お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
和真が因数分解の問題を持ってくる・・・わかりませんとポツリ。一瞥して雅樹(津1年)に振る・・・難しそうだったからだ。
結局は雅樹が解けず二人で考えるはめになる。・・・こんな難しい問題を中学でさせなくともと思う。
今から19年前、西郊中で100点を取らせたくなかったのだろう・・・高1の対象式因数分解が出題された。(a-b)(b-c)(c-a) みたいな答だった。・・・まさか同じ先生やないやろね。
今日のサポートは沙耶(27期生・三重大学教育学部2年)。
本棚のこっち側。
向こう側では留奥(三重大学医学部4年)の化学が始まる。
今日の英語は流れるか・・・。
依功子からメール・・・体には十分気を付けてボチボチとやってききましょうね、お互い若くないから。・・・わかりました。
功太郎の諮問試験・・・原子と化学式周辺。香海中は5月11日と12日が中間試験。来週明けには試験範囲の発表のはず。理科の範囲がどこまで延びるか。
高校生の本棚のこっち側では貴之が陽妃に数学を教えている。
そして今日も中1と中2と中3と高1が混ざり合うかたちで1日が始まる。
できれば今夜、日曜日に渡した英語の解説を3番か4番までやりたいんやけどな・・・。
「先生、私もう45歳なんよ」と依功子が言う」 ついつい初めて会った時の印象、目力が強くてよく笑っていた15歳の頃を思い浮かべる。
注文するのに時間がかかる。注文するのを忘れて話し込んでいたからだ・・・店員さんは優しい。入った時は客は俺たちだけだったが、注文する頃には込み合ってきている。とりあえずは注文・・・煮魚定食、1620円。
それからずっと話しっぱなしだ。食事が運ばれてきても延々と、両親の話や弟の話、そして依功子の二人の息子の話・・・一人は社会人3年目、もう一人は皇學館高校へ進学した。
上の子どもは新しい環境にまだまだ慣れないようで家では愚痴も出る。どこでも同じだ。下の子はバスケが好きで、バスケが強い高校を志望した。ミニバスやってた連中が皇學館にはいっぱいいる。そんなバスケの強い選手といっしょにプレーしたい。レギュラーにはなりたいが、なれなくとも後悔はしない・・・奇特な子どもだ、ウチにはいない。
「ここ最近は無理が効かなくなった。できない自分が歯がゆく感じた。でもできない自分を労わってやろうと考えるようになった。できないことは無理しない、できないことで落ち込まない、できない自分を認めてやる。亭主もそんな私を認めてくれるようになった。私は私で今の亭主を認めようと思った。20年かけて少しずつ夫婦になってきて、今になってお互いがお互いを理解できるようになってきたと思う」
20年間の結婚生活を経た今、依功子は見事に清濁併せ飲む母親になっていた。
31年前に何の経験もなく塾を始めた。今までため込んできた本を置く場所が確保できてラッキー・・・そんな程度の動機から塾を始めた。一応広告を打ってはみたが、反響に関しては期待してなかった。広告なんかを見るとウチなんかより遥かに立派そうな塾がこの地区にはたくさんあった。それでも13人の生徒が入ってくれた。依功子はそんな13人のなかの一人だった。
漁協が経営している『魚々味(ととみ)食堂』で。
明日は女子会だとか。里恵(7期生)が新潟で梅酒を調達してきてくれて、奥さんと飲むそうです。参加ご希望の方は連絡ください。
福井の思い出・・・
右からシュウちゃん、俺、アキラの親父、セトヤマ君、ボッチ・・・昭和31年生まれ。アキラの親父に言わせりゃ、「申年生まれのフレンズ」となるんだろうが・・・。
この時刻、ウチの塾には新進気鋭の塾の経営者が密航者となる。
大萱先生、ウチの生徒を教えてくれる。
そして大萱先生の盟友・・・三重大学の生物資源のドクター。お礼はまた改めてお会いした時に。
そして翌日、南草津駅の近くの『モクモク』にて。
俺、ノンアルコール・・・
今回のランデブーは直樹(28期生・立命館大学経済学部1年)の様子を探る旅だった。依然として気は利かないのでダメ押しの連鎖。ともあれ新しい環境に慣れてきたようで安心する。
大貴(26期生・立命館大学工学部3年)のほうは今年は大事な年となる。院進学か就職か・・・インターンシップに応募するかどうか、せめぎあいの夏を迎える。
大貴は5月3日と4日に塾に来るとか・・・最近やたら大学生になった潤奈(27期生・三重大学医学部看護2年)に会いたいとか・・・。マージャンもスマホでやってるとかで、面子が集まるといいねえ。