オールダス・ハックスレー、『夏幾度も巡り来て後に』

 ほとんどタイトル買い…。『夏幾度も巡り来て後に』の感想を少しばかり。

 “魚は、二百年、或は三百年とその若さを失わずにあるに、人は、何故に齢七十に至れば死ぬべき定めなりや、と。” 256頁
 
 ううーむ。幻想的というよりは悪夢めいた…と言いたくなる、まさに狂想劇だった。石油会社で成功した粗野なアメリカ人大富豪の、不老不死へのおぞましい妄執が物語の底流を成し、ある意味では諸悪の根源かも知れない…。前半では鳴りを潜め勝ちだったその不気味さが、後半でどろどろとグロテスクにだだ漏れる展開には息を呑んだ。
 ひたすら思索と衒学にふける話かと思いきや、老醜を曝す大富豪ストイト氏の若い愛人への恋着、そこへ棹さすオゥビスポゥ医師や、ヴァージニアを秘かに想う(周囲にはばればれ)青年ピートの存在…と、話は下世話な悲喜劇の方へと転がっていく。途中、大富豪の幼馴染プロプター氏が、イギリス人の学者ジェレミーとピートを相手に、“時間と渇望”や“潜在的善と潜在的悪”について述べだす件でげんなりしかけたけれど、手に取ってしまった以上、あのラストまでたどり着けてよかった。異様な終局へと頽れる…。

 その整理の為にジェレミーが雇われた、何世紀にも亙り英国の一族に蓄蔵されたホーバーク文書が、思いもよらぬところで話の核心と繋がる辺りが面白かった。フェルメールの絵画も印象的だったが、“如何なる意図をもってなのか?”は、私にもよくわからないわ。

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