小池昌代さん、『タタド』

 今朝、久しぶりに卵かけご飯をいただきました。たまたま卵が買ってありましたので。
 日頃はパン派ですが、卵かけご飯は格別です。卵好きな私にとっては、子供の頃から追いかけ続けた原点のような郷愁の味です。子供の頃は箸でしたが、今日は横着をして匙を使いました。めまぐるしく変化し続ける世の中を知らぬげに、卵かけご飯の味は全然変わらないなぁ…などと考えながら、頬張っていたのでした。 
 冬まだきの気ままな朝、ぽつんと一人の卵かけご飯。ちなみに卵は、先に混ぜておく派。

 そんな今日読みましたのは、3ヶ月以上も前に図書館で予約をしていた本です。こんなに待たされると、あの飛びつく感じが薄れてしまうのがちと残念ですね。

 『タタド』、小池昌代を読みました。

「MARC」データベースより
〔 20年連れ添った夫婦とそれぞれの友人。 50代の男女4人が、海辺のセカンドハウスに集う。 倦怠と淡い官能が交差して、やがて「決壊」の朝がやってくる――。 表題作のほか「波を待って」「45文字」を収録した短篇集。 〕

 表題作のタイトル「タタド」は地名からきているそうですが、カタカナで表記されることによって、全然別のものを喚起させる響きを帯びている気がしてしまいます。何やら不穏な、タタドという響き…。
 海辺のセカンドハウスに半ば生活の拠点を移した、中年から初老といったところの夫婦の元に、男女一人ずつの来客がある。男の方は妻と付き合いが長く、女の方は夫と付き合いが長いのだが、何となく4人で屈託なく過ごしてしまう。彼らは時に子供っぽく他愛もなく、入浴後の女たちはすっぴんをさらしている。
 ストーリーらしいものは殆どないものの、隅から隅までの細部を味わうと、何とも言えず体に沈み込んでくる読み応えがありました。 来客側の男・オカダの登場場面から始まる「もしも猫を轢いてしまったら」という会話とか、異様にすっぱい夏みかんのエピソードとかは特に素晴らしかったです。来客側の女・タマヨがモノを失くす話も、意味深で凄みがあってゾクッとしましたし。 
 死の気配と衰えない貪欲さが背中合わせになっているような不穏さが、何かの予兆のように作中には滲み出しているのに、あえてそんなことには無頓着に振舞っている男女4人の淡い思惑。

 そして、堰き止めていたものを失くして崩れ落ちるラスト。この作品を途中まで読んだ時点で、きっとそうなるだろうなぁ…と予想していた通りでしたが、そこにたどり着くまでの流れの巧みさに溜め息が零れ落ちました。切羽詰った若さから遠く隔たった老いの倦怠と官能は、贅沢な音楽に溺れるように彼らを捉えてしまったのでしょうか。

 話そのものが楽しめたのは、「45文字」です。これは話のアイデアが面白いのかもしれません。フェルメールの絵がすごく見たくなる作品です。
 あの、「牛乳を注ぐ女」に描き込まれた細いミルクの捩れ…。見逃してしまいそうな瞬間のフラッシュバックで、今と過去が思いがけなく繋がることってありますね。ず~っと時間がたってから、やっと腑に落ちることとか。これまでも、そしてこれからも、人生なんてそんなことが続いていくのだろうなぁ…と。

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