日々徒然に

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2月・・・緊急事態宣言の延長!の2月が始まる

2021年02月07日 | Weblog
 こんにちは。
 2月にはいりました。
 毎日、コロナ、コロナで送っていることには変わりは変わりはありません。そして、寒い・・・。日々コンディションは最悪の日々ですが季節はしっかりと廻っています。今週「春一番」がきたようです。一日中、会社にいればわかりませんでしたがニュースで報道していました。その風にのってコロナも新たに変異した新型コロナも聞きます。ほめられることではありませんがウイルスも生き物であって、必死の生きる場所にあったに変化してうっているのでしょう。こうなってくると、人類はある意味リスペクトして知恵をしぼって対応していくしかないのでしょうか。それが、いま一番大切な時期だとも思えます。

 今週、1月にから続いた「緊急事態宣言」が延長されました。当然なことだと思えます。同時に、緊急事態宣言に一緒に新型コロナウイルス対応の関連改正案(新型コロナ特措法)が成立しましたね。内容は、感染拡大を防ぐものだということはわかります。ただ、そのことによって本当に防ぐことができるのかとう疑問も残っているなかでの成立であったように見えます。特徴的なのは、感染で入院や疫学調査を拒否した人は罰則(刑事罰・行政罰の過料の導入)を設けていることです。これは犯罪者扱いのようになってしまうのではないかと疑問視されていることがあげられています。
 「感染者がなぜ、入院や疫学調査に協力できないのか」という現実を無視したものだという不安視されているともいわれています。
 例えば、非正規雇用者などは10日以上にも入院すればその間の収入がなくなり、悪ければ解雇されるという現実があるということです。フリーランスの人たちはまった補償もない状態だといいます。

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 これらの問題を解決することなしに法律をつくって強行しようしていることじたい「悪法」にも見えます。とくに、日本は非正規社員の人たちが職場を支えているといっていいところがほとんどだといえるのではないかと思います。
 あいかわらず、自民・公明党の与党の「強権政治」は続いているようにも見えました。審議4日間のなか、ちっとも現実を反映していないことが強行されていっているようで、安倍政権時代と変わってはいないように見えます。
 これでほんとうに感染防止ができるのでしょうか。これでは、ますます軽度な感染者の協力も遠のくのではないのでしょうか。
 毎日コロナで不安の日々のなかで、大切なのは感染者を増やさないために、丁寧な協力と理解の活動ではないのでしょうか!!。




 昔、関西人と話していたら「関東の人ほど富士山は気にしていません」ということを思い出した。新幹線で大坂に帰るとき静岡あたりから富士山が見えるのだが「みんなきれい!」とかいうことを聞くが、少しも気にならなかったということだった。この人、昨年の1月で退社してしまった。いまごろ、何をしているのだろうかと思う。

 関東地方でいると、おおよそあらゆる場所から大きく、そして小さく見えた山は富士山だった。半世紀前に通った小学校の通学路からも見えてた。筑波山でさえ見えていた時代があった。その風貌は日本の顔のさえ思えるほどだった。一説に、都内の〇〇富士とか富士〇〇などとつく地名のところからは、富士山が見えたのだという。今は、近所にビルや工場などが立ち並び遮るものができたせいか、その姿はみえなくなった。その位置で、現在の位置がわかったことも便利な山だったのだが、開発は景色さえも変えていってしまう現実を生々しく伝えている。

 最近、いつも使う駅が新しくなって、その駅の窓からは富士山が見えるようになった。なかには、改札にはいる前にふりかえりその風貌をみる人さえみかえるようになった。冬には雪景色、夏には青々とした三角の山がみえることになるのだろう。やっぱり日本人は富士山が似合うのだろう。
 太宰治でさえ「富士には月見草がよくにあう」とことを言っていたではないか。そういえば、太宰治が三鷹に住んでいた時代、中央線の三鷹電車庫跨線橋 があったのだろう。そこからも富士山がよく見えたことだろうか。なぜなら、今でも冬の天気のいい日には、下り線路のほうを向けば富士山が見えている。
 それも、いつかは開発によっていずれ見えなくなる日がくるのだろう。ことごとく、発展は庶民の楽しみをとっていくような時代だ。

『豊かに』 吉野弘 
塚本正勝さん四十五歳
元・三井三池炭鉱の優秀な採炭夫
現在大牟田労災療養所で四十四人の同僚患者と共に神経機能障害回復の訓練を日々を送っている

昭和三十八年十一月九日第一斜坑で大規模な炭塵爆発事故発生。
千四百人の被害者中九百四十人は救出されたが、八百三十八人が
一酸化中毒のため神経機能麻痺。
大部分の人は治療の見込みのないまま現在まで
十年間のうつろな時を積み重ねている。
療養所の一室で塚本さんが今他の患者たちと言語機能の回復訓練を受けている。

文字を書いた紙が左右の黒板に何枚かずつ貼ってある。
その中の二枚を一組にして意味ある言葉にする。
塚本さんが椅子から立ち上がった・
その背に、同僚の声援と拍手が飛んだ。

右の黒板から「豊かにする」と書かれた紙を剥がし左の黒板の前に立ち考えて
「苦労を」と書かれた紙の下に貼りつけた。
苦労を。豊かにする塚本さんが陰でいつもう一人の塚本さんの手を借りて自分の運命を正確に揶揄してみせたかのように。

馬鹿笑いをする患者がいる。
「いいぞいいぞ」という患者がいる。
「ちがうぞ」と怒鳴る患者がいる。
塚本さんはニコニコして椅子に戻る。

「豊かにする」筈だった
「くらしを」は置き去りされて。
食べ盛りの三人の子をかかえた奥さん
みすえさん(四十五歳)はこの十年ずっと働き通しだった。

そして淋しく笑う。
「主婦ちゅうもんは、大体、男に頼って生きとっとです。それが、頼れん男になったとですよ。」

塚本さんは成長した長男の結婚を知らない。
「西洋剃刀だと、よく血が出すから」と電池剃刀を贈ってくれた次女を知らない。
奥さんから何度聞かされても忘れてしまう。

被災から十年いつも療養所にいなければならないか本人も家族も医者も、知らない。
療養所のグランドで塚本さんが他の患者たちと
野球をしているなぶしい陽射しに眼を細めながら。

これまでの十年と
このあとに自分に残された時間のすべてで
「苦労を豊かにする」と証言したことも知らずに
受けそこねた運命みたいなボールを笑顔で追いかけている。
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 コロナ禍のなか、みんなそれぞれ感染しないように日々を送っている。「今日の感染者数〇〇〇人」というニュースにため息がつづく。それでも、「自分だけは」はと思う日々だろう、と思う。ただ、もし感染してしまったのならどうるのだろうとという不安もある。不安の方が感染しないことよりも大きいのかもしれない。事実、健康なことが当たりまえに生きてきたことが疑わしく思える瞬間でもある。
 ただ、感染しない日々をまっとうに生きていくしかないのが今なのかもしれない。何を守ってとか、法律でしめあげたところで感染者はいなくなることはないのだからと・・・とも思う。
 そんな時「豊かに」(吉野弘)の詩が浮かんできました。
 毎日、暮らしを楽しくするため、働いたはずなのに、爆発時によって災難に遭う。突きつめてみれば、「人災」だろうと誰もが理解しはじめている。その被災者となってしまった。新型コロナウイルスも、もっとこれまでのことを考えれば何十年も前に「地域医療構想」なんぞで「病院を減らさなければ・・・」とか思っている人がいるでしょうか。そうすれば、病院のひっ迫とやら起きず、感染者ももっと減らすこともできたのではないのろうか。そのことを知っている人は、もう被災者の方にはいないようにも思えます。はるか彼方で高見の見物でもしているかのようにも見えます。
 そんな思いが「豊かに」という詩が語っているように思えるのだ。
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 2月がはじまったら、少しずつ日が延びてきているようになってきました。
 通勤帰りは明るい方がいいと思うのでありがたいなーと思う日々であります。
 今週、前回、記述した甲子園出場の優勝選手の逮捕の千葉地裁で判決がでていました。犯罪名は「強盗致傷罪」ということで、実行犯4人のなかの一人として判決を受けました。判決理由として「計画的で悪質」。その中の一人の選手だったこには「犯罪かもしれないと思いながらも、自らの意思で参加しており、酌むべき余地は乏しい」という見解でした。判決は懲役5年(求刑懲役6年)となりました。
 「理不尽な世界が多すぎる結果、理不尽な中にはいり、被害者に理不尽な犯罪をしてしまった」ということなのでしょう。
 世のなかにはもっと凶悪な・・・ということを常々考えてしまいますが、やっていることは同じでしょう。大事なことは、常にその中にいるという社会の理不尽を少なくしていことが大事なのでしょうか。思えば、身の周りに、理不尽ではなく、当たり前のことを探すのさえむずかしくなっているようにも思えます。当たり前が少しずつ政治の言葉になくなっていくような時代になっているように思えます。
 事実、政治家の犯罪は人間の営みを利権をもって正直に行なわれているかのようです。その一部始終を有権者はみていてまねているようです。いやな時代です。


 コロナ禍であっても、どうにか感染しない日々を送っています。
 そんなかでも、コロナ同様にますます人に感染してしまうものがあぶりだされていくようなことが多くなってきました。弱者を守る政治がいつのまにかいじめられていく世の中にならないように・・・と思う日々でもあります。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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