桜庭一樹さん、『ファミリーポートレイト』

 すごい作品だった。冒頭から激しく胸ぐらを掴んできたこの獰猛な物語は、容赦なく私を穿ち揺さぶった。

 『ファミリーポートレイト』、桜庭一樹を読みました。


〔 持っているのは、ママという巨大な夢の時間だけ。 〕 88頁

 瞳を閉じたいのに、目をそらせない。母と娘のおぞましくも醜い、身の毛のよだつ類の美しい物語にひき寄せられた。唾を吐きかけたい気持ちと、魅了されていく誤魔化しようのない思いと、双方から引っ張られて千切れてしまいそうになる。

 まず第一部で描かれるのは、母と娘二人だけの神話時代だった。楽園追放の日まで続く、逃避行でもある。 
 5歳のコマコのすべては、マコのためのもの。コマコはマコの小さな神で、マコはコマコの美しき神。コマコはマコが生んだ命なのだから、生きるも死ぬもマコに従うのみだ。そしてまだ25歳のマコは、七色に輝く最高に美しい女の子だった…。
 この親子の在り様が如何に歪か、読み始めればすぐにわかる。どうにも救いがないのは、ちゃんとした母親には決してなれないマコの心の弱さだった。たとえどんなに幼かろうと、子供は親の所有物ではない。子供を自分の分身だと決めつけるのは、親のエゴでしかない。自我が癒着した母娘ほど、傍から見て気持ち悪いものはない…と、そんな言葉たちが頭の中を渦巻いた。一人の娘としての私の古傷にまで、血が滲んでくるような気がしてくらくらする。

 …それなのに。二人ぼっちで手を取り合い逃げ続ける彼女たちの崖っぷちな姿には、ひどく胸を打つものがあった。たとえやり方は間違っていたとしても、二人はお互いを本当に必要としていたのだ。味方のいない場所で共に闘うために、全身全霊の支配と身も世もない愛情とで、それはそれはかたく結ぼれ合っていた。何が間違いで何が正しいかなんて…。自分の全身全霊を完全に必要とされる幸福は、誰にでも手に入るわけではないのだから。
 いつの間にか、コマコとマコの世界を守ってあげたい気持ちが膨らんでいたことに気が付いて、愕然とした。あんなにおぞましい親子だったのに。

 物語は大きく、第一部と第二部とに分かれている。第二部の内容も素晴らしかった。命を削りながら書く…という宿命を背負った作家の孤高の覚悟に、ひりひりと胸が痛かった。供物。自ら堕ちていく魂。
 親は子供を裏切るけれど、子供は親を裏切らないそうだ。いやむしろ、裏切りたくても裏切れない…といった方が当たっているかも知れない。それもまた一つの、呪いの形だと思う。

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