山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

字を書くこと

2006-12-15 22:11:05 | 未分類過去
現代人は手で字を書くことが少なくなっています。私の姉なんかは普段全然字を書かないそうで、いざ書こうとすると、なかなか頭に浮かんでこないそうです。
姉の場合は読書もしないし、パソコンでワードを打つこともないようです。だから、書くことも苦手だけれど、読み方もわからないのだそうです。

私自身はどうかというと、まず文字はいやというほど読んでいますね。
私が仕事で読んでいる文書は40字×50行ですから、1ページが2000文字。まあ、目いっぱい文字が詰っていることはないとしても、それを1日30~40ページ分くらい読むと思います。でもその中に難しい文字が占める割合はもっと少なくなりますから、それが漢字を記憶するのにどれだけ役立っているかはわかりません。でも、一般的な主婦に比べると文字との接点は非常に多いといえるでしょう。だから、いざ書くときも確かに思い出しやすいとは言えます。

さて、書くことですが、一日に一度もペンを持たない人も多いようです。
私の場合は、量は少ないですが、毎日手書きで文字を書く機会もあります。何を書くかというと、チェックしている書類の間違い部分を別紙に抜き出して書き、コメントをつけたりしています。
もともと出版社の「校正」では、ゲラ刷りに赤ペンでそのまま校正記号を書き込むというのが普通ですが、今の会社では、事務手続きに使う重要な書類なので、印刷のほうには鉛筆で書き込み、改めて別紙にも同じ事を書き出すという2重の面倒なことをしています。なんで、そんな風にするのかな?と思ったのですが、出版社とは違い、書類のほうは元のデータをパソコンで直し、直す前にどのような間違いが指摘され、それを本当に直したのかどうかを記録しておくという意味があるようです。
最近、同じ仕事をしている別の担当者は、その手書きだったほうの紙までパソコンで打つと言う方法に変えているようです。そのほうが確かにきれいです。私などは机の上をいつも消しゴムのカスだらけにしていて、恥ずかしいです。字も汚いから読む人には悪いです。でも、「手書き」の機会を少しでも残しておきたいと思い、旧式のやり方を続けています。

そのほかに書くことというと、最近大変だったのが、日本語ボランティアの事務所に出す活動報告書です。教室の現場責任者には電子メールで内容を送っているのに、なぜか役所のほうからは、項目や枠がついた指定の用紙が渡され、そこにもほとんど同じ内容を書くことになります。
電子メールで毎週送っているのをそのまま流用できないものかと思いますが、用途が別らしく、メールは教室運営者たちが各学習者の授業内容を把握するためであり、手書き書類のほうは役所がボランティアに交通費を支給するのに、確かに日本語を教えに行ったということの証拠として、日時・場所・学習内容を書き込んで提出する必要があるということのようです。

それで、メールで送った内容を参照しつつ、手書きで3か月分を書きこむのに一晩かかってしまい、罫線がないので文字列がしだいに斜めに曲がっていって、すごく見苦しくなってしまいましたが、もう書き直す気力もない状況です。

でも、こんな面倒臭いことでも「文字を書く」という動作を忘れないためにはいいことかもしれません。

「原宿」という街

2006-12-13 20:49:23 | 未分類過去
この間の日曜、高校生の娘と一緒に原宿に行きました。
娘がサイフをほしがっていて、本人が目をつけていたものがあったので、専門学校合格のプレゼントとして買ってやることにしたのです。
娘が欲しいサイフを売っている店は、表参道からちょっと路地を入ったところにありました。

表参道に行くのはもう何年振りでしょうか、昔あった古い趣のあるアパートメントなんかなくなって、あの表参道ヒルズとかいうものができたんですね。SMAPの店とかいうのもあって、もう人がいっぱい並んでいて、遠くからその行列を見ただけでもう近くに行ってみる気もなくなりました。車道を挟んで反対側には高級ブランドの店が立ち並んでいます。それらのどれも、とてもとても私や娘が立ち入ることのできるようなものではありませんでした。

サイフを買った店でさえ、みすぼらしい安物の服装で恥ずかしかったです。
それで、目的の買い物を済ませると、さっさと原宿駅まで戻ってきましたが、そのまま帰るのももったいないので、もう少しぶらつくことにしました。

明治神宮の入り口あたりには、変な装束の若者がいっぱいいて驚きました。ロリータファッションっていうのでしょうか、メイドみたいな格好の女の子や、フランス人形みたいな格好をした人、死神みたいな黒装束など、なんか異様な感じの若者が何をするでもなくたむろっています。そういう人たちと一緒に写真をとる外国人観光客なども多く、それらの若者たちは写真のモデルに応じていました。そもそも、奇抜な仮装をして人目を引き、写真を撮らせるのが本来の目的なのかもしれません。
こういう人たちは、将来何になるんでしょうね。

そこでしばらくこの変な人たちを見物した後に、竹下通りに行って見ました。こっちは表参道とは違って現代風の普通の若者がいっぱいでした。
私は学生時代から東京に住んでいるのに、竹下通りに行った記憶がなく、娘にバカにされてしまいましたが、若者の洋服やアクセサリー、クレープの店がいっぱいありました。
そして、ロリータや黒装束衣装の店など、気味の悪い店もありました。
ときどき、トンカツ屋など妙に日本的な店があったりするのですが、外国人をターゲットにしているようです。
私と娘は結局、百均の店に入って、クリスマス飾りなど買ってレジ袋をぶら下げて出てきました。竹下通りをずっと進んで行くと、なぜかまたもとの表参道のほうに出てしまい、夕方になってよりいっそう人の多くなった通りを駅に戻りました。
疲れたので休憩したかったのですが、どの飲食店も満員で座れませんでした。

原宿って、今の日本社会の縮図みたいですね。「金持ちセレブ」と「バカな若者たち」。
どっちもいやだな。

私は原宿に何度も行ったことがあるのですが、代々木公園からNHK放送センターのほうにいったり、明治神宮に行ったりで、表参道や竹下通りに用はありませんでした。
以前は、変な装束の人たちもいなかったですね。

本当に異様な社会だよ。
あんなところに、人がいっぱい集って、買物に興じて、とても「美しい国」とは言えないだろう。

あっ、人がいる!

2006-12-12 22:07:43 | 未分類過去
反対側の景色です。
最近、掲載している樹木や公園の写真は、先週行った杉並区の善福寺川周辺の景色です。
街歩きとしてまとめればよかったかな~。
この近くに、ウサギの専門店があるのを知って、そこに行ったついでに、近辺を散歩してきました。
木や落ち葉がいっぱいの遊歩道や公園がありました。
「善福寺川緑地」っていうのかな?桜の季節もきれいなようです。

それで、この写真は川下に向ってとったものですが、
おそらく遠くに見える大きなマンションみたいなのは、中野か新宿方面だと思います。

カメラを向けてシャッターを押したとき、実は向こうの橋に人がいるって事、意識してませんでした。
大きい写真にすると、フードをかぶった人がこっちを見てるんですよ。
でも、こっちも気がつかなかったから、あっちもカメラを向けられていることに気がついていなかったと思いますよ。

「無い」と思っていたものが「在る」。
きがつかないけど、存在しているものってあるんですね。
あの遠くのマンションの中にも、たくさんの人がいるんですね。

もしかしたら、未来にも何かいいものがあるかもしれませんね。

なんか空虚

2006-12-12 21:50:45 | 未分類過去
今日は、何も書くことがないような気がします。
自分が置かれている現状に別に不服はありませんが、
私の将来どうなるのかな?
と思うと、
ちょうど、この景色みたいかな?
この先には特別何にもないですね。
まあまあ、きれいな景色ですけど・・・。

なくしたアクセサリー

2006-12-10 23:34:57 | 未分類過去
先日、非常に悲しいことがありました。
例のごとく毎日貧乏生活を送っている私は、12月に及んでも、いまだベージュの夏用のバッグを使っています。バッグは最低限、夏用と冬用A4の書類の入る大きさのが1個ずつあることを方針としていますが、昨年まで使っていたこげ茶色の冬用のバッグがなんかくたびれているので、夏用をそのまま使っているのです。
しかし、これまた忘年会に持って行って人の目に触れた時に変かな~と思い、いよいよ冬用のバッグを買おうかと思ったわけです。買うとしたら黒がないので、黒にしようかと思っていましたが、バッグ売り場で見ていると、冬なのに白っぽいバッグもけっこう売っていることに気がつきました。ということは今使っているバッグでもいいようなもんですが、店でステキだなと思ったバッグには、かわいいボンボンとかコサージュのような花の飾りがついていて、それはバッグとは別料金になっているのでした。

ふと、今使っているベージュのバッグにこのコサージュみたいな花をつけたらいいのではと思い、いろいろ見てみると、ちょうどバッグと同じような色をした花の飾りを見つけました。花の下からはレースのリボンとネックレスのようなビーズのついた鎖もぶら下がっていて、きれいです。バッグに付けてみるとぴったりでした。
それは2000円もしたのですが、安いバッグを買うよりは手持ちのバッグにこれをつけたほうがいいだろうと思い、おもいきって買いました。

ところがです、翌朝、忘年会の日にそのバッグを持って会社に行き、ロッカーについたところでバッグをみたら、そのコサージュはバッグについていなかったのでした。
つまり、家から会社に着くまでの間に落としてしまったってことですね。
通勤経路を戻って探すわけにもいかないので、あきらめて仕事を始めましたが、なんとも短い付き合いだったなあ、縁がなかったんだなあとがっかりでした。普段めったにアクセサリーのようなものをつけない人間が慣れないことをするからそんなことになったのでしょう。やはりそんなものをつける柄ではなかったんだと思いました。

アクセサリーやマスコットなどは、よく道端におちていることがありますが、持ち主にとっては大切なものでも、それを拾って大切に使う人なんかはなく、多くは踏み潰されたりして汚れ、ゴミとなってしまいます。商品として私に買われたその花の飾りは、本当に短い命だったということになり、そう思うとほんとうに残念なことをしたと思いました。もうちょっとしっかりつけておけばよかったです。

忘年会の帰りに一応道端をキョロキョロしながら戻ってきましたが、やはりありませんでした。もしかしたら自宅から階段を下りるまでに落としたのだったら、私の後に家を出た娘が拾っているかもしれないという最後の望みもかないませんでした。

ところがです!今日、その花の飾りが見つかったんです!!!

今日は、公営住宅の外掃除の日だったのですが、道路に落ちている落ち葉を掃いていたら、垣根のところのコンクリートのちょっと高くなっているところに、それが置かれているではありませんか!!!だれかが、道路から拾い上げて垣根のところに置いてくれたのですね。昨日雨が降ったのでぐっしょりと濡れていましたがそれほど汚れてはいませんでした。
すぐに拾い上げて上着のポケットにしまい、掃除を済ませてから自宅に帰りさっと水であらい、乾かしました。大丈夫です。使えます。
でも、よく見ると、裏についていた安全ピンの針は壊れてなくなっていて、バネ式で挟むようになっているピンの部分もちょっとつぶれていました。
おそらく、車か自転車にでも引かれたのでしょう。でも、花の中心についている真珠のような大きなビーズ3個はつぶれもせず、もとの通りでした。
こんどは、バッグのひものつけ根付近にピンで留めるだけでなく、糸で縛りつけるようにしました。

よかった、私のところに戻ってきた!このコサージュとは縁があったんだ!!!

それにしても、雨の日を一日置いて、出てきたわけですが、おそらく今日が掃除の日でなければみつけることはできなかったかもしれません。垣根の外を掃除してよかった。
私が見つけなければ、他のそうじの人が落ち葉といっしょにゴミ袋に捨てていたかもしれませんでした。

おとといは、すごく縁起が悪いな~と落ち込んでいたのですが、今日はすごく縁起がいい気分です。

よく、おみくじに「探し物出る」とか「出ない」とかいうのが書いてありますが、もしおみくじを買っていたら、「探し物、遅くなるが出る」っていう内容だったのかなと思います。
おみくじには、「探し物」や「待ち人」などという項目がありますが、そういうのってみんなが常日頃、よく気にする状況のもの(それがその人の心の安定を左右する)ものなんだな、と改めて思いました。
そして、だれもが、なんらかの「自分が求める物」と「自分が求める人」を常に持っているってことでしょうか。
それから、仕事・学業運、金運、健康運も重要な項目ですね。

おみくじの項目は、そいうものを重視し、大切にしている日本の文化を表しているように思います。

今日、ボビーがテレビに出ていましたが、ナイジェリアから日本にきて直ぐに大金とパスポートをバスの中で紛失してしまったそうですが、すぐに出てきて手元に戻り、驚いたそうです。
ナイジェリアでは落としたものはその時点でその人のものではなくなるそうです。地面に落としたらもうみんなのもの、地球のものだと言っていました。
そういう文化もあるのですね。それはそれで、合理的かもしれませんが、日本では、落としても、もと持っていた人のものであり、その人に返してあげるべきという考えがとても強いと思います。それも物を大切にするという文化の一つの形の現れ方ではないでしょうか。

物は無くすこともあるのだから、なくさないように注意しなければいけないし、貴重なものを買うときも慎重になる必要がありますね。

物は大切にしましょう!

晩秋の公園

2006-12-10 02:53:44 | 植物・花・木
最近天気が崩れてしまいましたが、木曜日まではいい天気でした。

この樹はけやきでしょうか?

落ち葉もたくさんで、秋の深まりを感じる景色ですね。
あっ、12月だから冬なのかな?

都会にもこんなに落ち着く場所があるとは。

この辺に住んでいる人はいいなあ~と思いました。

この冬に買うもの「靴」

2006-12-09 23:00:10 | トラックバック練習・ご意見板
(トラックバック練習板 今週のお題 “この冬に買うもの”)

ボーナスのない我が家にとっては、物はできうる限り買わないで済ませる方針である。
で、どうしても必要なものだけ買うことになる。
それで、この冬にこれから買うものの予定は特にないが、すでに買ったものはある。
そのひとつが、靴だ。これは、会社の忘年会のために調達したものだった。

貧乏になってからは、靴は最低限、茶と黒のパンプスが1足ずつ必要だと思っている。
ブーツは冬しか履けないので買わない主義になった。 

最近の現状としては、以前履いていた茶色のパンプスはずいぶん前から壊れているので履かず、茶系の服を着るときには、かかとがバンドになっている茶色の靴を履いていた。
しかし、このごろ寒くなってきたのでその形ではおかしいし、かなりくたびれてきてもいた。
もう1足ある黒のパンプスは履いているときはいいのだが、内側の下敷きがはがれてきていることに最近気がついた。それで、忘年会で居酒屋に行って、靴を脱いで上がったときにまずい。
そういうわけで、いよいよ必要に迫られて、新しい靴が必要になったのだった。

それで、昨日は新調した茶色のパンプス4900円(元値6900円)を履いて忘年会に行った。そうしたら、直ぐに居酒屋の人が番号札で預かってどこかに片付けてくれたので、脱いだ靴が人の目にさらされることはなかった。でも、店の人に対してもボロ靴では恥ずかしいので、やはり必要なものだったといえる。

ところがである。昨日中はよかったのだが、今日もそれを履いて出かけたら、しだいに足の指が痛くなってきた。歩いているうちにどんどんひりひりしてきて、そのまま家に帰るのが苦痛になってきたため、駅前のスーパーで、超激安2500円(元値4900円)のこげ茶の安っぽいショートブーツを買ってしまった。そしてそれを履いて帰ってきた。

こんな安いブーツが売っているんだ!と驚いた。他に12800円とか8800円くらいのがあって、ちゃんとしたのを買っておけば長持ちするだろうとは思ったが、なんせ「金」がないから、しかたがない。鏡に映してみると大して変わらないし、何よりも履きやすかった。

そんなわけで、パンプスとブーツを立て続けに買ってしまったが、パンプスのほうは今後足に馴染んでくれるか心配だ。忘年会のために急いで買ったのがいけなかったようだ。

幼馴染の誕生日

2006-12-08 02:12:05 | 未分類過去
今日、いや昨日12月7日は木曜で、私の仕事は休みだったわけですが、昼間は2ヶ月ぶりに美容院に行ってカラーリングとカットをし、夜はある締め切りの迫った原稿の仕上げをしていたので、ブログを書いている暇がありませんでした。

12月7日っていうと、思い出すのが、幼なじみの誕生日だったなってことです。
小学校の時に、一番近くに住んでいたこともあって、その子とはいつも一緒でした。学校の登下校も一緒で、帰宅後もぬいぐるみや人形であそんだり、野良犬の仔犬をかわいがったり、いっしょにピアノを習いに行ったり、その子の家で少女フレンドとかマーガレットとかを読ませてもらったりしました。うちは漫画はいっさい買わない家だったし、私も買ってまで欲しいとは思わなかったのですが、その子の家では本箱1つが月刊少女漫画誌で埋まっていて、おかげで連載漫画を読むという楽しい経験を得ることができたというわけです。
そして、思い出すのが、その子のうちで、初めてカラーテレビを見たのでした。写っていたのは相撲中継でした。お相撲さんがやたらにオレンジ色だったという記憶が残っています。メーカーはビクターで、蓄音機に耳を傾ける白い瀬戸物の犬がついていました。
その後、うちで買ったテレビもビクターでやはり犬がついていました。うちが買ったのはもっとあとで、そのころは色合いがもう少し改良されており、本当の白がでるという点が売り物だったと思います。木目の家具調のようなつくりのテレビでしたね。

ところで、その友達とは中学2年くらいになるとあまりいっしょに遊ぶこともなくなり、高校が別になるとほとんど交流がなくなりました。成人してから偶然道で出会ったことがありましたが、特に話がはずむわけでもなく、とおりいっぺんの近況などを聞いただけで、お互いに小さいときのようにうちに遊びにおいでよなどと誘うこともなかったし、連絡先などを聞くこともなかったです。

小さいときは単に近所に住んでいるということで、単純に仲良く遊んでいたのかもしれませんが、大きくなると何がしか趣味が合うとか考え方が似ているとかいうことがないと、付き合おうとは思わなくなるもので、それで疎遠になったのかもしれません。そういえば、子どもの頃、何度かけんかをしたこともありましたが、いつも私が彼女の言葉にカチッときて絶交し、結局は私が謝って仲直りをするというパターンだったような気がします。もともと相性がよかったわけではないかもしれません。

でも、老後はどうかな?確かに彼女は子どもの頃の記憶を共有している貴重な友人です。
今も実家の近くに住んでいるそうです。もし私がいずれ田舎に帰ったとしたら、老後は茶飲み友達として復活するかもしれないなと思います。