ロベルト・ボラーニョ、『2666』

 一週間、憑かれていた。『2666』の感想を少しばかり。

 “あるいは四人が並んで、歴史で名高い河、すなわち今はもう荒々しくない河の岸にたたずみ、自分たちのドイツ狂いについて、互いに相手の言葉を遮ることなく語り合いながら、ほかの誰かの知性を試したり、吟味したりするのだったが、その合間の長い沈黙は、雨でさえ乱すことはできなかった。” 25頁

 素晴らしい読み応えだった。ずしりと腕に、胸に響く大きな本だ。始め、冒頭の一文に目を落とす瞬間は、遥かな大海に漕ぎ出すちっぽけな小舟…といった按配で気が遠くなりかけたが、それはまた何と凄まじく、恐ろしく、驚異と啓示に満ちた豊かな大海だったことか。印象的なエピソードの多さにも関わらず、詰込み過ぎだと全く感じさせない流れにも圧倒される。人の生きる世界から決して失くせない闇黒すらも押包む、それはまさに怒涛の流れだった。途中、辛く酷い箇所が長く続いたものの、後半から凄い本を読んでいる…という感慨がじわじわと込みあげた。
 今、来し方を振り返るように反芻していると、今度こそ本当に気が遠くなる。そして、この一週間でアルチンボルディが心に居着いてしまったので、これから彼の著作を読むことが出来ないのが、何だか不思議に思えるほどだ。

 物語は5部から成っている。生前のボラーニョの思惑では、5巻本として刊行されることになっていたが、文学的価値を尊重して1冊の本として出版されたそうだ。そう知らされると、重過ぎるなどとも言っていられない。
 5つの話はどれも、各々の事情経緯によって、国境に近いメキシコ北部のサンタテレサへと引きつけられていく。物語の要はこの架空都市と、第1部〈批評家たちの部〉に登場する4人の研究者たちが専門とする、謎に包まれたドイツ人作家アルチンボルディである。

 第1部〈批評家たちの部〉は、長い間マイナーだった覆面作家アルチンボルディの、4人の研究者たちの物語である。国籍も性格もばらばらな彼らは、文学学会で知り合い、深い友情を結ぶ。そして後には三角関係を含む…という危なっかしい局面を迎えながらも、交流を続け、遂にはアルチンボルディを探しだそうとするが…。
 三角関係に陥ってしまうことからしてそうだけれど、“死ぬほど笑ったり落ち込んだりすることはできない”アルチンボルディの作品で憔悴してしまう彼らの、現実の愛を求める際のままならぬ姿が愛おしい。文学作品や作家への言及も多く、好きな話だった。
 第2部〈アマルフィターノの部〉は、第1部で登場する哲文学教授アマルフィターノの物語である。これは短めの話だが、神経症気味で鬱々としたアマルフィターノの人となりが私は好きだったので、とても面白かった。洗濯ロープのディエステの本がツボである。

 そして第3部〈フェイトの部〉からいよいよ、メキシコ北部の女性連続殺人事件の話が前面に押し出され、第4部〈犯罪の部〉へと繋がっていく。辛く酷い箇所とは、ほぼここに集中している。5部の中でも最も頁を割かれており、それがそのまま事の重みなのだ…と、受け取るしかないと思った。
 女性蔑視の激しいマチスモの社会で、人格を否定され、まるで襤褸切れのように体を裂かれて殺されていく、数え切れないほどの女性たち。たとえば、〈批評家たちの部〉で描かれた、異性の友人たちから大切にされるリズ・ノートンの命の重みと彼女たちのそれとは、残酷なまでに違い過ぎる。何故そんなことが許されるのだろう…と、愕然とした。
 最後の〈アルチンボルディの部〉は、これはもう、楽しみにしていた謎のドイツ人作家の物語。謎の解けていく様が見事で、胸がいっぱいになった。
 趣きの違う五つの小説を楽しんだようで、けれどもそれらはちゃんと繋がっている。それもまた素晴らしい。

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