私が住んでいる大阪・熊取の山の手台住宅の遊歩道に「ムラサキシキブ」の花が咲いています。
今日はこの「ムラサキシキブ」の花と、名前の由来となっている源氏物語の作者・「紫式部」についてご紹介します。
・これが「ムラサキシキブ」の花です。
「ムラサキシキブ」は熊葛(くまつづら)科、カリカルバ属に属する落葉低木で、日本では北海道南部から九州に至る山野に広く分布しています。
原産地は日本、台湾、朝鮮半島、などの東アジア一帯の地域です。
樹の高さは2m~3mくらいまで成長し、小枝は水平から斜上に伸び、葉は長楕円形で細かい鋸葉があります。
・たくさんの枝を斜上に出している「ムラサキシキブ」の木です。
花は、淡紫色の小花が散房花序をつくり、葉の付け根から対になって出て、7月頃に芳香のある小さな花を多数つけます。節ごとにまとまってつけるので満開時期には見応えがあります。
秋には径3~4㎜の球形の果実が熟して紫色になり、まるで花のように美しく見えます。
・秋に紫色に熟したムラサキシキブです。(花300comより)
名前の由来は、紫色の実の清楚な美しさを、平安時代の才女の紫式部に例えてつけられたといわれていますが、元々は紫色の実をびっしりつけることから、紫敷実(ムラサキシキミ)と呼ばれていたものが、いつの頃からか紫式部を連想させて「ムラサキシキブ(紫式部)」になっていったともいわれています。
(参考)
「シキミ」とは、重なる実で、実がたくさんなるという意味です。
・咲きかけた「ムラサキシキブ」の花と蕾です。
・葉は長楕円形で細かい鋸葉があります。
「紫式部」
平安時代中期の作家、歌人で、『源氏物語』の作者と考えられており、中古三十六歌仙の一人です。
紫式部の本名は不明といわれていますが、藤原北家の出で、女房名は「藤式部」だそうです。
また、紫の名称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来するようです。
・「ムラサキシキブ(紫式部)」の花の名前の由来となっている平安時代の美女「紫式部」と小倉百人一首に撰ばれている歌です。
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな」 紫式部(百人一首・57)
(釈) 久しぶりにめぐり逢って、あの人かどうか見分けもつかない間に、急いで帰ってしまわれた。あなたはまるで雲に隠れてしまった夜中の月のようですね。
(一言メモ)
・「女房および女房名」
女房とは、平安時代から江戸時代までの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人で、その女房が出仕に当たって名乗る名前が
「女房名」です。主人や同輩が呼ぶために実名とは別につけていたようです。
・「中古三十六歌仙」
「中古三十六歌仙」とは、三十六歌仙の後に称されたもので、三十六歌仙には選ばれなかったが、秀でた歌人とそれ以降の時代の歌人が選ばれています。
・「紫の上(むらさきのうえ)」
『源氏物語』のヒロインで架空の人物です。始めは「紫の君」で、後に光源氏の妻となって「紫の上(むらさきのうえ)」と呼ばれています。
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