マスカットとピオーネの二房が、岡山の友達から届いた。
至宝のように、大事に包装されて。(下の写真は、ラップだけを残して撮影。)
友達とは、季節の果物を送り合うだけで、久しく会っていない。
お礼の電話をすると、
「今年のうちに会いたいね。もう先がないような…」
と、同年の友達は言う。
私同様、<まずは、今日一日>の思いで、生きているようだ。
歯茎の神経が痛くて、食事に支障があるという。
私にも、歯痛や口内炎の経験は幾度となくあるので、その苦痛はよく分かる。
が、それが恒常ということになると、想像するだけで、気分が滅入りそうだ。
噛んで味わう楽しみがなくなったら、さぞ味気ないだろう。
友達の愛嬢は、子どものときから病弱で、若く他界。
会うたびに、跡継ぎをどうするかで悩んでいた。
彼女の目にかなう人を養子に迎えたい様子だった。
が、今日の話では、万事思い通りにはゆかず、すでに<墓じまい>をしたとのことであった。
友達と私とは考え方がかなり違っている。
昔ながらのしきたりを守って生きるタイプの友達には、無念さがあったであろう。
私は、それでいいのだ、と思う。
友達も手を尽くした挙句のせいであろう、今日は結構さばさばと、その現実を受け入れているようで、安心した。
岡山県の和気町に、彼女は住んでいる。
一度、自宅に泊めてもらったことがある。
大きな屋敷だった。
家の周囲にも、広い敷地があって、野菜を育てたりしていた。
(大方は、旦那の仕事だったようけれど。)
和気町は、<和気清麻呂>の生地という。
<清麻呂の里 藤公園>には、立派な藤棚があり、その種類も多く、棚から地上に長い花房を垂らしていた。
和気の藤公園に勝る藤を、私は見たことがない。
公園には、朝倉文夫作の「和気清麻呂像」もあった。
(東京の谷中にある『朝倉彫塑館』には、二度訪れたことがあり、親しみを覚えた。)
その折、備前市の閑谷学校も見学した。
早速、爽やかで美味な葡萄をいただきながら、和気を訪れた遠い日を思い出した。
至宝のように、大事に包装されて。(下の写真は、ラップだけを残して撮影。)
友達とは、季節の果物を送り合うだけで、久しく会っていない。
お礼の電話をすると、
「今年のうちに会いたいね。もう先がないような…」
と、同年の友達は言う。
私同様、<まずは、今日一日>の思いで、生きているようだ。
歯茎の神経が痛くて、食事に支障があるという。
私にも、歯痛や口内炎の経験は幾度となくあるので、その苦痛はよく分かる。
が、それが恒常ということになると、想像するだけで、気分が滅入りそうだ。
噛んで味わう楽しみがなくなったら、さぞ味気ないだろう。
友達の愛嬢は、子どものときから病弱で、若く他界。
会うたびに、跡継ぎをどうするかで悩んでいた。
彼女の目にかなう人を養子に迎えたい様子だった。
が、今日の話では、万事思い通りにはゆかず、すでに<墓じまい>をしたとのことであった。
友達と私とは考え方がかなり違っている。
昔ながらのしきたりを守って生きるタイプの友達には、無念さがあったであろう。
私は、それでいいのだ、と思う。
友達も手を尽くした挙句のせいであろう、今日は結構さばさばと、その現実を受け入れているようで、安心した。
岡山県の和気町に、彼女は住んでいる。
一度、自宅に泊めてもらったことがある。
大きな屋敷だった。
家の周囲にも、広い敷地があって、野菜を育てたりしていた。
(大方は、旦那の仕事だったようけれど。)
和気町は、<和気清麻呂>の生地という。
<清麻呂の里 藤公園>には、立派な藤棚があり、その種類も多く、棚から地上に長い花房を垂らしていた。
和気の藤公園に勝る藤を、私は見たことがない。
公園には、朝倉文夫作の「和気清麻呂像」もあった。
(東京の谷中にある『朝倉彫塑館』には、二度訪れたことがあり、親しみを覚えた。)
その折、備前市の閑谷学校も見学した。
早速、爽やかで美味な葡萄をいただきながら、和気を訪れた遠い日を思い出した。