山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ルールがない!

2006-12-05 23:51:45 | トラックバック練習・ご意見板
トラックバック練習板、今週のお題「みんなが驚いた“家庭のルール”」について。

私が育った実家でのルールで思い出すことというと、「人をまたいではいけない」というのがあった。また、コタツなどを囲んですわっているときに、コタツと人間の間が空いていてもそこを通ってはだめで、人の後ろを通るべきというのがあった。
また、北を枕にして寝るのはよくないとか、夜爪を切ってはいけないとか、まあ、別に驚くようなルールではなく、あたりまえのルールと多少迷信みたいなルールだった。

しかし、結婚してからの今の家庭ではほとんどルールはなく、「人をまたいではいけない」などと言うルールも壊滅している。
なんせ、非常に狭い家なので、人の頭をまたがないかぎりトイレにもいけない状況である。
座卓を囲んでいても、人の後ろを通ることは難しく、前を通ったほうが都合がいいことも多い。つまり、家具などの隙間に座っているような状況で、人の後ろを通ると家具で行き止まりになって通れないので、座っている人に家具の隙間に退いてもらい、その人の前とテーブルの間を通るほうがよほど都合がよいわけである。
また、地震がきたときに物が落ちてこないような場所を選ぶと、一人が北を向き、その隣は南を向き、などという人それぞれのめちゃくちゃな方向を向いて寝ている。

それから、生まれ育った家では、お茶を飲むのは湯飲み、ビールやジュースはグラス、ごはんはもちろんご飯茶碗を使うわけだが、今の家では、食器戸棚も小さいし、ずさんな私がめちゃくちゃに押し込んでいるので、適当に入り口にある取りやすい容器を持ってくる。それで、湯飲み茶碗でビールを飲んだり、小鉢でご飯を食べたり、コーヒーカップでお茶、などと中身と容器の関係が全くないといえる。

それから、生まれ育った家では、パジャマは必ず上下セットで着ていたが、今ではズボンだけがボロくなって捨てて、ジャージを履いていたり、上にも普通のトレーナーを着るなどということをしているうちに、ちゃんと上下そろっているパジャマでさえ、上下をあわせるという意識がなくなり、いつも上下めちゃくちゃな組み合わせで着ている。

さすがに、箸だけは1本ずつ違うのは縁起悪いので、2本同じものをそろえて使うようにはしているが、細くて丸い箸と太くて四角っぽい箸などをまとめて箸たてに入れており、同じ形でも微妙に色合いが違う種類などが混在するため、夫はよく間違えて違うものを組み合わせて使っていたりする。

まあ、かぎりなくずさんな家族ということになる。

子供たちには、よそのお宅は、うちのようにずさんなことはしていないから、結婚したら気をつけろと言っているのだが、こんな家庭に育って習慣化したものはそう簡単には変えられないのではないかと心配だ。 

「手紙」を見た

2006-12-03 23:29:09 | テレビドラマ・映画
今日は、午前中放送大学、午後は映画「手紙」を夫と見に行った。
無料で手に入れた映画の券2枚をはやく使わないと上映期間が終わってしまうというので、忙しい中決行することとなった。
なかなか、夫と休みが合わない。

映画は真剣なテーマで、良いものだった。
エンディングの字幕と曲がすっかり終わるまで、誰一人席を立たない状況だった。
罪を犯すとはどういうことか、償うとはどういうことか、許すとはどういうことか、いろいろ考えさせられた。
許すというのは一緒に負う覚悟を決めることかもしれない。
被害者だって、許せば心が楽になるわけではなく、大切な人を失った喪失の悲しみといまわしい犯人の行為を忘れることはない。
犯罪者の家族、被害者の家族は、罪がもたらした苦しみを犯罪者とともに背負う覚悟をするという形が「許す」ということなのかもしれない。
犯罪者は罪を償う資格さえない人間だといえる。罪とは償うことはできないものであり、罪を犯した人間が人の意識から消えることが唯一、人の記憶から罪を犯した人間のいまわしさを軽減させる方法であるともいえる。だから、犯罪者が罪を償おうと人の意識の上に登場すればするほどそれは逆にはたらく。詫び状は罪を犯した本人の気休めであり、被害者の家族に送れば送るほど、被害者の家族を苦しめることにもなる。そして、いくら拘置所の中で寂しいといっても、身内からの手紙を期待して慰めを得ることすら見分不相応な希望だともいえるだろう。それすらが、甘えのようであって、罪は自分ひとりで償いきれるものではなく、どれだけ人に苦しみと迷惑をかけるかは計り知れない。
しかし、兄がそのことを自覚した時点で、初めて、弟も被害者の家族も「許す」(一緒に重荷を負う)という心をもつことができたのだろう。
重いテーマである。

帰宅すると肉体的にどっと疲れがでてしまった。昨日も一日中でかけていたし、今日はビデオのヤギがウシに見えたり、二人分のご飯をよそればいいところ3人分よそってしまったり、かなり脳みそがイカレているようだ。肩こりがひどく、目の芯が痛い。
洗濯などもぜんぜんしてないし、明日会社に何を着て行ったらいいかも思いつかない状況だ。
今日は早めに寝よう。

恐怖感

2006-12-02 00:38:35 | 未分類過去
最近、怖いな~と思うのは、閲覧数が1000を超えることが時々あることです。
多めで1200~1300、とても多いときは1500台という日もありましたが、11月30日はジャスト1000でした。
記事を開いたからと言って読んでいるとは限りませんが、あまり多いと恐ろしくなります。
喜ぶべきことではありますが、一番怖いのは知り合いが読んでたらどうしようと思うのです。
アクセスは100いくつくらい(昨日144)なので、1人につきたくさんの記事を読んでいただいているという状況です。
ということは、何か1つを読んだ時に「あれっ?これもしかして・・・」などと思い、過去の記事を遡って読んでいる状況があるのかもしれません。
「これはまさしくうちの会社のことだわ」とか「あっ、この庭は近所のお宅のあの庭だわ」とか「そういえば、放送大学の面接授業のときに穴の空いたセーターを着ていた人がいたけどあの人だったのね」とかいうことで、バレたら困るなあと思うわけです。
そして、「山本さんがブログで会社の愚痴を書いていたよ」などということになると、本当にまずいことになるので、閲覧数やアクセス数が増えると嬉しい反面ヒヤヒヤしてきて、昨日は仕事関係のちょっとやばそうな内容のものを保留にしてしまいました。
しかし、一応毎日1つは記事を残したいと思っているので、やばいものも残すことになってしまいました。

こうなってくると、やはりあまり本音を暴露するようなことは書けなくなるなあと思います。

きれいごとで塗りこめたブログなんか書きたくありませんが、人に迷惑をかけたり人にいやな思いをさせるようなことは避けるべきだと思うと、結局は本音がかけなくなってしまうわけで、その辺が非常に難しいことだと思うこのごろです。

にげるなよ~

2006-12-01 23:58:24 | 未分類過去
今日は、“AIWAYS3丁目の夕日”を見ていて、12時近くになってしまったので、とりあえず写真を載せました。
これは、没写真だったんですが、先週の11月26日に掲載した、庭に住んでいるブタ猫野良さんです。
こっちを見ている全身を撮ろうとしてシャッターを押したとき、フェンスの下にもぐっていってしまった瞬間です。
26日の写真は反対側の茂みに隠れたところを追いかけて行って撮ったものです。

こうやってみると、なかなかいい毛並み、なかなかいい模様ですね。