コロナ禍で感染予防対策が行われていた約3年の間、人間の習慣がずいぶん変わったなと思う。
例えば、家族同士でも行き来をすることがなく、実の娘の家にも行ったことがないし、自分の家にも呼ばない。友達にも会わない。
そういうことが普通になってしまったのだ。
最近、会社ではめずらしく人が3人辞めていった。
私の職場では、この3年あまり在宅勤務・リモートワークが普通になっているが、その間、意外にも会社を辞める人がほとんどいなかった。
ということは、この働き方体制が良かったのだと、組織の上の方の人たちは思っているようだった。
でもここにきて数年働いた人が退職したり、また入ってきた人がすぐに辞めたということはどういうことか?
すぐにやめた人に関しては、ちょっと肌が合わないなとかいうこともあったのかもしれないが、直接顔を合わせない環境で、人になじむのは難しそうだ。
数年勤めていてこの度退職した人たちにはそれぞれの事情があって、この職場がイヤになって辞めたわけでもなさそうだが、この3年ほど退職者がいなかったというのは、この会社の働き方がとても気に入っていたからというわけではなく、世間がコロナ対策に明け暮れていたため、単に移動しにくい=転職先を探すような風潮ではなかった、ということも言えるだろう。
それがこの頃、普通の世界に戻ってきたため「もっと良い職場があるかも?」とか「自分にはもっと別にしたいことがある」などと思って、目が外に向けられてきたからかもしれない。
この度、退職した人たちのことを思いおこすと、コロナの時代の前に入社した人たちだが、なんだか新しい人だったような気がするものの、考えればずいぶんと何年も経っているんだなと驚いたりした。
在宅勤務の場合、直接に仕事のやり取りなどをしない人には、コロナ禍で顔を合わせていない期間、何の思い出も共有していないことになる。
だから、3年がすっぽ抜けているのだ。
もし出勤していたなら、少しは やり取りがあったのではないかなあ。
在宅勤務やリモートワークをやっていて、確かにその年月は会社の仕事に従事していたわけだけど、なんかおかしい気がするのだ。
3年間外国に出張してましたね、と言うような感じなのかな。
人と人との関係が希薄になると、それも面倒が無くていいやと思って、それ以上交流を持とうとはしなくなってしまうような気もする。
このまま家族も会社も、なんとなく希薄な交流で年が過ぎていくのかな。
なんか、ちょっとあっさりしすぎじゃないかな。
近所の人なんかは、以前からの知り合いであっても今だにマスクをしてるので、誰だかわからず挨拶もしないで通りすぎてしまいます。元の顔も忘れてしまいそうですね。
「あ、もしかしたら飛鳥さんじゃないですか?」
というのは無くなるんでしょうね。
そんな縁も無くなると殺伐とした感じ。