ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

ドラマをみて

2013-10-13 23:16:13 | Weblog
ねじれた絆~赤ちゃんの取り違え事件 真実の42年
2013年10月11日(金) 21時よりフジテレビ系列放送

実際に沖縄であった赤ちゃんの取り違え事件を
ある雑誌記者が取材にして本にしたもののドラマ化。
ドラマでは創作部分があるとのことです。

本は、福山雅治主演の「そして父になる」と参考文献になっております。



ネタバレありのあらすじ&感想です。



昭和46年に二人の女の赤ちゃんは生まれる。
一人は美由紀ちゃん。
美由紀ちゃんはクレーン運転手の父親と教育熱心な母親スミ子との間に
二人姉弟の長女として生まれる。


もう一人は初美ちゃん。
初美ちゃんは塗装工(板金工だったかも?)の父親と母親公子との間に
四人姉妹の長女として生まれる。
初美の両親は、貧乏であり字の読み書きがあまりできなかったらしい。


美由紀ちゃんの両親は、
美由紀ちゃんが幼稚園から渡された健康診断の結果に不審を抱く。
美由紀ちゃんの血液型はA型となっていた。
0型とB型の親からA型の子は生まれない。
また、産まれたときの血液検査の結果はB型だった。


産院の調査により、美由紀ちゃんと初美ちゃんは
産院で沐浴の時に取り違えられたことがわかる。
当時は、リストバンドをつけていたが、
材質が悪いため、沐浴時に外されることが多かった。
その後のつけ間違いにより取り違えが発生したのだった。

全国で報告されているだけで32件。
実際には報告されていない事例、気がつかなかった事例は
その10倍は取り違えがあったといわれている。



病院側は、実の子を育てるべきだという。
親としては、今まで育てた子を手放すつもりはないと思う。

しかし、ひと目みたいという思いがあり、
会ってみると自分に似ていて動揺してしまう。

親戚の意見は実子を育てるべきという。


そんなときに、雑誌記者の紹介で
子供を取り換えた親に会う。
小学3年生で取り換えて9ヶ月。
子供は育ての親に会いたいとは言わない。
子供には適応能力があるから大丈夫
という「報告」を受ける。

取り換えすることが決まった。


家族で遊んだりお泊りを繰り返して
小学校入学前に取り替えを行う。



初美ちゃんは、名前を真奈美と改めた。

真奈美は学校で名前を書く時
名前を書こうとはしなかった。

それは真奈美という名前を拒絶したわけではなく
単に文字を知らなかった。
ひらがなを書くという教育を受けていなかった。

教育はおろかしつけも教わっていなかった。
靴を脱いだらそろえるということ、
お箸の持ち方さえも教えられていなかったのだ。



一方、美由紀は、
ろくに字も書けない読めない親、
握り箸でごはんをかきこむ食べ方をする妹たち、
一人の時間もなく、それでいて放任の生活になじめなかった。

公衆電話から育ての親のスミ子に
学校であったことを報告することが日課となっていた。

いつまでたっても、自分のことを「おばさん」としか
呼ばない美由紀に弘子はいらだちを感じていた。

ついに美由紀と弘子は衝突して、
美由紀はバスを乗り継いで、スミ子の所へ帰ってしまう。


スミ子は、弘子の家の隣が空き家と知りそこに引っ越すことに。
両方の子供の顔がみられるようにとの配慮だったが、
美由紀はスミ子の家に入り浸る。


二人は同じ小学校、中学校に進む。

劣等感があった美由紀はひたすら真奈美と張り合おうとするが
いつも負けていた。
学力も体力もすべて真奈美の方が上だった。


中学三年生、進路を決める時
美由紀は進学したかったが自分の家の経済事情で
進学をあきらめるつもりだった。

そんなとき
「学がないことで苦しんだ両親だからこそ
 進学の大切さがわかっている」という
真奈美のアドバイスで、美由紀は初めて親に頭を下げる。


高校進学、卒業後、美由紀は東京で働くことに。



スミ子はいう
「子供を交換したことは後悔していない。
 最初から交換するつもりだった。
 ただ、取り違いにより美由紀に会えてよかった」と。



数年後、雑誌記者が沖縄を訪ねた時、
美由紀は真奈美の父の会社で働いていた。
真奈美は結婚して2児の母になっていた。


そして今年、美由紀が結婚することに。
入籍だけで式をあげていなかった真奈美と
いっしょに結婚式をあげた。

式場からみえる虹が二人を祝福していた。


今、美由紀(真奈美だったかも)は
夫の仕事の都合で福島(これも自信がない)にいて、
とどどきスマホのカメラ機能を使って
父親と話をするようになっていた。




という話です。
現在についてのあたりは透析の終了と重なっており
しっかりみていないのでかなり自信がありません。



ただ言えるということは
子供の順応能力です。

取り換え前にあった夫婦は
「子供は適応能力が高い」といっていた。

真奈美ちゃんは確かに高かった。
早く親になじんだ。

けれど、美由紀ちゃんはいつまで家族に
なじむことができなかった。

すべての子供に対して適応能力が高いわけではないようです。


実際、取り換えた後は、連絡を取り合わない。
遠方に引っ越してしまう親が多かったと聞きます。

もし、子どもが育ての親に会いたがっても
会えない環境を作り、順応させてしまおうということでしょうか。


福山雅治の映画は「そして父になる」のとおり、
父性を得るための話でした。
だから、美談的に終わっている。


けれど、弘子の苦しみは、すごかったと思います。
母性は女なら必ずあるものではない。
どんなにがんばっても子供と接することが苦手な人や
家事が苦手な人もいる。
なのに、育ての母と比較されて「おばさん」としか呼ばれない、
母と認めてもらえない苦しみは想像を絶するものがあります。

そして、そんな親もとへ送られた美由紀の納得できない思い。
生まれながらであれば、それなりにあきらめもつくことがあったと思う。

決して美談では済まされない話だと思います。

コメント
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