日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

10月の声に

2018年10月07日 | Weblog

 こんにちは。
 10月にはいりました。昼間の時間が短くなって、会社からの帰りでは信号機とヘッドライトばかりがまぶしく見えるバス停です。散歩道では、秋の虫が音がよく聞こえる季節となってきました。いよいよ冬到来の入り口に立っているような日々です。寒さの方が、身にしみる季節となってきました。
 散歩をしていると、運動会の準備がはじまっている景色をみかけることがあります。運動会ね…楽しいでしょうね。昔の運動会を思い出しながらいると、運動会をこの休み中にやるという知人がいうには「最近の運動会は、運動会ではないように見える」ことがあるそうです。なんでも、体にやさしいといのか、子どもの元気な姿がはじけていないとう競技という光景だそうです。「騎馬戦…ナイ、ナイ」ということです。

 さて今週は。
 台風24号の去ったあとの月曜日はさんざんでした。電車は遅れていたため二つ先の駅先まで歩いたいきました。駅には改札までいくまでの人の列が何重にもかさなり、テレビ報道までがカメラを持ちニュースにもなっていました。あの中の後ろの方にぼくもきっといたのでしょう。
 とにかく都会は自然災害にはもろい一面が見えた週の頭でした。

 一方、沖縄県知事選はオール沖縄が推す候補者の玉城デニー氏が前翁長知事の後継者としてして勝利しました。自民党系の候補者は多くの人気政治家の応援にもかかわらす敗北したのでした。沖縄の基地問題の深刻さを考えさせられる選挙でした。今後は、基地問題を中心に沖縄と政府与党との話し合いがもたれることでしょう。また、沖縄の低賃金と一緒に基地問題が話し合われることと思います。むしろ、直接沖縄は米国との話し合いや交流を通して打開策をさがした方がいいのかもしれないと思えました。
 基地と犯罪や墜落事故などを解決するスタートラインが引き継がれた形になったということでしょう。


<笑い>
青年と老人が笑う
少年と青年が笑う
幼児と老人が笑う
世代を超えた笑いが聞こえると
耳をすまして聞いている

そんな時代がなつかしい

人によって笑う音も大きさも場所も
ちがっても
笑いがはこぶつながりに
ぼくたちは立ち止まって
笑えた…だろうか

ゆっくりあとから
ふと、最後に笑える自分であればいい




【武蔵境:JR中央線】
 この駅には、子どもが誕生してから世話になっている。近くには日赤病院もあり、ぼくたちが子どもと一緒に暮らしていた町でもあった。幼稚園、小学校を通じてたくさんの人たちと知り合いになったところでもある。今でもいちばん利用している駅である。昔、駅の近くには「開かずの踏切」があった。一度電車がくると踏切は10分以上あかないという踏切である。高架線になるまえはこの踏切には多くの自動車の運転士は悩まされたと思う。歩いている人はそれほど苦にはならなかったが、いつの間にか不便を解消するためにできた道路は広く、車の多い危険な場所になったかのように思う。
 車のための道路になっただけある。歩行者は依然として同じ。
 駅もローカル線の多摩川線にもすぐ乗れたのが、高架線になったは後は階段を上り下りする不便な駅になったように思う。三鷹に住んでいる知人は、この駅の出口の階段の通路が狭すぎるとよくいっていた。確かに、駅の大きさを考えれば「狭い」と思える駅は、不便を感じている日々である。

 駅から近くに、ぼくたち家族が一緒に暮らしたモルタル2階の長屋のようなアパートに住んでいた。このアパート時代がいちばんおもしろかったように思う。住んでいた人たちの全部の人たちの顔も思い出せるほど、このアパート住人には、お世話になった思い出がある。いつも会社にいくとき、子どもが学校に行くとき声をかけてくれた、おじいさん。植木栽培のうまかった人、母子家庭でもぐれずに頑張っていたおねさん。ここの住人達は大変お世話になったように思う。
 いまは取り壊され、住んでいた人たちはみんなバラバラになってしまった。よく声をかけてくれた老夫婦は息子が住む横浜に引っ越したと聞く。あるいは都会を離れて田舎に帰った子ども連れの夫婦もいた。母子家庭のおねえさんは、病気になって亡くなったときいている。

 あんな時代の人たちのようなきさくな、おもしろい人たちにその後はめぐりあった経験がないのが残念である。もう、二度とないのかもしれない。あんなに気さくに、お互いが貧しけれど、日々を励まし合っているような生活経験はきっと経験はできないのかもしれない。
 あの時代あった人たちの「同窓会」があったりしたら面白いだろうなあ。
 ぼくが年をとったということは、お世話になった住人達はもういないのかもしれない。
 ときどき、通過するだけの駅になってしまったこの駅を降りて歩く時がある。住んでいた時代のなつかしい顔が浮かぶ場所でもある。わずらわしいと思う人とのつながりをここでは楽しく思えた場所だった。なぜ、そうれができたのかのかなあ…と思う。
 駅はかがやているが、人のつながりはますます錆びていってるような日々があることに気づく駅だろうか。




 今月、6月の「過給分」の返納が終わる。思えば、年金支給開始の2カ月前のことであった。
 ぼくの誕生日が5月なので、年金支給手続きをしたのだった。年金は「偶数日」なので8月からである。5月の給料がこれまでの額のままだった。出向先に月の半ばごろ電話があって「過給分を返納してください」と。「再雇用契約」書とおりにするとの連絡があった。
 「おー、まってくれ」と返事をして、担当者に経緯をきいてなんとも間抜けなことをやったなと思いつつ「返納予定」を作ったのだった。ぼくが、勤めておよそ三十数年は経つが初めてのこと。こんな間抜けなことは初めてだった。さっそく、部長殿が「始末書」を書いて持ってきた。出すところが違うだろうと思いつつ預かったのだった。

 これまで会社の仕事でのミスはしてお客に迷惑をかけたこともあるが、「被害者」となったことはなかった。それも暮らしにかかわること。冗談に「忘れてくれないか…とか、見なかったことにしたら…」といったが、真剣になっていたのでこちらも、そう向き合うしかなかった。
 パソコンのホームページで「返納の仕方」を検索し、「返納計画書」を書いて、この予定で返却を実施するから了解してほしいと伝えたのだった。(担当者にはすまないが、ミスをおかした分、こちらの申しれをのんでもらうしかなかった。

 とはいえ、「再雇用契約書」を再度読みかけしてみると確かに給料に関しては「誕生日…」となっていた。そして、賃金の部分には世にもおぞましい最低賃金が表記してあった。
 見れば見るほど、働きがいのない賃金額には、働くことの気力さえ失われるような数字であったことが記憶にあった。
 今年、国会で『働き方改革法案』 なるものが成立したことも思い出した。それによると、被雇用者(派遣・契約社員)に3年以降の雇用について記述がある。雇用先の正規社員にするか、派遣会社は新しい雇用先を紹介しなければならない…ということと理解している。さらには「同一労働・同一賃金」ということもある。

 ほんとうにこうなるのだろうか。
 先月読んだ『ガラパゴス』という小説では派遣社員が産業予備軍のように書かれていた。いわゆる「雇用の安全弁」であるかのようになっていることがわかる。いつの時代にはどうしても働こうとする予備をつくっておくのが資本主義の鉄則のようなものはまだまだ健在なのだろう。
本当に、正規社員にする気があるのだろうかという疑問はついてくる。事実「雇い止め」なるものが経営者から画策されているという新聞記事もある。そして「65歳定年制」さらには、「年金支給年齢を70歳に…」ともある。
 そして労働界を束ねる連合がその点があまり明確ではないようにも見えることである。

 こうしてみると、労働者は、「死ぬまで働かせる」ようにも見える社会ではないのだろうか。今度は、70歳まで年金を延ばそうとしている。その前にやることがあるだろう。ちゃんとした正規社員の増加や賃金や社会保障など、働く人が健康でいられるような労働時間の管理など…。あい変らず、長時間労働はなくならない。その長時間労働に歯止めとなっている残業代もなくそうとしているのだからあきれる規制緩和である…なにか逆行している労働政策があると思う。



 3連休も終わりです。どんな連休を送ったのでしょうか。
 ぼくは、この休みに今まではいていたR会社の靴の修理にちょっと人の多い吉祥寺にいってきました。靴は5年ほど前に市内のデパートで買ったもの。そのデパートのR社の靴屋さんに行こうかとして検索してらすでにお店が閉鎖していました。ということもあり、R社の一番の近いところということで吉祥寺にいったのでした。

 お店にいって修理を頼むと、金額がなんとバーゲンで二足変えるほどの額の見積もりに驚いてしまいました。それでも気に入っていた靴だったので依頼しました。出来あがるのは2ヵ月後だそうです。「混んでいるので…」とのことでした。
 そんなことを思いつつ、ぼくの生活も靴と同様に体も気持ちも修復しながら暮らしていることに気がつく日々です。それは、修復するために時間をどのようにつくっていくのかが毎日の目標となっているような気がします。靴であれば、何年後には修理することはわかります。おおよそ2年に一度の修復であれば、1ヵ月に1000円ずつ修理代をためることを考えたりすることが必要になってくるのでしょうかね…。いわゆる自己(生活必需品の)管理なのでしょう。
 これからますます必要性を考えた日でした。

 オシャレなんて考えたこともないのですが、でも人それぞれオシャレの形はちがうのでしょか。時々くみかかける、全身黒ずくめというのもオシャレなのでしょうかね。ぼくには、イタリアのムッソリーニ率いるファシストにしか思えませんが…。でも誰に迷惑をかけていないのですしいいのと思います。それぞれの、オシャレをそれぞれの個性でみせればいいのです。

 では今週はこの辺で失礼します。
 また、あしあたから11月号の雑誌の追い込みが2週間かけて始まりそうです。なんとも1ヵ月なんてあきれるくらい早いものです。まあ、できる範囲でやっていくしかないのでしょうかね。
うっかり昼寝などしていたら、くもり空の下では、寒さを感じる季節になってきたようです(だから冬は嫌いなのですが…)。
 温暖の差には気をつけてないといけませんね。
 連休の最後の日に、近所のアウトドアショップ(コロンビア)で通勤用帽子を買ってきました。今まで、着けていた帽子は汗だらけでしたのでとうとう替える時期になったようでした。つばの小さいものを購入したのでした。あー、これがオシャレ…っていうのでしょうかね。人とちょっと違うところがその人のオシャレなのかもしれませんネ。思い切って、なんていうわけではありませんが、明日から着けていこうと思います。気分がちょっとは違うかもね…。
 読んでくれた人、ありがとうございました。