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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ルリマツリ(瑠璃茉莉)の花

2009-08-21 | 
今日は夏の花で、炎天下の気候の中でも次々と花をつける「ルリマツリ(瑠璃茉莉)」の花をご紹介します。

「ルリマツリ(瑠璃茉莉)」はイソマツ(磯松)科ルリマツリ属の蔓性常緑小低木で、原産地は南アフリカの喜望峰地方と言われています。
春~秋にかけての長期間、涼しげな薄青色の花をたくさん咲かせますので、夏には欠かせない花で、夏の花として人気があります。

・我が家の庭のフェンスに咲いている「ルリマツリ」です。


この花の名前の由来は、花色が瑠璃色で、ジャスミン(茉莉花・マツリカ)に似た青い花を咲かせることから付けられたと言われています。
細長い茎の先端に、花筒の長さ約4cm、花径2cm~2.5㎝の高杯(たかつき)形の5弁の花を5~10輪集合させて咲かせます。



また、この花の別名は「plumbago(ブルンバコ)」と言います。
「plumbago(ブルンバコ)」は、鉛を意味するラテン語の「plumbum(プラムンバム)」が語源となっており、その由来は、この植物が鉛中毒の解毒に効くことからつけられたようです。
アフリカでは薬草として頭痛、イボ、骨折、皮膚の傷などの民間薬に利用されているとのことです。





この花は一般的に耐寒性が弱いとされていますが、0度以下でも地下茎は枯れることはなく越冬できるようです。



・「花言葉」 密かな情熱、同情
・なお、ルリマツリ(瑠璃茉莉)は9月2日の「誕生花」になっています。




「カラスウリ(烏瓜)」の花後

2009-08-20 | 
7月14日に、私が住んでいる泉州・熊取:山の手台住宅地のはずれにある、竹やぶの雑草の中に咲いていた「カラスウリ(烏瓜)」の花をご紹介しましたが、今日はその「カラスウリ(烏瓜)」の花後をご紹介します。

・7月14日にご紹介しました「カラスウリ(烏瓜)」の花です。


「カラスウリ(烏瓜)」の名前の由来
一般的に、秋に赤く熟した実を烏が好んで食べることからと言う説が主流のようですが、他にも「唐朱瓜(からしゅうり)」が変化したとの説もあるようです。
「唐朱瓜(からしゅうり)」とは、秋に赤く熟した実の色が、唐より伝わった朱墨(顔料)に似ていることから、”唐より伝わった朱の色をした瓜”と言うことで「唐朱瓜(からしゅうり)」と言われているものです。

・これは夜明けと共に萎んだ「カラスウリ(烏瓜)」の花と蕾です。


なお、「カラスウリ(烏瓜)」の蕾は開花前から雄花、雌花の判別ができるようです。
雌花には、ウリ科特有の子房が花茎の根元についています。
雌しべは雄しべの花粉を受粉することによりこの子房が肥大化し、「カラスウリ(烏瓜)」の実に成長します。

参考までに、雌花の子房の画像を「野原うた」 さんのブログよりお借りしましたのでご紹介します。

(参考)「野原うた」 さんのブログより


8月10日、その後の「カラスウリ(烏瓜)」を観察に行きました。
子房が肥大化し、白い縞模様のある緑のきれいな瓜が実っていました。

・受粉後、花茎の根元の子房が肥大化し、「カラスウリ(烏瓜)」の実となっていました。


・青いうちは白い筋があります。この後、秋には赤く色づきます。


・上記の緑の瓜は、秋になるとこのように赤く熟したきれいな「カラスウリ(烏瓜)」に変わります。
      ファイル:Trichosanthes cucumeroides fruit.jpg

ラグビーボールのような赤い実の中には無数の黒い種があり、その形が”打ち出の小槌”に似ていることから、財布の中に入れて携帯すると、富に通じる縁起物として扱われることがあるようです。







「ケイトウ(鶏頭)」の花

2009-08-19 | 
今日は私の畑に植えている「ケイトウ(鶏頭)」の花をご紹介します。

ケイトウはヒユ科の一年生植物で、夏から秋にかけて赤、ピンク、黄色などの花穂ができます。
原産地はアジア、アフリカの熱帯地方といわれており、日本には古くに渡来したようです。



名前の由来は、花穂が鶏の鶏冠(とさか)のような形状をしていることからつけられたようであり、英名でも同様に「cocks-comb(鶏のとさか)」と呼ばれています。

・これは「トサカ鶏頭」です


「ケイトウ(鶏頭)」は花序の形態によって次の4系統に分類されます。 
 ・トサカ系    (トサカゲイトウ)、
 ・クルメ系    (久留米ゲイトウ)、
 ・プルモーサ系  (羽毛ゲイトウ、房ゲイトウ)、
 ・チャルジー系 (槍ゲイトウ、玉咲きゲイトウ)

・これはチャルジー系の「槍鶏頭」です。


ケイトウには薬効があるようです。
「ケイトウの薬効」(eーyakusou.comより)
下痢止め
 乾燥した鶏冠花(けいかんか)を崩して粉末にし、1回4~8gをそのまま空腹時に水で服用します。
・子宮出血
 乾燥した種子鶏冠子(けいかんし)を炒って、1回3~5gを食後30分ころにそのまま水で服用する。
・凍傷
 ただれがひどく出血するような場合は、鶏冠花(けいかんか)10~15gを砕いて0.4リットルの水で煮出した汁で患部を洗う。
・ネズミ防除
 全草の陰干ししたものを室内でいぶすと、その臭いを嫌って数ヶ月間ネズミが室内に入らないといわれています。


・古くに渡来したケイトウは、万葉集にも次のように詠われています。

   「わが屋戸(やど)に 韓藍(からあい)蒔き生(おほ)ほし 枯れぬれど
                  懲りずてまたも 蒔かむとそ思ふ」  
山部赤人(万葉集、巻三-384)
(注)この韓藍(からあい)は「鶏頭」の別名だそうです。
(釈)我が家の庭に韓藍(からあい)の種を蒔いて育て、それがもう枯れてしまったが、性懲りもなくまた蒔こうかと思っている。
   直訳はこのようですが、本音は、あきらめきれない好きな人にもう一度自分の思いをぶっつけてみようとの事のようです。
   赤人の恋心が鶏頭の花の緋色のように激しくもえていたようです。
   


また、江戸俳諧中興の祖といわれる「与謝蕪村」も、鶏頭(けいとう)について次の句を残しています。牧水の歌と共にご紹介します。

   「秋風の 吹きのこしてや 鶏頭花」   与謝蕪村

   「わが小庭 たふれて咲ける 鶏頭も 散りこぼれたる 萩もひさしき」 若山牧水







パイナップルリリー(ユーコミス)の花

2009-08-18 | 

今日は私の畑に咲いている「パイナップルリリー」の花をご紹介します。

「パイナップルリリー」は英名での呼び名です。学名は「ユーコミス」といい、英名と共に学名でも呼ばれることが多いようです。
原産地は中央アフリカから南アフリカと言われ、日本には明治の終わり頃に渡来し、「ホシオモト(星万年青)」の名前がつけられています。

・星のように小さな花をたくさん咲かせることから和名の「ホシオモト(星万年青)」の名前がつけられている「パイナップルリリー(ユーコミス)」の花です。


「パイナップルリリー」は、ユリ科(ヒアシンス科)の球根植物で、草丈は40cm~1m超にもなり、夏には40~50輪の小さな花が花茎に沿って穂状にたくさんつきます。
その頂点に小さな葉がつく姿がパイナップルに似ていることから、「パイナップルリリー」の名前がつけられたようです。
花色は淡緑色や白色などが主流で、夏には爽やかでトロピカルな気分を醸し出してくれる花です。

・パイナップルのような形態をした、珍しい「パイナップルリリー」の花です。


この花は、別名を「エウコミス」と言い、ギリシャ語で「美しい頭の毛」と言う意味だそうですが、これは花茎の頂点に小さな葉がたくさんついている形状に由来しているそうです。

・ギリシャ語で「美しい頭の毛」と言われる花茎の頂点についている小さな葉です。葉の下には穂状に咲いている花が見えます。


葉の縁は波状をしており、この葉がロゼット状に叢生し、中央に40cm~60cmくらいの花茎を出して、淡緑白色の花を総状に多数つけます。
その先端には花をつけない苞葉がたくさんついて、パイナップルの雰囲気を出しています。

・波状の葉がロゼット状に叢生している「パイナップルリリー」の葉です。


「パイナップルリリー」は耐寒性、耐暑性に強く、冬でも屋外で越冬が可能です。
また、余り手入れをしなくても毎年花を咲かせてくれますので、どなたでも手軽に楽しめる花だと思います。

「花言葉」  完全、完璧





「五山の送り火」の起源について

2009-08-17 | 伝統行事

16日の昨夜、京都では夏を代表する風物詩である「大文字五山の送り火」が行われました。
今日はこの「大文字五山の送り火」について調べて見ました。

この「五山の送り火」は、京の夏の夜を焦がす京都の名物行事・伝統行事といわれ、葵祭、祇園祭、時代祭と共に京都四大祭りの一つとされています。

「送り火」としては東山・如意ケ岳の大文字が最もよく知られており、送り火の代名詞のように言われていますが、そのほかに
 金閣寺大北山(大文字)の「左大文字」、
 松ヶ崎西山(万灯篭山)と東山(大黒天山)の「妙・法」、
 西賀茂船山の「船形」、
 嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これら五つの山々に順次点火されて「五山の送り火」と呼んでいます。

送り火は、再び彼岸にかえる精霊を送るという意味を持つ宗教的行事で、これが一般庶民を含めた年中行事として定着するようになったのは室町時代から江戸時代以降と言われています。
古くは、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送っていたと言われていますが、、現在の「五山の送り火」は、山において点火されると言う精霊送りの形態をとっています。   (京都市観光教会のHPより)

「大文字」
  
  (京都新聞HPより)
 元々は、一帯の山塊を「如意ケ岳」と呼んでいましたが、現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、最高点である主峰(472m)を「如意ケ岳」と
 呼んでいます。
 起源はについては次の三つの説があるようです。
 1.平安時代初期に弘法大師が始めたとする説
   かつて大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際に本尊・阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放った。
   この光明を真似て実施した火を用いる儀式を、弘法大師(空海)が大の字に改めたと言う説。
 2.室町時代中期に足利義政が始めたとする説
   1489年(延徳元年)、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めたと言う説。
 3.江戸時代初期に近衛信尹(のぶただ)によって始まったとする説。
   以上のの3つの説が伝えられているそうです。

・「妙・法」
   
  (京都新聞HPより)                 
 「妙」は西側に位置する松ヶ崎西山(万灯篭山)、「法」は東側の東山(大黒天山)に点火されます。
 起源については、「妙」は鎌倉時代末期の、徳治2年(1307年)、松ヶ崎の村民が法華宗に改宗したとき、日像(日蓮宗の僧)が西の山に向かって「妙」の字を書き、
 それを基に地元で山に点火を始めたのが起こりとされています。
 一方、「法」は、約350年前の江戸時代初期から行われたとされ、当時は地域の西側にしか送り火がなかったことから、下鴨大妙寺の日良が東の山に向かって
 「法」の字を書き、これにならって火をともしたのが始まりと伝えられているようです。

・「舟形」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市北東部の西賀茂船山(妙見山)に点火されます。
 船形の起源は、承輪14年(847年)、唐からの帰路に暴風雨にあった、西方寺の開祖・慈覚大師・円仁が「南無阿弥陀仏」と唱えたところ無事到着できたことから、
 その船を型どって送り火を始めたとも伝えられているそうです。

・「左大文字」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市西部の金閣寺大北山(大文字)にあり、字形は「右大文字」と酷似していますが、規模から点火手法まで全ての面で異なるそうです。
 起源は、1662年(寛文2年)刊行の案内書には記述がなく、「大文字」「妙・法」「舟形」の3山より遅れて登場したと考えられているようです。
 「大」の字に一画加えて「天」とした時代もあったといわれています。

・「鳥居形」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市西部・北嵯峨の曼荼羅山に点火されます。
 起源については、弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも伝えられています。
 鳥居の形から愛宕神社との関係も考えられるようです。

13日の迎え火で始まった今年のお盆の行事も、16日の昨夜、再び霊を彼岸に送るための送り火を焚いて、お盆(盂蘭盆会)の行事がが終わりました。

皆様方には、先祖や故人の供養が無事終わりましたでしょうか?



「ソラナム・ラントネッティ」の花

2009-08-16 | 

今日も私が住んでいる大阪・熊取、山の手台住宅の遊歩道に咲いる花、「ソラナム・ラントネッティ」の花をご紹介します。

この花は、ナス科ナス属の落葉低木で、南アメリカのアルゼンチン~パラグァイが原産と言われています。
濃い紫の星形の5本の筋が入っているのが特徴で、小さな青紫の花をたくさん咲かせます。

・星形の5本の筋が入っている「ソラナム・ラントネッティ」の花です。


ソラナム(solamen)はラテン語で鎮痛を意味し、ナス科の総称として使われているようです。

・(参考) これは私の畑に咲いているナスの花です。どちらもナス科ということでよく似ていますね。


樹高は20㎝~200cmほどになり、株も大きくなると2mくらいになって横に広がります。
耐寒性に弱く、暖地で育てると花茎2.5~3㎝の小さな青紫の花が株いっぱいに覆うように咲き、大変見応えがあるようです。

・遊歩道に植えられている「ソラナム・ラントネッティ」の花です。枝が横に広がっていますが、剪定してこんもりと育てると株を覆うように花が咲きます。


葉は互生し、卵形の楕円形をしています。
挿し木で増やすことができ、成長力が強く、耐寒性に弱いので、鉢植えで暖かい場所に移動させながら花を楽しむ人が多いようです。

・互生している「ソラナム・ラントネッティ」の葉です。


最近では「紫宝華(しほうか)」と呼ばれる、葉に班が入った品種もよく栽培されているそうです

・葉に班が入った品種の「ソラナム・ラントネッティ」の花です。。(Naoka engei Online shop より)





「終戦の日」と「終戦」の定義

2009-08-15 | 時事
今日8月15日は、64回目の「終戦の日」で、「終戦記念日」です。

そこで今日は「終戦の定義」について調べて見ました。
終戦とは、戦争を終えることで、国際法的には戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態を指します。

我が国における「終戦の日」とは、太平洋戦争が終わった日で、現在、日本では、昭和天皇が国民に終戦を告げる「玉音放送」が行われた8月15日を指しています。
このことから、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、一般には終戦記念日」や「終戦の日」と称し、政府主催の「全国戦没者追悼式」や政治団体、NPOなどの主催で平和集会が開かれています。

今朝の新聞にも、日本政府は
  「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」
  「国民の皆様には職場や家庭などで戦没者に対して正午から一分間の黙祷をお願いします」
と広報しています。

ところが、「終戦」の定義には、次の4通りがあり、国際的には必ずしも8月15日が「終戦」ではないようです。
1.1945年(昭和20年)8月15日
  先に書いたように、日本軍の戦争当事者である昭和天皇が、戦争の終結を国民に告げる玉音放送が行われた日で、日本では、この日を一般的に「終戦記念日」
  や「終戦の日」と称しています。
  イギリスでも、この日を「V-JDay」とし、韓国では光復節と称して、日本の植民地支配から解放された「祖国解放記念日」としています。

.1945年(昭和20年)9月2日
  連合国に対してポツダム宣言受諾の降伏文書に正式に調印した日で、この日が終戦の日であるとしている国もあります。
  日本では、米軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までは、この日を「降伏の日」、「降伏記念日」、「敗戦記念日」と呼んでいたようです。
  反対に、アメリカやフランスではこの日を、対日戦勝記念日としており、カナダでもこの日を「V-JDay」としています。

3.1952年(昭和27年)4月28日
  日本本土において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日で、日本では、この日は「主権回復の日」とも言われています。
  国際法上の戦争終結は、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効したこの日をもって正式に終戦の日とされます。

4.1972年(昭和47年)5月15日
  沖縄においては、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日です。
  上記(3)の日本本土における米軍の占領が終わっても、更に、その後20年も米軍の占領が続いたことから、沖縄では「屈辱の日」と呼ぶ人もいるようです。

「学校の教科書における終戦の日」
 学校の教科書における終戦の日については小・中学校と高等学校で異なっているようです。
 小学校や中学校の社会科教科書の多くは、戦争終結を8月15日と記しているようですが、高等学校の日本史の多くの教科書では、戦争終結を9月2日としている
 そうです。

このように「終戦」を意味する対日戦勝記念の日は各国によって異なっていますが、少なくとも敗戦国の日本は、学校の歴史教育の中では、「終戦の日」は8月15日に統一して欲しいものです。


(一口メモ)
 「玉音放送」とは
 「玉音」とは天使の声のことで、「玉音放送」とは天皇陛下の肉声(玉音)を放送することです。
 昭和20年8月15日の「玉音放送」の冒頭は、「朕は帝国政府ヲシテ、米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・・・・・・・・・・」
 「堪ヘ難キヲ堪へ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」の部分が特に印象づけられて有名です。




「ムラサキシキブ」の花と「紫式部」

2009-08-14 | 

私が住んでいる大阪・熊取の山の手台住宅の遊歩道に「ムラサキシキブ」の花が咲いています。
今日はこの「ムラサキシキブ」の花と、名前の由来となっている源氏物語の作者・「紫式部」についてご紹介します。

・これが「ムラサキシキブ」の花です。


「ムラサキシキブ」は熊葛(くまつづら)科、カリカルバ属に属する落葉低木で、日本では北海道南部から九州に至る山野に広く分布しています。
原産地は日本、台湾、朝鮮半島、などの東アジア一帯の地域です。
樹の高さは2m~3mくらいまで成長し、小枝は水平から斜上に伸び、葉は長楕円形で細かい鋸葉があります。

・たくさんの枝を斜上に出している「ムラサキシキブ」の木です。


花は、淡紫色の小花が散房花序をつくり、葉の付け根から対になって出て、7月頃に芳香のある小さな花を多数つけます。節ごとにまとまってつけるので満開時期には見応えがあります。
秋には径3~4㎜の球形の果実が熟して紫色になり、まるで花のように美しく見えます。

・秋に紫色に熟したムラサキシキブです。(花300comより)


名前の由来は、紫色の実の清楚な美しさを、平安時代の才女の紫式部に例えてつけられたといわれていますが、元々は紫色の実をびっしりつけることから、紫敷実(ムラサキシキミ)と呼ばれていたものが、いつの頃からか紫式部を連想させて「ムラサキシキブ(紫式部)」になっていったともいわれています。
(参考)
「シキミ」とは、重なる実で、実がたくさんなるという意味です。

・咲きかけた「ムラサキシキブ」の花と蕾です。


・葉は長楕円形で細かい鋸葉があります。


「紫式部」
平安時代中期の作家、歌人で、『源氏物語』の作者と考えられており、中古三十六歌仙の一人です。
紫式部の本名は不明といわれていますが、藤原北家の出で、女房名は「藤式部」だそうです。
また、紫の名称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来するようです。

・「ムラサキシキブ(紫式部)」の花の名前の由来となっている平安時代の美女「紫式部」と小倉百人一首に撰ばれている歌です。
     


 「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな」 紫式部(百人一首・57)
  (釈) 久しぶりにめぐり逢って、あの人かどうか見分けもつかない間に、急いで帰ってしまわれた。あなたはまるで雲に隠れてしまった夜中の月のようですね。

(一言メモ)
・「女房および女房名」
 女房とは、平安時代から江戸時代までの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人で、その女房が出仕に当たって名乗る名前が
 「女房名」です。主人や同輩が呼ぶために実名とは別につけていたようです。
「中古三十六歌仙」
 「中古三十六歌仙」とは、三十六歌仙の後に称されたもので、三十六歌仙には選ばれなかったが、秀でた歌人とそれ以降の時代の歌人が選ばれています。
「紫の上(むらさきのうえ)」
 『源氏物語』のヒロインで架空の人物です。始めは「紫の君」で、後に光源氏の妻となって「紫の上(むらさきのうえ)」と呼ばれています。



月遅れの「お盆」について

2009-08-13 | 伝統行事

今日8月13日から16日まで、月遅れの「お盆」になります。
そこで今日は「お盆」について調べてみました。

お盆は、旧暦の7月15日を中心に日本で行われる祖先の霊を祭る一連の行事で、古神道における先祖崇拝の儀式や神事に、仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」が
習合して現在の形ができたと考えられている先祖供養の行事です。

「盆の期間」
盆の期間は、旧暦7月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間を言い、この期間に生前過ごした家に帰ってくるとされる祖霊や近親者の霊を迎えて供養
します。
現在では、新暦の7月13日から16日が「お盆」で、8月13日から16日は「月遅れのお盆」といわれています。

「お盆の行事」
・迎え火(13日)

 盂蘭盆の初日の夕方に、祖先の精霊を迎えるために焚く火で、門前でおがら(麻の皮をはいだ茎)を焚くのが一般的のようです。
 故人を家に迎え、その後、棚経といって僧を招いて読経し供養します。
 
・供養(14日~15日)
 仏壇の前にお供え物で飾った精霊棚を設けて供養します。
 精霊棚には、位牌、盆花、線香立て、蝋燭立て(灯明台)、リン(かね)を始め、精進料理、季節の野菜や果物、水入れ(浄水の器)、小餅、白玉だんご、素麺、
 菓子などとともに「胡瓜で作った馬」と「茄子で作った牛」を並べます。
 「胡瓜の馬」は先祖の霊が盆提灯の明かりや迎え火の煙に導かれて迷わず馬に乗って帰ってくるとされ、「茄子の牛」は送り火の煙と共に牛に乗って帰っていくと
 されています。
 「往きの馬」は、馬を使って一刻も早く帰ってきて欲しいとの願いから、「帰りの牛」は牛を使ってもらい、あの世には少しでもゆっくり帰って欲しいとの願いが込め
 られているそうです。

・送り火(16日)
 盂蘭盆の最終日(16日)に祖先の精霊を彼岸に送るために焚く火を言います。有名なものに京都五山の送り火があります。
 また、川へ送る風習のところもあり、この場合は灯籠流しが行われます。

・盆踊り(16日)
 15日の「盆」の翌日、即ち16日の晩に寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを盆踊りと言います。
 この踊りは、地獄での受苦を免れた亡者たちが喜んで踊る状態を模したと言われています。

「盂蘭盆(うらぼん)」
「盂蘭盆(うらぼん)」とは、梵語のullambana(ウラバンナ)が倒懸と訳されて、逆さ吊りの苦しみの意味とされ、「盂蘭盆経」の目連(もくれん)説話に基づき、祖霊を死後の苦しみから救済するための仏事です。
7月13日から15日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊、新仏、無縁仏(飢餓仏)、に供え冥福を祈ります。

「盂蘭盆経」の目連(もくれん)説話とは
『餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいる母を救うために、お釈迦様の弟子であった目連尊者(もくれんそんじゃ)が、お釈迦様の教えに基づき、夏の修行期間の明ける7月15日に、多くの僧たちに飲食物を捧げて供養を営み、功徳を積んだことにより母が救われた』と言う教えです。
 
「お盆の名前の由来」
お盆の名前は、仏教用語の「盂蘭盆(うらぼん)」の省略形として「盆」と呼ばれるようになったそうです。

「お盆の起源」
盆の明確な起源は分かっていないようですが、推古天皇の606年頃に始まり、鎌倉、平安時代には定着したと言われています。
当時は、1年に2度、初春と初秋の満月の日に、祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流するという行事があったようです。

そして、初春のものは祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭りとなり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行われるようになったと言われ、8世紀頃には、夏に先祖供養を行うと言う風習が確立されたと考えられているようです。
しかし、その形態は地方や仏教の宗派によって異なっています。

「浄土真宗のお盆」
浄土真宗においては、死後先祖はすべて浄土に往生していると説いているので、先祖供養という意味合いはなく、迎え火も送り火も焚きません。
また、他の宗派のように僧侶の盆回向を「棚経」と言わず「報恩感謝」と言い、阿弥陀如来のご恩と先祖の恩に感謝を新たにします。

 
(一言メモ)
・お盆の行事は、江戸時代に入ると民間行事として盛んになり、「盆礼」と言って親戚、知人の家を訪ねて進物を贈答するようになります。
 その「盆礼」が現在の「お中元」に繋がっていると言われています。




「マクワウリ(熊取瓜)」の収穫

2009-08-12 | 家庭菜園
全国各地にはその土地独自の野菜があります。大阪で言えば、例えば、天王寺かぶら、田辺大根、毛馬胡瓜、泉州地方の水ナスなどです。
これらの野菜は大阪独自の野菜です。特に水ナスは泉州以外では育たないと言われています。

私の住んでいる大阪南部の熊取地方でも、昔から地元の人が栽培している果実的野菜のマクワウリ、通称「熊取瓜」があります。
私は数年前からこの「熊取瓜」を栽培していますので、今日はこの「熊取瓜」をご紹介します。

・これがマクワウリの一種「熊取瓜」です。


「熊取瓜」は肉厚で濃い甘味があり、タイムリーに収穫すればメロンに引けを取らないくらい美味しいマクワウリです。
果実の形は、一般に見られる丸型やラグビーボールのような楕円形ではなく、上部より下部が大きなひょうたん型をしています。
表面は青い縞模様があって、熟してくると白色になり、更に僅かに淡黄色に変わってきます。その頃が収穫時期となります。
しかし、その前に傷ついたところや上部にヒビが入り、その箇所から腐敗してきます。
思惑通り、タイムリーな収穫ができない、栽培の難しい野菜です。

「熊取瓜」について調べてみましたが、インターネット上に見つかりませんでした。
福井県地方で漬物用に栽培されている「かわず瓜」や「縞瓜(しまうり)」によく似ています。
これらから品種改良されたのでしょうか?(かわず瓜と縞瓜(しまうり)は、下記をご参照ください)

(参考)
・これが「かわず瓜」です(奈良県:sakkoさんのブログより)


・これは伊豆大島産の「縞瓜」です(東京の野生ニホンザル観察の手引きより)


このマクワウリ(熊取瓜)は収穫時期の特定が難しく、なかなかタイムリーに収穫できません。
早く収穫すれば甘味がなく、少しでも遅れるとひびが入ってそこから腐敗してきます。

・小さなひび割れが発生し始めたので、早めに収穫した「マクワウリ(熊取瓜)」です。


・収穫には少し早いようです。 タイムリーに収穫されていれば、果肉がもう少し淡黄色になります。


・メロンは収穫後追熟させて食べますが、この熊取瓜はひびが入ると、そこから腐敗するので追熟ができません。肉厚で美味しいのですが、収穫時期が難しいのが
 欠点です。



「栄養と健康効果」
・マクワウリの栄養は、ブドウ糖、ショ糖、果糖などの糖分が主成分で、βーカロチン、ビタミンB1、B2、C、カリウムなどが含まれているそうです。
・このためエネルギーの補給に効果があるそうです。