日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2月も終わり……です

2013年02月24日 | Weblog


 こんにちは……。
 まだ、まだ寒い日が続いています。かぜなどひいてはおりませんか。
 ……と、いっても季節は着実に春に進んでいるようです。それが証拠に一日の明るさがのびてきました。
 私にとって、苦手な朝もはやく夜があけるようになったきたようです。寒さはまだありますが、これから、少しずつ日がのびて、お日さまのぬくもりが少しずつ多くなってくるのだと思います。

 今週、安倍首相がとうとうアメリカ訪問にでかけていきました。
 民主党時代はそれほど聞かなかった「安保」という二文字が浮上してきました。結局、「アメリカもうで……」で御用聞きにいったようなところが、帰ってきたみたらありました。

 「TPP参加交渉開始」という見出しの日曜日の1面には……やっぱりと、うなずいていました。いろんなことをいっても、過去の自民党の政治政策はアメリカ経済のしたごしらえ的存在はかわっていない、と思いました。
 昔、東西冷戦時代の対ソ連対策で、今は中国や北朝鮮対策で縁のきれない仲のよさは、再び強力になっていくような動きです。
 それも、参議院議員選挙までは、のらり、くらりとしていくのだと思います。

 私の好きな歌手・高田渡の「値上げ」という曲の詩を思い出します。
 その詩には値上げするま政治家がいろいろな言葉を庶民になげかけて最後には「値上げ」強行をしてしまういう曲でした。「もっか検討します」とか「いろいろ考慮中」とか、のらりくらりと庶民の不満をよけながら、だましつづける詩でした。それに、近いような気もします。
 

 渋谷駅:娘の靴の展示会があり、久しぶりに渋谷のロフトにいってきました。人が多いのには驚きです。
 駅中を通って目的地のロフトまで……。ところが、せっかくの岡本太郎の絵がかざってあるにもかかわらず毎日みているからでしょうか、振り向きもせず改札に急ぐ足音をきいていました。
 みんな「忙しい……」を連発しそうな勢いのある駅にも思えました。
 かの有名な「忠犬ハチ公」様が主人を待ちわびた駅にしては忙しすぎる駅になってしまったようです。
 行く人の手には、携帯電話をかける人、スマートフォンを見つめている人……、絵はみている時間がないような忙しさを渋谷駅に感じました。それも、土曜日です。わたしもきっと慣れてきてしなってしまうのでしょう…ね。

 いつしか、駅の大作も、こう毎日通るところにあるようになってしまうと鑑賞より町のシンボルとして置かれてしまっているように思えました。あることはわかるのですが、その大事さや意味が忘れてしまっている。やっぱり、絵は展示会でゆっくりみたいしろものです……ね。




 最近は、「心が折れない」ようにするにはどうしたらいいのかなあ……、と思う日々が続きます。
 ぼくは、本当は人の基本は俗にいう成功者(勝ち組とう)のいうことよりも失敗(負け組)の経験がある人のいうこことのほうが素直に聞けるように思えます。しかし、現実はあいかわらず勝ち組み、負け組という構図のなかでは、勝組みがもてはやされているようです。

 でも、よくよく考えてみれば勝組も負け組みがあるから成り立つ構図なのです。そして、いまは、負け組みが徹底的に貧しさに不幸という認知をつくっているのも最近のことだと思います。これが「格差社会」ということなのでしょう。この構図は「負けがあるから勝がある」ということより、負けるともう、完全には光が見えなくなるくらい深く底に落ちて行ってしまう構図が最近です。

 ぼくは、ときどき、昔は貧しくてもみんな元気だったのに……と思います。これは、きっと貧しくても生き方がいっぱいあったからなのでしょう。そして、考え方もいっぱいあったらではないかと思います。
 物質的に貧しくても、おもしろいことを考えてそれぞれが楽しかったのではないかと思います。そんなことを思うと、何が足りないのかな…、と思います。
 そんなことを考えて読んだのは今月の本でした。

   

◎新約聖書入門・旧約聖書入門/三浦綾子/光文社文庫

(旧約聖書入門)
・他の人と同じ状態でなければ、何となく落ち着かないというこの姿は、実はアダムとイブにあったのではないだろうか。イブは神に禁じられた木の実を食べた。それは、神のように賢くなりたいという傲慢と、神の言葉に従わない不従順と、「盗んだ」という、いわば泥棒の行為の三つを犯したことになる(p34)

・神が人間に与えたのは、清い空気と澄んだ水と、みどりの山野と、そして暖かい太陽、雨、風、雪、広い大空ではなかったか、人間は何か一つの発明するたびに、愚かになっていくのは、現代も同じである(p57)

・わたしは、あなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。
一、 あなたはわたしのほか、何も神としてはならない。
二、あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの下は地にあるもの、また、地に下の水のなかにあるもの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してならない。……(略)

三、あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

四、安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目にはあなたの神、主の安息日であるから……(略)

五、あなたの父と母を敬え。

六、ななたは殺してはならない。

七、あなたは姦淫してはならない。

八、あなたは盗んではならない

九、あなたは隣人について、偽証してはならない。

十、あなたは隣人の家をむさぼってはならない。以上十戒(145)


 まさに「聖書」は、人間の歴史の基本あるいは原点が書かれている本だと思います。人間のいやらしさ、素晴らしさ……などを気づかされる本だと思います。

 とはいっても、その内容はむずかしく、その歴史もしらないと自分のこころに届く言葉にならないようにも思えます。そんな疑問をわかりしやすく、自分の経験から「聖書」という本を紹介していると思います。
 
 最初は、「神が……」などと思っていましたが、読んでいくうちに人の生きる形みたいなところを導いているような気がしますが……。
 私は信者ではないので、そんなに詳しく知ろうとは思ってはいません。でも、いったい人が生きている意味はいったいなんだろうとつきつめるとここにたどりついただけと……いった具合なのでしょうか。
 無理せず、自分でできることを考えることが大事だと思いました。

◎つらい心への処方箋/宮子あずさ/ポプラ社

・だから私はあえて言います。「親が憎い-。だから何?」と、親を選んで生まれてくることは誰にもできません。それも一つの運命として、ベストを尽くすしかないのです。(p36)

・しかし、人間は必死になるほど、そうした理屈がわからなくなって、新たな選択肢が出てくると、すぐにそれが手にできるかのような錯覚に陥ってしまいます。そして、それが手にできない時、恨みがましい気持ちになってくるのです。(p41)

・どんなに準備周到に計画された人生でも、どうせ思い描いたとおりにはいかなのです。計画を立てて人生設計をするのはいいことですが、立案にエネルギーをかけすぎ、大事にすぎると、かえって訂正がきかなくなります。(p65)

・人間の気持ちの中にはいつも、不本意な生き方を人のせいにしてしまいたい幼さと、不本意であったこと自体を認めたくないプライドが同居しています。(p76)

・……病気になってしまった理由ばかり探していると、毛結局は不毛な犯人捜しになる、と申しあげましたが。しかし、さらにそれを突きつめると、病気に注力をすることそのものが、人の視野を狭めるという問題になってくるのです。(p102)

・大病を得ても、あくまでも楽観的に気持ちを操作し、生きる力が人間にあるのです。「なぜこうなったんだ」と、人生を詰問しても始まりません。今日生きていることの意味、価値を十分にかみしめて、受け入れるのもまた、おつな道なのでしょうか。(p108)

・実際、今の社会は、これまでの科学万能への反省から、わかりやすいよりわかりにくいもの、形あるものより形のないもの、表現できるものより表現できないものに、重きを置く傾向にあります。(p143)

・でもやっぱり、人間同士あたたかく生きるためにこそ、エネルギーを使いたいたいですよね。(p154)


 妻が病気を患って、入院して、いまだに通院し検査し……という日々が続いていると、ふと以前を振り返って「ああしておけばよかった……」とか「これをやっておければよかった」とか、つい自戒したりします。
 そんなこと、いまさらどう考えようと、遅い!という事実にさいなまされていることも少なくありません。

 そんなと、いちばんいい方法はないかと焦ったりもしますが、まさにいい方法などないことに気づき疲れがいっぺんにでてきます。そして、ストレスがたまり自分までこわれていくように思えます。

 まあ、生きていること自体、つらいことなのでと腹をくくって思えば、自然と今の自分がやることが見えてきたりします。
 「つらい心への処方箋」はそんなことを気づかせてくれる一冊でした。
 受け入れてこそ、人生の一歩がはじまる……ようです。
 そんな気がした本でした。

◎看護婦がみつめた人間が病むということ/宮子あずさ/講談社

本の内容
病と向き合うことは、人生と向き合うこと。「傷ついた人だけが持つやさしさ」「母親であることと、病と闘うことの両立は難しい」など、長く患者さんと向き合ってきたベテランの看護師が、人間の真の姿を見つめたエッセイ集。ベストセラー『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』の続編、待望の文庫化。

宮子あずさ
1963年東京生まれ。明治大学文学部中退、東京厚生年金看護専門学校卒。'87年より東京厚生年金病院内科病棟、'96年より神経科病棟に勤務。看護師として働きながら、多数のエッセイを執筆。また、大学通信教育のエキスパートで、働きながら短大1校、大学2校、大学院を卒業している。 主な著書に『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』(講談社文庫)、『気持ちのいい看護』(医学書院)、『宮子あずさのナースな毎日』(実務教育出版)、『大学通信教育は卒業できる!』(メディカ出版)などがある。




 思えば会社が移転してはや1年。最初は通勤時間も残業も多くなり、いったいどうなる?、と思って1年がたちました。
 結果として、予想したとおり、残業が多く、通勤時間が90分…と移転前よりは、はるかに会社にいる時間が多くなりました。会社にいて、人間的に成長し仕事ができたか…というと疑問です。ほとんど、いやなことが多き日々が続きました。

 これが現実かなあ、といまはあきらめているといった方が正直なところでしょう。もっと、正直なことをいえば、これからは、自分の身体のことや病気の妻のことなどで精一杯というところでしょう。

 そして「開きなおって」いる自分がこれからもつづくのでしょう。いまさら、現実を拒否したところでどうにもならないことですし、むしろ受け入れられるところは「受け入れて」と日々、安息な眠りのために送るのだろうと思います。

 そして「誰にも、明日のことはわからない……」ということが本音になっているようにも思えます。そしてでてきた言葉が「それなら、一日楽しく送れるようにしよう」と腹をくくっていくことにしています。
 楽しく思えれば、積極的に働きかけて、これは無理だろと思ったら、なるべく避けて、できれば関係を避けていく方法をもちたいと思うようになりました。
 「賃金はがまんの結果……」という言葉も、ほんとうなのでしょうか。いまでは、これが現実なのでしょう。「がまん」をした結果として、今の生活を楽しくできるのであれば、それが必要なことだとして受け入れるしかないように思うようになりました。

 人が移動するということは、多くのことを考えさせてくれます。だから年に何回か「人事異動」というものがあるのでしょうね。
 それが、吉とでるか凶となるか……、あとはどれだけ自分のやりかたを貫けるかが大事なのでしょう。それで、だめなら、できる範囲を考えて「焦らず、怒らず、えらぶらず……」でいくしかないと思います。



 2月も今週でおわりです……ね。
 どんな2月でしたか。
 身近で、バレンタインデーでは、おばさんばかりにチョコレートもらってしまった町内の人気者の話題があり、おもしろい現象だなと思いました。
 身近な、女性より町内会のおばさんのほうが気を使わなくてらくだといってしました。

 まあ、会社にきて上司に気をつかって、さらには女性に気をつかって……といくと窮屈でわかるような気がしました。
 へんに、強烈なギャグ化と思いきや「パワハラ……」なんていわれる職場では、そう思います。でも、そんな関係にしてしまった会社はもっと罪深いなあと思います。
 昔のように何でも気楽に話せる環境が大事なのに……。

 自分が平日、いちばん多くいる職場はできるだけいい環境にしたいものです。窮屈な関係は「相談」するときくらいにしたおきたいものです。
 
 今月も読書は「いやし系」の本になってしまいました。小説も読んでみたいのですが。
 まあ、それは次回楽しみということで……。

       

 最近は誰よりも早く起きています……わ。
 早く、暖かくなって欲しいと願って日々を送っています。
 また、残業の多い日々がはじまりそうです。
 明日は、妻の2ヶ月目の検査です。無事で帰ってくることを願いつつ、それではまた、来週。
 今月はお疲れ様でした。



*読んでくださった方、ありがとうございました。