今日8月9日は、64回目の「長崎原爆の日」です。
そこで今日は「長崎原爆の日」について調べてみました。
「長崎原爆の日」は「長崎原爆忌」とも言われ、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機「ボックス・カー」がプルトニウム爆弾「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の上空503mで炸裂したことに由来します。
長崎平和公園の平和の泉では、昨夜、約5000本のキャンドルを周囲に並べて火を灯す「平和の灯」のイベントが行われました。
そして今日9日は、平和公園で長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催され、被爆者と遺族らが犠牲者を悼み、市長が平和宣言を読み上げます。
・キャンドルに火を灯して犠牲者を追悼し、平和を願う「平和の灯」です。(時事通信より)
「長崎原爆投下の経緯」
6日の「広島原爆忌」に書きましたが、アメリカ軍の原爆投下の目的地点は、広島、小倉、長崎、新潟の順に行うことが決定されていました。
広島への原爆投下を終えたアメリカ軍は、第二弾として、当初決定されていたとおり、第一目標を小倉、第二目標を長崎とすることを確認し、出撃準備をしました。
原爆投下の任務を受けたアメリカ軍のB29爆撃機「ボックス・カー」は、第一目標地点の小倉に向けて出撃しました。
しかし小倉上空に達したときは天候が悪く、爆撃手は目視による投下目標の確認に失敗しました。
その後2度にわたり投下目標の確認に失敗し、約45分もの飛行中に残燃料に余裕がなくなったことや日本軍の対空攻撃が激しくなったことなどにより目標地点を第二目標の長崎に変更し小倉上空を離れました。
長崎も天候が悪かったようですが、市街中心部から約3km北よりの地点で一瞬の雲の切れ目ができ、目視による投下が可能となって、高度9000mから原子爆弾「ファットマン」を手動投下しました。
そして、投下1分後の11時2分、長崎市松山町の上空、高度503mで炸裂しました。
・平和祈念像です。(長崎市の公園HPより)
この像は彫刻家・北村西望氏の作品で、昭和30年(1955年)に完成したそうです。
像の高さは9.7m、重さ30トンの青銅製で「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」との作者の言葉が刻まれています。
「長崎原爆の威力」
長崎の原子爆弾は「ファットマン」と呼ばれ、プルトニウム爆弾で、TNT火薬22キロトン分の威力といわれています。
これは、広島に投下されたウラン爆弾「リトルボーイ」(TNT火薬相当15キロトン)の1.5倍の威力であり、もし、最初の標的であった小倉に投下されていたならば、小倉市だけではなく隣接する戸畑市、若松市、八幡市、門司市など、現在の北九州市一帯と山口県の下関市まで被害が広がり、死傷者数は広島より多くなっていたのではないかと推測されているそうです。
長崎は、周りを山で囲まれた谷間の地形であり、この地形によって熱線や爆風が遮断され、爆弾の被害の拡大を防いだと言われています。
それでもこの日以降、数ヶ月で7万人もの人たちが亡くなり、その後亡くなった人を含めると15万人もの命が奪われたそうです。
「平和の鐘」
長崎平和の鐘は、魚雷や戦車などを生産する軍需工場で働いていたため、長崎原爆で亡くなった女学生ら犠牲者を悼むため、33回忌に当たる1977年(昭和52年)に建てられました。
この鐘は世界に向かって鳴らす[平和の鐘]で、9日には原爆投下のあった午前11時2分から鳴らされるようです。
・平和公園にある「平和の鐘」です。4人の子供(天使?)が鐘を支えています。 (写真提供:星野伸氏)