らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「五山の送り火」の起源について

2009-08-17 | 伝統行事

16日の昨夜、京都では夏を代表する風物詩である「大文字五山の送り火」が行われました。
今日はこの「大文字五山の送り火」について調べて見ました。

この「五山の送り火」は、京の夏の夜を焦がす京都の名物行事・伝統行事といわれ、葵祭、祇園祭、時代祭と共に京都四大祭りの一つとされています。

「送り火」としては東山・如意ケ岳の大文字が最もよく知られており、送り火の代名詞のように言われていますが、そのほかに
 金閣寺大北山(大文字)の「左大文字」、
 松ヶ崎西山(万灯篭山)と東山(大黒天山)の「妙・法」、
 西賀茂船山の「船形」、
 嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これら五つの山々に順次点火されて「五山の送り火」と呼んでいます。

送り火は、再び彼岸にかえる精霊を送るという意味を持つ宗教的行事で、これが一般庶民を含めた年中行事として定着するようになったのは室町時代から江戸時代以降と言われています。
古くは、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送っていたと言われていますが、、現在の「五山の送り火」は、山において点火されると言う精霊送りの形態をとっています。   (京都市観光教会のHPより)

「大文字」
  
  (京都新聞HPより)
 元々は、一帯の山塊を「如意ケ岳」と呼んでいましたが、現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、最高点である主峰(472m)を「如意ケ岳」と
 呼んでいます。
 起源はについては次の三つの説があるようです。
 1.平安時代初期に弘法大師が始めたとする説
   かつて大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際に本尊・阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放った。
   この光明を真似て実施した火を用いる儀式を、弘法大師(空海)が大の字に改めたと言う説。
 2.室町時代中期に足利義政が始めたとする説
   1489年(延徳元年)、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めたと言う説。
 3.江戸時代初期に近衛信尹(のぶただ)によって始まったとする説。
   以上のの3つの説が伝えられているそうです。

・「妙・法」
   
  (京都新聞HPより)                 
 「妙」は西側に位置する松ヶ崎西山(万灯篭山)、「法」は東側の東山(大黒天山)に点火されます。
 起源については、「妙」は鎌倉時代末期の、徳治2年(1307年)、松ヶ崎の村民が法華宗に改宗したとき、日像(日蓮宗の僧)が西の山に向かって「妙」の字を書き、
 それを基に地元で山に点火を始めたのが起こりとされています。
 一方、「法」は、約350年前の江戸時代初期から行われたとされ、当時は地域の西側にしか送り火がなかったことから、下鴨大妙寺の日良が東の山に向かって
 「法」の字を書き、これにならって火をともしたのが始まりと伝えられているようです。

・「舟形」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市北東部の西賀茂船山(妙見山)に点火されます。
 船形の起源は、承輪14年(847年)、唐からの帰路に暴風雨にあった、西方寺の開祖・慈覚大師・円仁が「南無阿弥陀仏」と唱えたところ無事到着できたことから、
 その船を型どって送り火を始めたとも伝えられているそうです。

・「左大文字」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市西部の金閣寺大北山(大文字)にあり、字形は「右大文字」と酷似していますが、規模から点火手法まで全ての面で異なるそうです。
 起源は、1662年(寛文2年)刊行の案内書には記述がなく、「大文字」「妙・法」「舟形」の3山より遅れて登場したと考えられているようです。
 「大」の字に一画加えて「天」とした時代もあったといわれています。

・「鳥居形」
  
  (京都新聞HPより)
 京都市西部・北嵯峨の曼荼羅山に点火されます。
 起源については、弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも伝えられています。
 鳥居の形から愛宕神社との関係も考えられるようです。

13日の迎え火で始まった今年のお盆の行事も、16日の昨夜、再び霊を彼岸に送るための送り火を焚いて、お盆(盂蘭盆会)の行事がが終わりました。

皆様方には、先祖や故人の供養が無事終わりましたでしょうか?