縁というのは不思議である。
人と人との縁ばかりでなく、世の中に存在する万物との縁にしても、縁があったり、無縁であったり……。
私は、ユスラウメの存在を知らなかった。Tさんと散歩していなかったら、その名を知らないままに、眺めていたであろう。
やがて赤い実がなるらしい。
ひとりで大塚散歩をしていたときより、今は散歩コースが、かなり広くなった。そこで出会いの風景や草花なども、その数が多くなった。それだけ楽しみが膨らんできた。老いの身にとっては、ありがたいことである。
ユスラウメの花
ピンク色の可憐な花は、野辺の決まった場所で見かけるのだが、確かな名前が分からない。(ナデシコ科のムシトリナデシコという名前の紹介があったが、花の持つ雰囲気にそぐわない感じがする。)
帰途、施設に近い民家の庭で、同じ花が鉢植えしてあるのに気づいた。折よく、家の方が庭におられたので、名前を尋ねてみたが、分からないとのことであった。
散歩の途中で、よく出会う犬いる。その家の飼い犬であることも分かった。奇しくも、私と同じ名前であった。
白モクレン? コブシの花に似ているような気もして、はて? と頭が混乱した。
上掲の木の近くに咲いていたイチハツ。
この花を見ると、正岡子規の歌を思い出す。
いちはつの花咲きいでてわが身には今年ばかりの春ゆかんとす
正岡子規は、肺を病んでいて、死の遠からぬことを自覚していたわけであるが、私の場合は、老いの身として、また訪れる春を信じがたい。今、心配な病気を抱えているわけではないけれど、可能性として、また春に会うことは予想しがたい。そして、それを寂しいことだとも思わない。
時折、とんちんかんを言ったり、したりしながら、お年ですからね、と他人事のよう言い、今日という日を生きている。
かつての散歩で、ムベの蔓を前庭に這わせた家を見つけた。それがどの道筋であったか、先日来、探していたが、なかなか見つからなかった。が、今日、やっとたどり着くことができた。
花や実が楽しみである。
イノシシ小屋の近くにあるコブシの蕾がほころびる気配を見せていた。一枝いただいてくる。
コブシといえば、空高く咲く印象を持っていたが、そこにあるコブシは、こじんまりとしている。若い木なのか?
ユスラウメとコブシ。