日々徒然に

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5月のなかだるみ…

2018年05月13日 | Weblog

こんにちは。
連休も終わり、5月も半ば。ちょっと中だるみもでてきそうな日々でもあります。世に言う「五月病」でしょうか。それでも日々の仕事は変わらず、あいかわらず忙しい日々を送っているように感じます。
 5月は天気がいいと外出も楽になるように面ます。暑からず、寒からずちょうどいい時期だと思います。それでも、沖縄からは梅雨入りのニュースを聞いたりすると、季節は夏に向かっています。散歩のとちゅう、ツバメが勢いよく飛んでいるようすは初夏がきていることを感じさせています。

 梅雨入りの沖縄と聞いて、今沖縄ではしかが流行しているとのことです。これまで、はしかと診断された人は10日現在で94人。年代別では30代が最多で30人。以下多い順に、20代23人、40代13人、10代8人だと言います。愛知県の患者20人。3月28日~4月2日に沖縄旅行をした名古屋の10代男性が、4月11日に診断された。予防接種は受けていなかった。この男性が受信した名古屋第二赤十字病院では、受診者ら計8人に感染が広がったと推定されている(毎日13日)。はしかはワクチンを接種が唯一の予防手段とされている。だから予防接種がされていない子どもにとっては大変な病気だといえる。広がらなければいいですが。今後が注視していく必要があると思います。




 ぼくの誕生日。とうとう年金の手続きをする日がやってきてしまった。いくつもの書類を準備し、四苦八苦して書いた申請書、そして預金通帳などを持っていった日だった。
 予約は9時30分。10分前ほどに行って受付を通して待機していた。
 座る前方に電光掲示板があり、現在の進行状況が表示されている。それによると「予約現在〇人」、「予約していない人〇人」、「当自相談に来る人〇人」と3つが案内されていた。さらにその下に「予約されていない人、当日相談の人は2人で1時間待ち、5人で2時間待ち」などという説明もあった。相談には時間がかかるようだ。2時間も待っている人も大変だろう。大病院の待合室のようだ。なんとも退屈で大変なところへ来たものだと思った。さりとて、「自分の生活費となる年金。めんどうだから帰ると、うかつに妥協できない」。人気食堂の「待ち」とはレベルが違うのだから。これまで自分が納めてきた貯金を取りもどすために誰もが必死さが沈黙のなかにあって、そのなかのぼくも必死だった。
 
 年金についてもっと勉強をしておくべきだろうと思う。なぜなら、毎月、給料から税金として国にとられていた自分のお金を取り戻すにはこちらから働きかけなければ何にもしてくれないのが国家。どこかでこんな言葉を聞いたことがある。チェルノブイリの原発事故の被ばく者の医療救援のドキュメンタリーだっただろうか、それとも2015年に「日本社会に抵抗という文化がない」といったノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさん(68)だろうか、それとも『チェルノブイリの祈り』だろうか「国家は責任をもたない」というようなことを言っていた。こちらから働きかけない限り国家は何もしてくれない…、ということがよくわかった年金事務所だった。これは、こちらから請求しなければ国はそのお金をどこに使うのであろうか。国家予算にでもして、企業の海外進出への援助金にでもするのだろうか。いずれにせよ、誰も年金を送金してはくれないだろう。

 大事なことは何もしないのが「国」だなと思う一日だった。学校教育でもちゃんと憲法を教えてほしいとも思えた。教育で、三大義務「教育の義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」をやり、それに必要な国がなすべきおともちゃんと教育で教えてほしいものだ。そして、義務に関して国が保障すべきことも教えてほしいものだ。その時になるまで分からないというのは、フェアーじゃないような気がする。

 とはいえ、最近の日本年金機構の事故が多い。
昨年9月「約598億円の年金加算支給漏れ問題で、最大590万円の支給漏れは3人いて、うち2人は日本年金機構の事務処理ミスが原因」(朝日/2017年9月16日)などがあった。こういうことが多くなると、結局、年金受給者が申告しなければそのままになってしまうのではないか…と不安である。

 年金事務所にいって、担当者がパソコンに黙々とキーボードをたたいている姿はいかに入力ミスが大きなミスにつながるかを予告しているような気がした。手書きの時代よりもはるかに多いと思えた。
 不安は増長する。これが今の日本年金機構のぼくの気持である。がんばってほしいといっても本質は、仕事の中身にあるのだろう。

 これからは少ない、目減りしていく年金受給者として生きていくしかないのだろう。「悠々自適」などという言葉は遠い。




【五反田駅】
 学生時代を卒業してから40年近くたっている。最近、五反田には頻繁にいくようになった。知人がこの駅から乗り換えていく駅に住んでいるからだろう。
 そしてぼくにとっては、この近くで日々青春時代を送っていた駅でもある。どこへ行くにもこの駅を経由して移動していた。卒業してからしばらくこの駅から有楽町まで利用していた。

 今は少しはきれいになった目黒川はどぶ川だった。小さな歓楽街もあって草野球の帰りはよくよった。
 それにしても五反田はあまり変わらないが、周りが変わった。次の駅の大崎はずいぶん変わった。昔は五反田のほうが華やかだったかが、いまは大崎駅が大きくなり、人の乗り降りも多い。どちらからといえば大崎は「うらぶれた駅」だった。それが今では、天高くそびえるマンションのなかにある。
 五反田駅は通過駅だった。いちばん利用していたように思えるがそれほど印象にない影のうすい駅だ。唯一、面影が残ってるのは駅ガード下の食堂、この食堂はあったように思う。遅く帰った会社帰り、歓楽街をぬけ、酔っていた体を池上線に乗り換えるときの風の強さを感じた駅のホームは忘れない。国道1号線の上にある駅でもある。冬の寒さを痛感した駅だ。
 池上線のなんときれいになった車両よ。緑色のいもむし電車だったのにいまはすまして走っているのが時の流れを感じるなあ。



 とはいえ、今ではこの駅をおりても誰も見知らぬ人たちが通り過ぎて行く。学生だった40年前は、学校からこの駅に来るまでは誰かに会っていたように思う。みんな20代のわかい顔で通り過ぎていたのだろう。五反田から学校に行く途中、目黒川のすぐわきに、大きな本屋さんがあったように思う。買いもしない本もよく立読みしていた本屋さんだ。今年、知人に会った帰りに歩いてみたが消えていた。今でもは死語になってしまったが「ノーパン喫茶」というお店もあったなあ。友達と一度行ってみたことがある。どこへ行ってしまったのだろうか。
 20代の若いクラスメートの顔はもうほととんど忘れているように思う。それと同時に、町の様子も印象に残っていなくて忘れている。今住んでいる駅の次によく利用した駅だったのに印象が薄いのは時の流れがあまりにもあるからだろう。この駅でさようならをした「片思いの」の人に手をふっていた時代も遠くなった。知人のところに行ったときガード下の中華そばやさんに寄ってみようかと思う。酒で寄った舌でしか食べていなかったようだ。味は忘れても「うまい」と思って食べていたのだろうか。そんな味を感じてみたいと思うのもいいかなア。五反田駅の思いでは『片思いの楽しかった時代』だけが残る。若さいゆえそう思い起こさせるのだろうか。若いってやっぱり素晴らしい時間なのだろう。




 1月から「大規模修繕」もいよいよ終わりが近づいているようだ。週末、業者が足場を片づけていた。ちょっとはきれいになったのだろう。予定では今月後半には完了になっている。何が変わった…。まあ、表面的にはきれいになったことぐらいだろうか。15年に一度のメンテナンスである。
 正直なところ15年も時がたっていると、中身はけっこう傷んでいて、新品のころがなつかしい。痛んで違うことは、耳をすませば音が違う。なんにつけ音が変化してきている。いちばんわかるのは、住み始めたころは小さな子どもたちが声変りをしている。挨拶の声がちがう。もうひとつ自動ドアーの開く音。15年前には静かな音だったが、今はちょっと何かを引きずっているように音にも雑音らしいものが混じりつつ開閉している。それでも、自動ドアーの役目をしていれば通り過ぎるだけになっている。そして、いちばん身近なトイレの水の流れる音である。息もたえだえしく、という音が混じっているように聞こえる。「疲れたよー」とでも言っているように思える。

 ぼくの体も同じだ。60年以上も息をしているとどこか音が違っているのも当然だろう。最近、手の指の関節を鳴らす音を聞いていると、ちょっとずつ違うのがわかる。朝「ポキン」という音だったとしたら、昼は「パキン」と聞こえるように思える(ぼくだけだろうか)。その音を聞きながら、仕事と自分の調子のよさを考えているような時もある。「今日は調子がいいぞ」とか、音を聞きながら自分に暗示をかけているような時が多くなったこのごろだろう。
 「限られた資源」でこれからもうまくやっていくしかないようだ。そんなとき、自分の音から感じとっているような日々がある。まだ、はじけるような指の音がしているので安心しいこうと思うのだ。これが「バキッ」とか音なしになったときは注意が必要だということだろう。

 とりあえず、年金受給申請を届けたがまだまだこれからだろう。それは間違いの多い年金機構だから。一部年金を受給するようになったのだが「28万円の壁」ということを聞いたことがある。働きすぎてしまうのもよくならしい。本当のところはちっともわかっていないのが現状。少しずつ、理解を深めていければいい。



 今週は「中ダルミ」というところが正直なところです。
 まあ、どうにかボチボチやっていくしかないようです。来週から月末に向けて忙しそうです。月末、また休みをとろうと計画中です。それくらいは甘えていいのだと思います。再雇用契約社員ですから…。割り切っていきるのも大事なことです。友だちは「死んだふり休暇」をとって頑張っている。
 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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