今日8月23日は二十四節気の一つ「処暑」です。
「二十四節気」とは、黄道(太陽が天球上を通る道)を黄経0度から15度ずつに刻み、太陽がその区分点を通る日付によって1年を24の期間に分け、それぞれの期間の季節的な特徴を表す名称をつけたものです。
簡単に言えば、1年を春、夏、秋、冬に分け、それぞれを更に6分割した24の期間に名前をつけたもので、古来中国から伝来して、日本でも季節の定めに重用されて今日に及んでいるものです。
「処暑」とは、その内の一節気で、中国の古書には「処は上声、止なり、暑気の止息するなり」とあるそうです。
つまり「処暑」とは暑さが収まる頃の意味で、昼間は未だ暑い日が続きますが、朝夕は涼風が吹き渡る初秋の候をさしているとされています。
暦便覧にも「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明しています。
私が住まいしている大阪南部の熊取では、8月の梅雨明け前から殆ど降雨がなく、連日30度以上の真夏日や最低気温が25度以上の熱帯夜が続いています。
しかし、処暑を迎える2~3日前から、明け方はちょっぴり涼しく感じるようになり、畑には「小さな秋」が見られるようになりました。
畑で見つけた「小さな秋」、秋の七草の一つになっている薄(ススキ)と、ススキを詠んだ歌と句をご紹介します。
・畑で見つけた「小さな秋」、ススキです。
・ススキを詠んだ額田王の歌です。
「秋の野の 美草(みくさ)刈りふき 宿れりし
宇治の京(みやこ)の 仮いほし思ほゆ」 額田王(万葉集)
(美草とはススキのことです)
(釈) 秋の野のすすき(美草)を刈り、屋根を葺いて宿った。あの宇治の仮宮の仮盦(かりいほ)のことが思われる。
・江戸中期の俳人・与謝蕪村の句です。
「山は暮れて 野は黄昏(たそがれ)の 芒(すすき)かな」 与謝蕪村
(釈) 遠い山はもう暮れてしまったけれど、手前の野原はまだ暮れずにすすきの穂が薄明かりの中で揺れている。