長野まゆみさん、『あめふらし』

 『あめふらし』、長野まゆみを読みました」。

 “きのうの雨が玉先から滴(しずく)となって落ちた。” 54頁

 何て言うか…もう、すごく好きな世界でした。『よろづ春夏冬中』に収められた「雨師」の続篇にあたる作品で、市村兄弟や橘河たちの物語がさらに膨らんでいます。 

 子供の頃から傘を失くす名人だった。
 たとえば、54頁の文章を読んで私は、「あ、傘のあの部分は“玉先”って言うのか。そう言えば昔、あの丸くてぽちっとしたところから雨粒が落ちていくのを眺めるのが大好きだったなぁ…」と、たった一つの言葉から遠い記憶を呼び覚まされた。一瞬で霧が晴れ、その懐かしい記憶だけを掴んでまたこちら側に戻ってきた…という感じだった。
 長野さんの作品を読んでいると、そんなことがしばしば起こる。いつも不意打ち。思いがけない言葉が飛び込んできて、勝手に記憶を呼び覚ます。作品と記憶の中で重なりながらどんどんイメージが膨らんでいくので、その度に頁を繰る手を止めなければならない…。
 美しい単行本に目のない私が、指をくわえて眺めていたこの一冊。いわゆるBLなのだろうなぁ…と言うのが踏み切れない理由だった。『雨更紗』とか『サマー・キャンプ』は大好きだから、そんなに敬遠しなくても良かったのだけれどね。

 この物語に棲んでいるのは、長野作品でお馴染みの少年たちではありません。実際の年齢はよく分からない人物もいますし、一番若い市村岬が学生です。 
 けれども彼らも長野ワールドの住人、美少年たちと同じようにどこか不思議で非日常的な存在です。その中で唯一普通そうな市村青年は、その分“異”なものを引き寄せ“奇”なことに遭遇する才能には恵まれているのですから、難儀なことです(でも実は…)。

 ウヅマキ商會(その実態は、雨漏り診断などをする“何でも屋”)を営む橘河の正体は、タマシイを拾い集める“あめふらし”という存在で、社員の仲村の正体もなかなか普通じゃない。そんな会社で得体の知れないアルバイトをすることになったのが、タマシイを掴まれている市村青年でした。
 ウヅマキ商會には種種雑多な依頼が持ち込まれるのですが、その依頼人やら関係者やら、どうも怪しい。こっちの者ともあっちの者とも判断しかねる…人たちばかり。まあ何しろ社長の橘河が誰よりも海千山千なので、自ずとそうなってしまうのでしょう。仕事を言い付かった市村青年はいつも、いつの間にか厄介な事態に巻き込まれているのでありました。

 ふと気がつくと易々と時空を飛び越えている。ひょいと足を踏み入れたそこには、異界のモノたちがうごめき潜んでいる。そんな長野ワールドが、存分に堪能出来る作品でした。極上の幻想譚です。
 (2007.11.9)

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