計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

オーケストラと企業経営

2007年07月01日 | オピニオン・コメント
 最近のミートホープやコムスンの状況を見て感じたのは従業員をぞんざいに扱う会社は決して長続きしない、と言うことです。

 特に最大株主を兼ねるオーナー経営者という立場はいわば、その会社では神の様に絶対的な存在です。極端な話、従業員がワーキングプアの状態になろうとも、精神的に追い詰められようともお構いなし、というケースもあるようです。また、従業員が一生懸命頑張って稼ぎ出した成果を独り占めしても誰も文句を言えないのです。

 当然、経営者はそれだけ大きなリスクを冒して勝負に出ているのだから、従業員よりも莫大な報酬を得るのは当然だという声が鳴り響きそうですね。私もそれに異論は全くありません。本当に経営者としての使命を果たしているのならばそれに対する尊敬と報酬はあって然るべきだと思います。

 私は会社のあり方について、ステークホルダー・サティスファイと言う言葉をよく使います。カスタマー・サティスファイではありません。「会社は誰のものか」という問題が叫ばれて久しいですが、「会社は株主のものである」というのが世間の見方のようですね。確かに、それに異論はありません。しかし・・・それだけでしょうか

 例えは変ですが、3次方程式(x-1)(x-2)(x-3)=0は3つの異なる解x=1,2,3を持つように、解は一つとは限らないのではないか、と私は思います。

 一つの事業を構成するにしても、出資者、顧客、経営者・・・そして従業員と4つのポジションがあります。これらのどれかが欠けても事業は成立しないのです。極端な話、実務を伴う従業員と対価を支払う顧客さえいれば仕事は成り立つかもしれない。しかし、大きな事業になれば4つの存在が必要になります。この4つが連携することで会社は動いていきます。そして、この4つの存在も会社も大きな社会の中で生かされています。つまり、4つのポジションはどれも会社にとって必要な存在であるし、逆に言えば会社と言う存在はこの4つのポジション全てのために存在するものだと言うこともできるのではないでしょうか。

 さて、実際に顧客と直に接して実務を行い、会社の具体的な担っているのは従業員、そして会社の全体的なプロデュースを行うのが経営者です。オーケストラで言えば従業員は楽器を奏で、経営者は指揮台に上ってタクトを振るようなものです。指揮者がタクトを振っただけでは音は出ません。勿論、いかなる名曲を奏でることもできません。オーケストラの楽団員の力が無ければどんな名曲を奏でることは出来ないのです。そして、その演奏を聴いてくれる人がいなければ、そこに感動は生まれない。また、オーケストラの運営(財政事情)は基本的に厳しいようです。この運営はさまざまな寄付や助成金などのサポートも受けているようです。これが出資者の役割でしょう。

 経営者が従業員をぞんざいに扱う様は、指揮者が楽団員をぞんざいに扱うようなもの。そのような環境で、共により良い音楽を作り上げていこう、と果たして思えるでしょうか。そんな状態で聴衆に本物の感動を与えることが出来るのでしょうか。そのようなオーケストラが発展していけるのでしょうか。遅かれ早かれ、何らかの形で破綻してしまうでしょう。

 話は変わりますが、私がかつて在籍していた会社でも大きな変革を迎えているようです。部署の移転統合に伴って半永久的な転勤・異動を余儀なくされ、これを機に転職や退職を余儀なくされる方も少なくないようです。お世話になった方々の今後を心配しております。

 私も今は従業員の立場ですが、いくら確かな技術を確立しお客様に喜ばれ、事業実績を挙げているとしても、それであなたはどれだけ報われているのですか?。そう問われると・・・実は私も答えに窮してしまいます(自爆)

 少なくともこれからの時代を生き抜く従業員は、経営者的な視点も持ちながら、様々な事態を想定しつつ準備しておいた方が良さそうです。何かが起こってから慌てるのではなく、自分達で決断し、時にはドラスティックに行動することも必要なのかもしれません。経営者には色々な面でハイレベルが要求されますが、従業員にもまた独立したスペシャリストやエキスパートとしてこれまたとんでもなくハイレベルを要求される時代なのかもしれません。常に自分を高めていこうとする姿勢が何より要求されるのです。


 より美しい音色を奏で、聴衆の心に響く素敵な音楽を作り上げてゆくために・・・そして共に感動を分かち合うために
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする