子供のころ、御嶽山の頂上まで登ったことがある。
当時は、御嶽山が死火山といわれていたころ。
死語の世界
死火山・・有史以来噴火活動がない火山 当時の御嶽山など
旧火山・・噴火活動が止まっている火山 当時の富士山など
活火山・・活動中の火山 当時の桜島など
死火山といわれていても
御嶽山の絵は、いくつかの煙が上がっている絵だったし、
地獄谷と呼ばれる硫化水素の匂いがするところもあって、
噴火の定義はなんだろうと思うことがあった。
御嶽山には、温泉もあって富士山よりも活動的にも思えた。
そして霊山であるなら、
なおさら火山活動があってこそ霊山といえる。
有史に残るような噴火でなく
火山灰を高く遠くまであげない小さな噴火とか
噴気活動があったのではないだろうか。
さて、元に戻って。
当時、父が御嶽山を信仰していた。
信仰といっても仏さんは仏さん、
神さんは神さんと共存していた。
ただ、神様は土地神さまに頼る代わりに
御嶽の神にすがったという感じ。
よって、先達に連れられて
「お山は快晴、六根清浄」と叫びながら
山の登ったのだった。
もちろん、御嶽山にあるいくつもの神社を回って
登るのである。
信者は行者の格好(私には白装束しか見えない)。
足元はわらじだったような気がする
私は運動靴と冬の服装で山を登った。
しかし、先達(行者)の高齢化と後継ぎがいないということで
講は成り立たなくなり、
父も病気して他の講に参加してまで御嶽山に登りたいという
気持ちもなくて、そのまま疎遠になり父は他界した。
今回の噴火で、
神社関係者や信者で山にいて被災した人がいないことに
疑問を思った。
神の御加護???
山頂の御嶽神社は8月末でご神体を里の神社におろすという。
それで社務所も締まっていて、
信者、神社関係者の被災はなかったようだ。
(行者の格好では10月の山は寒いよね。)
だから8月は信者でいっぱい(今の時代は知らないけど)で、
御払いが終わったらすぐに神社からでなくてはいけない
御嶽神社の境内でお弁当を食べることができたのだ。
(で。。被災した)
信者でない人でにぎわっていたから
神様が怒って噴火させたとは思いたくはない。
神様がいるという一の池が
自衛隊のヘリポートになったり。
信者は池に降り立つことはないと聞いた。
けれど、人命救助には非科学的なことは否定される。
いろいろ複雑な思いでニュースをみている。
私自身は、御嶽山を信仰していないけれど。
父が生きていたらどんな反応を示すか。
地域がらか、
昔は市内にいくつもの教会(講)があった。
けれど、行者や信者の高齢化が進んだことと、
医学が科学の進歩で困ったことは御祈祷で解決すると
いうこともなくなったし。
後継ぎがいても霊感がない行者の信者は離れて行く。
そういうことで教会は(講)は数を減らした。
私たちの世代はなんやかんやで御嶽山に
関わったことがある。
今の20歳代で「御嶽山を信仰して」といっても
知らない世代が大半だろう。
御嶽山信仰は今後どうなるだろうか。
以前の噴火のように何年か経ったら
山頂まで登れるようになっても、
頂上の御嶽神社にご神体が戻ることがあるんだろうか?
前回は何千年に一度の噴火。
次も何千年後とおもいきや35年で噴火してしまった。
そして、噴火した時の逃げ場所のない悲惨さを知った人は
山頂まで登っても良いといわれても登ることをためらうだろう。
科学が進んでも不思議な力がある「聖なる山」として
崇める山であってほしいと思う。
当時は、御嶽山が死火山といわれていたころ。
死語の世界
死火山・・有史以来噴火活動がない火山 当時の御嶽山など
旧火山・・噴火活動が止まっている火山 当時の富士山など
活火山・・活動中の火山 当時の桜島など
死火山といわれていても
御嶽山の絵は、いくつかの煙が上がっている絵だったし、
地獄谷と呼ばれる硫化水素の匂いがするところもあって、
噴火の定義はなんだろうと思うことがあった。
御嶽山には、温泉もあって富士山よりも活動的にも思えた。
そして霊山であるなら、
なおさら火山活動があってこそ霊山といえる。
有史に残るような噴火でなく
火山灰を高く遠くまであげない小さな噴火とか
噴気活動があったのではないだろうか。
さて、元に戻って。
当時、父が御嶽山を信仰していた。
信仰といっても仏さんは仏さん、
神さんは神さんと共存していた。
ただ、神様は土地神さまに頼る代わりに
御嶽の神にすがったという感じ。
よって、先達に連れられて
「お山は快晴、六根清浄」と叫びながら
山の登ったのだった。
もちろん、御嶽山にあるいくつもの神社を回って
登るのである。
信者は行者の格好(私には白装束しか見えない)。
足元はわらじだったような気がする
私は運動靴と冬の服装で山を登った。
しかし、先達(行者)の高齢化と後継ぎがいないということで
講は成り立たなくなり、
父も病気して他の講に参加してまで御嶽山に登りたいという
気持ちもなくて、そのまま疎遠になり父は他界した。
今回の噴火で、
神社関係者や信者で山にいて被災した人がいないことに
疑問を思った。
神の御加護???
山頂の御嶽神社は8月末でご神体を里の神社におろすという。
それで社務所も締まっていて、
信者、神社関係者の被災はなかったようだ。
(行者の格好では10月の山は寒いよね。)
だから8月は信者でいっぱい(今の時代は知らないけど)で、
御払いが終わったらすぐに神社からでなくてはいけない
御嶽神社の境内でお弁当を食べることができたのだ。
(で。。被災した)
信者でない人でにぎわっていたから
神様が怒って噴火させたとは思いたくはない。
神様がいるという一の池が
自衛隊のヘリポートになったり。
信者は池に降り立つことはないと聞いた。
けれど、人命救助には非科学的なことは否定される。
いろいろ複雑な思いでニュースをみている。
私自身は、御嶽山を信仰していないけれど。
父が生きていたらどんな反応を示すか。
地域がらか、
昔は市内にいくつもの教会(講)があった。
けれど、行者や信者の高齢化が進んだことと、
医学が科学の進歩で困ったことは御祈祷で解決すると
いうこともなくなったし。
後継ぎがいても霊感がない行者の信者は離れて行く。
そういうことで教会は(講)は数を減らした。
私たちの世代はなんやかんやで御嶽山に
関わったことがある。
今の20歳代で「御嶽山を信仰して」といっても
知らない世代が大半だろう。
御嶽山信仰は今後どうなるだろうか。
以前の噴火のように何年か経ったら
山頂まで登れるようになっても、
頂上の御嶽神社にご神体が戻ることがあるんだろうか?
前回は何千年に一度の噴火。
次も何千年後とおもいきや35年で噴火してしまった。
そして、噴火した時の逃げ場所のない悲惨さを知った人は
山頂まで登っても良いといわれても登ることをためらうだろう。
科学が進んでも不思議な力がある「聖なる山」として
崇める山であってほしいと思う。