木漏れ日

日差しがキラキラと躍ってる…

去年の今頃は…

2009年03月14日 | 放射線治療
今日は嵐のような風と雨だけれど

この頃 日差しがすっかり春めいて風も温かくなり“ふわっと”感 
  洗濯物を干していて<この空気感?>に ふと思い出した

去年は今頃 放射線治療に通っていたな~と…

肌に感じる風の具合 日差しの具合でよみがえってくる  

もう一年 あの頃は一生懸命で頑張っていた
 なんだか感慨深く 涙がポロリ

毎日 医大の職員の如く8時過ぎに家を出て 放射線治療室 ライナック治療室へ
 今更ながら調べてみたらライナックとは治療装置の名前なのだそう

治療室の片隅に1㎡位のカーテンで仕切ることが出来るスペースに脱衣籠とバスタオル
 そこで上半身脱いでバスタオルで胸を覆い
バスタオルが敷かれた台の上に横たわる
 枕の様なものに頭と頭の上部に回した腕をはめ込み 

グイ~ンと台が上がり 照射位置まで台が移動 

毎日必ず言われる第一声が
『ジッとしていて下さいよ 動かないで下さいね』

緑の光が 天井から 左右横から差し込んでいる
この光に私の胸の辺りにいっぱい書かれた×印とか点線に合わせて
敷いてあるバスタオルのアッチを引っ張ったりコッチを引っ張ったりして位置決め

この位置決めに一番 手間が掛かっていたな

何も知らない私は25回の放射線治療中にも2kg減量したから
20回頃に『Rグレイさん痩せたって事ありますか?』って言われ
皮膚まで引っ張ったりして 位置決めに苦労していたっけ  ゴメンナサイ

治療期間中 技師の方3人のお世話に…
 髪の毛が薄めの年配の方 
  髪の毛7:3に分けた 真面目そ~な30代後半位の方
   髪の毛ピンピンと跳ねさせちょっと長めで茶髪 いまどきスタイルの20代の方

意外な事にこの<髪の毛ピンピン跳ねさせた>お兄さんの気遣いが嬉しかった
胸に掛けたタオルを剥ぐ時 優しく『失礼します』そして終わるとそっと掛けてくれ
胸の印が薄くなった時も『薄くなったから書かせていただきます』と労わりを込めた物言い
照射が終わって帰るとき 頭を下げながらにっこり『ご苦労様でした』
週末は 『来週もよろしくお願いします』とか
…おざなりじゃなく心がこもった感じで

他の2人も言ってくれるのだけれど 優しく 
 でも無表情… 
時には終わってもタオルを掛けてくれない事もあったっけ
  
少しの事で和やかになるものです

人間見た目じゃない ってあらためて思っちゃった

そういえばこのお兄さんにピアスも拾って貰ったんだっけ
 夕方ショッピングセンター買い物中に片方のピアスが無い事に気付き
慌ててアチコチ探し回り…
 リバーシブルで使え 落としにくく(落としたじゃん)シンプルで使い易く
あ~ぁ ため息何度もついて諦めた翌日
放射線科受付で「Rグレイさん昨日忘れ物したでしょ?」って看護婦さん
差し出してくれたものは
 昨日落としたピアス!
「エ~ッ 嬉しいっ! ありがとう此処だったのね」

 <髪の毛ピンピン跳ねさせた>お兄さんが届けてくれたんだって
髪の毛薄いおじさんだったら今頃ゴミ箱だったかも…って思った瞬間でした
あとでお礼を言った時に確認したら着替えした治療室に落ちていたのだそう
脱ぐ時に引っ掛けたんだ 慌て者の私でした

放射線治療の照射時間は数分 アッという間に終わり
 副作用もそんなに苦になるほどはなく

私は開始から2日位
 フワフワした感じで乗り物酔いになりそうな…宿酔いと言うのだそう
2週間過ぎ 肌がちょっと赤味をおびてきたのでリンデロンを処方していただき
終わり頃には疲れやすくなり 階段の昇降も休みながらしてたっけ 
終了後 皮膚が黒ずんで…日焼けの後と一緒ね

一年経って黒ずみもほとんどおさまり
 …脇とか胸の下はまだまだ焼けているけれど
  もうこれは仕方ないのかもね


放射線治療に通った日々 
 つい昨日だったような ず~っと昔の事の様な 

有難いことに 今元気で毎日過ごせていることにあらためて感謝です

病理検査結果・放射線治療開始

2008年04月17日 | 放射線治療
2月15日
AM11:00 乳腺外科外来に退院後、初検診に行く
水抜き120cc 
今回チャポチャポ ポコポコ音がしなかったから120ccも溜まっているとは思わなかった
…その割には膨らんでいるなあ…と思ったのよね(^_^;)

病理検査結果 
       腫瘍の大きさ 17mm
       腫瘍の悪性度 3
       リンパ節転移 なし
       ER (エストロゲン受容体) 陽性
       PgR(プロゲステロン受容体)陽性
       HER2 陰性
       脈管(リンパ管・血管)への侵襲あり

中リスクと言う事で 放射線治療25回 抗がん剤 ホルモン療法5年
のスケジュールを提案され、
再発リスク率、術後補助療法をする事で再発リスクをどの位減らせるかの説明を受ける。

おとなしめの細胞と聞いていたので悪性度3とはショック!
元気な細胞だったとは…

2月19日
AM9:30 乳腺外科外来にて60ccの水抜き 「多分これでもう抜かないよ」と先生
放射線科に紹介してもらい放射線科に行く
AM10:40頃看護婦さんから
「今日は予約で混んでいて初診の人はまだ1時間位待ってもらう事になるから
11時半以降までどこかに出掛けてもらっても良いですよ…」
って言われ本屋さんに出かける。
室井滋さんのエッセーの本を買い放射線科に戻る。
12時過ぎにようやく受診
放射線の注意事項や副作用の説明を受ける
PM3時にCT撮るから来て下さいと言われ一旦帰宅

3時にCT室に出向き、印し付け、頭と手がはまり込む様な型を作ってもらう
放射線治療センターに行き、1回目の治療をする
明日からは土日祝日休み以外毎日9:10までに放射線科に出向き治療を受ける事になる。
まるで病院に勤務するみたいだね…

2月25日
放射線治療5日目 
緑の光が上からと左右から射し込み、胸に書かれた×印や線をその光に合わせる。
身体の下に敷いてあるバスタオルの隅を持ってあっちに引っ張ったりこっちに引っ張ったり…
微調整に大変そう…「ジッとしていて下さいよ、動かないで下さいよ」と技師の方
いつも同じ方向から放射線をかける為に…

毎日一緒の事をするのは慣れて平気になるのかなと思っていたけれど
日毎に苦痛になっている。
こんなことをまだ20回もしなくっちゃいけないと思うと滅入る。
胸を肌蹴、手を頭の上に固定され、なされるがまま、
天井のステンレスの板にその姿がちょっと映って…あ~ぁ情けない
おまけに印が薄くなったと×印を濃くなぞり書き…
癌撲滅の為にはいろいろ耐えなくっちゃいけないことが多く

3月14日
今日は抗がん剤の説明を聞く日
ここ数日はこの事で頭がいっぱい…涙が次から次へと…
自分が壊れてしまわないか怖い
本当にやらなきゃいけない治療?
再発リスクの試算を説明してくれた時に即座に
「この○人にはなりたくないからやります」って言ったのは間違っていなかった?
早期の癌だった筈なのにそこまでやらなきゃいけないの?本当に?
抗がん剤やらなくて再発した時に後悔しない? 自問自答の繰り返し…。

先生に質問したい事、上手く言えそうにないからワードに質問事項を打って持参する事にした。
病理検査結果の事 抗がん剤の副作用 脱毛の事 等等
抗がん剤の話しは聞かなきゃいけないけれど聞きたくないって言うのが本音
案の定先生の説明が始まったら泣いてはいけないと思いつつ涙が…
パソコンで作ってきた質問事項を先生に渡す
1項目ずつ説明してくださる…脱毛の項 すかさず全脱毛に○印あっさりと…
そう我が主治医は優しくもあっさりさっぱりなのです。
以前「全部抜けるの?」って私が聞いたときに
「全部は抜けないよ」って言ったのは先生の優しさ、
私が「全部抜けるの?」って言ったのが間違いの元!
「チョロチョロとは残るよ」だって…確かに全部ではないわ

TC療法を勧められる
フローズングローブの臨床試験の協力も…説明書を見ながら説明を受ける。

3月27日
今日で放射線25回終了
ここ数日は さすがに疲れやすかった
それでも化学療法が始まれば行けなくなると
水曜日・土曜日夜はSD(スクエアダンス)に出掛け踊ってくる
疲れ易くっても 多少眩暈がしても 
普通の生活ができてる事は嬉しい

病院職員の如く毎日の通院ご苦労様
 終わったネ~\(~o~)/