2年前の今日は 乳がんであることを告知された日
1月4日に精検を受けた日に
<乳がん>かどうかは検査結果が出るまで判らないと言いながら
画像に写った物の形がボコボコといびつな形をしている様は6:4で悪性である確立が高いと言われ
「どちらで手術を受けますか?」
「H医大が近いです」と答えた私に
「H医大の先生もいい先生ですよ」と言いながらすぐに電話を入れて予約をしてくれました
6:4と言いながらきっと医師は乳がんである事を確信していたのでしょう
私にはきっとおまけして言ってくれたのに違いありません
<4割 良性の確立があるのに手術?>
<医大に予約? 乳がんと判ってからの予約じゃないの?>
と…そんな経緯があったので5日間のうちにある程度覚悟ができていたのかもしれません
9日 夕方4時頃の予約時間に検査結果を聞きに出かけました
K先生に
「ステージ1 大きさ1.7×1.6 クラスⅣ(4)おそらく癌と思われます おとなしめの細胞ですよ 早く見つかって良かったですね 」
意外と心は平静
やっぱり そうだったんだ…
「部分切除が充分出来ますよ 温存するか全摘するか医大に行くまでに考えておいて下さい…」と言われ
「全摘と温存ではその後の生存率 再発率に変わりありますか?」と質問
「今は変わりないですよ 部分切除術は術後放射線治療を受けるのが条件です」
K先生も優しく
「聞きたい事があったらなんでもおっしゃって下さい」と
で、「検診を2年に1度受けているけれど毎年受けるべきだったでしょうか?」
「もし去年受けていたらもっと早く見つかっていましたか?」などと聞き
いろいろちゃんと答えてくれました
そして「実は私 まだ誰にも乳がんであるかもしれないって事 言ってないんですよ」とも…
「今日はご主人に伝え 医大には一緒に行ってもらって下さいね」と言われ
ため息とともに事の重大さがひしひしとわいてきたのを覚えてます
この日 ため息つきながらも
<主人にも言わなくっちゃ>
<友人にはなんて言おう> と思案しながら帰宅して
夕飯の支度を済ませ
ジッとしているのも辛く「スクエアダンスに行こう」と支度をしたところ
母がお腹が痛い 気持ちが悪いと訴えるので 掛かりつけの医院に連れて行き検査
なんと腸閉塞を起こしていて 救急車でE総合病院に運ばれる事に…
付き添いながら あ~あ 私は乳がん 母は腸閉塞…フ~ッ!(大きなため息)
途方に暮れたことを覚えています
母の入院手続きをして その夜遅く帰宅して
パソコンをしながら顔も見られず主人に
「15日 会社休んでくれる?」
「なんで?」
「乳がんだって 一緒に医大に行ってほしい」
とそれだけ言うのがやっとでした…
おとなしめの細胞…実は後にこれは大きく覆させられるのですが…
この言葉は私の想いを奈落の底に落ちていくのを止めてくれましたし
病理検査の結果が出るまでの間
私を脳天気に過ごさせてくれるありがたい<魔法の希望の言葉>でした
<乳がんを切り取ってもらい 放射線治療をした後はお薬を5年飲めば終わり>位の認識で過ごさせてくれましたから
あの頃は乳がんの事 何も知らず 例えると幼い子供みたいだった様な…^_^;
2年経った今 感慨深いものがあります
1月4日に精検を受けた日に
<乳がん>かどうかは検査結果が出るまで判らないと言いながら
画像に写った物の形がボコボコといびつな形をしている様は6:4で悪性である確立が高いと言われ
「どちらで手術を受けますか?」
「H医大が近いです」と答えた私に
「H医大の先生もいい先生ですよ」と言いながらすぐに電話を入れて予約をしてくれました
6:4と言いながらきっと医師は乳がんである事を確信していたのでしょう
私にはきっとおまけして言ってくれたのに違いありません
<4割 良性の確立があるのに手術?>
<医大に予約? 乳がんと判ってからの予約じゃないの?>
と…そんな経緯があったので5日間のうちにある程度覚悟ができていたのかもしれません
9日 夕方4時頃の予約時間に検査結果を聞きに出かけました
K先生に
「ステージ1 大きさ1.7×1.6 クラスⅣ(4)おそらく癌と思われます おとなしめの細胞ですよ 早く見つかって良かったですね 」
意外と心は平静
やっぱり そうだったんだ…
「部分切除が充分出来ますよ 温存するか全摘するか医大に行くまでに考えておいて下さい…」と言われ
「全摘と温存ではその後の生存率 再発率に変わりありますか?」と質問
「今は変わりないですよ 部分切除術は術後放射線治療を受けるのが条件です」
K先生も優しく
「聞きたい事があったらなんでもおっしゃって下さい」と
で、「検診を2年に1度受けているけれど毎年受けるべきだったでしょうか?」
「もし去年受けていたらもっと早く見つかっていましたか?」などと聞き
いろいろちゃんと答えてくれました
そして「実は私 まだ誰にも乳がんであるかもしれないって事 言ってないんですよ」とも…
「今日はご主人に伝え 医大には一緒に行ってもらって下さいね」と言われ
ため息とともに事の重大さがひしひしとわいてきたのを覚えてます
この日 ため息つきながらも
<主人にも言わなくっちゃ>
<友人にはなんて言おう> と思案しながら帰宅して
夕飯の支度を済ませ
ジッとしているのも辛く「スクエアダンスに行こう」と支度をしたところ
母がお腹が痛い 気持ちが悪いと訴えるので 掛かりつけの医院に連れて行き検査
なんと腸閉塞を起こしていて 救急車でE総合病院に運ばれる事に…
付き添いながら あ~あ 私は乳がん 母は腸閉塞…フ~ッ!(大きなため息)
途方に暮れたことを覚えています
母の入院手続きをして その夜遅く帰宅して
パソコンをしながら顔も見られず主人に
「15日 会社休んでくれる?」
「なんで?」
「乳がんだって 一緒に医大に行ってほしい」
とそれだけ言うのがやっとでした…
おとなしめの細胞…実は後にこれは大きく覆させられるのですが…
この言葉は私の想いを奈落の底に落ちていくのを止めてくれましたし
病理検査の結果が出るまでの間
私を脳天気に過ごさせてくれるありがたい<魔法の希望の言葉>でした
<乳がんを切り取ってもらい 放射線治療をした後はお薬を5年飲めば終わり>位の認識で過ごさせてくれましたから
あの頃は乳がんの事 何も知らず 例えると幼い子供みたいだった様な…^_^;
2年経った今 感慨深いものがあります
人というのは色々な経験を乗り越えて成長するということは承知していますが,「がんの告知」を受けた経験のある方は,想像以上に悩んだりするのでしょうね。
昨年,父も胃がんの宣告を受けて全摘の手術をしました。正月に会ったとき,父は明るく振る舞っていましたが,抗がん剤の薬の副作用で辛いはずなのに…
Rグレイさんのブログでいつも元気をもらっています。
これからもどうぞお健やかに。山形の地から願っております。
きっと何年経っても、告知された日って
忘れない、忘れられない日なんですよね。
それにしても、告知された日に
お母様の入院とは..
ホントに大変な日でしたね。
途方に暮れた感じ、良~く分かります。
自分と重ねて、ウルッとします。
テレビで、あるがん患者の方が
「私たちは病気の事を良く勉強してから
病気になったんじゃないんですよ」って
言ってたのが忘れられません。
K先生の優しさに救われますね。
こんな時の言葉遣いって難しいでしょうに。
コメント遅くなりましてm(__)mごめんなさい
今日はこちらでも又小雪舞う寒い日になりました
そちらでは雪でしょうか?
告知って青天の霹靂
どこかで<自分は大丈夫>って自信って言うか確信って言うか…ホント<あってほしい望み>であって誰も大丈夫じゃないんですよね
お父様頑張っていらっしゃるご様子で
皆さんに頑張る事を身をもって教えてくださっている事でしょうね
抗がん剤治療中は覚悟してやっているので辛さの中にも精神的には意外と普通に過ごせます
…期間限定ですし
ただ過ぎた今振り返ってみるとよく頑張ったなぁと…
今又あれをやれと言われたら躊躇するかも…
そうは言っても又そんな状況になったらしっかり考え立ち向かうんでしょう
人間って案外逞しいんですよね
拙いブログなのにいつもおいで下さり感謝しています
ホントにありがとうございます
今日こちらは又小雪舞う寒い日になってます
「雪降る地方の降雪1mとここら辺の10cmが一緒だって…」と聞いた事があります
そうなんですチェーンもそれに備えた靴も持ってないから10cmどころか1cm積もっても もうお手上げなんですよ^_^;
そちらも雪ですか?
>何年経っても忘れない日
ホントにそうですね 景色も温度感もはっきりくっきり覚えてますよネ
「私たちは病気の事を良く勉強してから
病気になったんじゃないんですよ」
まったくその通りですね
段々時間の経過と共にがん患者として勉強している感じですもんね
昨日母の介護をしながらふと思ったんです
「この日が来ること 神様には分かっていたから私を先に逝かせない様 乳がんを見つけてさせてくれたのかな…」って
2年前は母はいろいろまだ自分でできていましたし私はあの時に乳がん見つけてなかったら今頃は…ですもんね
私はこのKクリニック(元総合病院の乳腺外科の医師)に行って良かったとつくづく思います
セカンドオピニオンを先に受けた様なもんでしょ?
寒い日が続いてます
風邪引かない様気をつけましょうね