな成果がありました」って、
それは最初から偏っているのだよ、自分。

秋の夜長

2006-11-16 01:00:35 | 本/心に残ったコトバ
■還暦にびっくり
仕事帰りに母親に電話。今日は母親の誕生日。「おめでとう。何歳になったっけ?」と聞くと、「60歳」。
え? びっくりした。還暦?(きゃー、ついこの間のブログで58歳とか書いてたっけ、私…)

なんか急に歳をとったような感じじゃない?還暦とか言われると!
運転していた車を停めて、しばし路上で近況報告。今度の京都入りはいったいどうしたの?とか聞きたかったけれど(笑)、まぁいいか、両親がそろって京都に遊びにくるという事実がなにより幸せなこと。

帰ってきたら12時。
この前の自分の誕生日に、色々な人からもらったメッセージに返事を書く夜。ご無沙汰していた友だちから書く。いつまでたっても慣れない携帯メール1つに40分もかけてやーっと近況報告。あ~すっきりした。

ふと思い出した茨木のり子さんの本を引っ張りだしてきてちょっと読んでみる。
以下に書いておきます。(あー、秋の夜長に読書もいいなぁ。)

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「歳をとる それは青春を 
 歳月の中で組織することだ」

これは茨木のり子さんの好きな詩人の詩。フランスの人だとか。茨木さんが一番好きな詩なのだそう。
あとにこう続ける。

「組織するー 組み立て直すという言葉からは、織物のイメージが浮かんできてしまう。
青春とは、だいたいが恥じ多き季節で、はちゃめちゃな萌芽がわけもわからず炸裂する。

それを縦糸として結び直し、あれはいったい何だったのだろう?何だったのだろう?と思いつつ、
横糸を一日一日織りなして、1枚のタペストリーを仕上げてゆくのが人間の生涯なのかもしれない。

ただ青春の糸がこんがらがったまま、なしくずしの人生を送る人もまた多い。
最近おもうのは、80年ばかり生きるのに、きれいなタペストリーを織った人と、なしくずしの人生を送った人と、
大差はないのでは?ということである。

私ももう少し日を経ればもうちょっとましな詩が書けるのではないか、もう少し美しい紋様が現れるのではないか、
という期待に引きづられて今日まで来てしまった。
これとても、ままならないことではあったけれど。」

60歳からの青春を楽しんでね。

大人になってもクリエイティブ

2006-04-13 23:07:25 | 本/心に残ったコトバ
今日は先週土曜日に出勤した分の代休をとったのでお休みー。



そうげんカフェで遅めのランチを食べて、本屋さんでひたすら本をあさり、あとは家でのんびり。

今日久しぶりに昔使ってた教科書をひっぱりだして見返してたら、
creativityに関する記述で個人的に書き留めたいものがあったので書いとこう。

Flow(フロー)の概念を広めたMihaly Csikszentmihalyiがまとめたもので、
大人になってもクリエイティブに生きていくために最低限ここから始めましょう、っていう示唆。

1. Try to be surprised by something every day.
(いつも、何かにおどろきましょう。 )
"Be open to what the world is telling you. Life is a stream of experiences." だって!いいね。

2. Try to surprise at least one person every day.
(いつも、誰かをおどろかせましょう。)

3. Write down each day what surprised you and how you surprised others.
(1と2がどのようなものだったか、書きとめるようにしましょう。)

4. When something sparks your interest, follow it.
(あなたの興味を突き動かすものがあったら、それ、追いかけましょう。)

5. Wake up in the morning with a specific goal to look forward to.
(あさ、何か楽しみなゴールを持って起きましょう。クリエイティブな人は朝が待ちきれないのです。)


「そうだよね、そうだよね」と思いながら読んでました。1番と4番がいいなぁ。
特に4番は、興味をひくものは多いけどけっこうshort-livedですぐ去ってしまうことが多い私には、追いかけ「つづける」ってことが大切だと思ったしだい。

 
たまたま通りがかった冷泉通の桜。水面の青と桜のコントラストがきれいで撮らずにいられなかった1枚。