お彼岸の今日も、黄砂の降る日であった。
墓参の前、妹の一家と、<とみ>で食事した。
<とみ>は、小さな丘の上にあって、遠望がきく。
が、残念ながら、昨日に続き、黄砂が風景を損なっていた。
食事の後、義弟の車に乗せてもらい、途中、亡き兄の妻、義姉をM駅に迎え、7人で墓参した。
墓前で、祖父母、父母、そして兄を偲ぶ。
肩の骨折で墓参のかなわなかった義姉に会うのは一年ぶりであった。
右肩は癒えても、腕が上がりにくいとのこと、生活に不自由さがあるのだろう。
それよりも、義姉の足の弱りが気になった。表情に生気のないことも。
義姉の老い姿が、人ごとに思えなかった。
兄が生存した歳月を超えてなお生きている私だが、明日のことは分からない。
お彼岸の日は、彼岸の人の想い出に浸る一方で、此岸に生存する者の今を考える日でもある。
義姉をM駅に送り、電車の到着を待ちながら、しばらく話した。
待合室の椅子に坐り、雑談をしている限り、いつもの義姉であった。頭には衰えのないことに安堵する。
その駅に置いてあった、鉢植えのクリスマスローズ(上)と、ホームの花壇に咲いていた黄水仙(下)。
墓参の前、妹の一家と、<とみ>で食事した。
<とみ>は、小さな丘の上にあって、遠望がきく。
が、残念ながら、昨日に続き、黄砂が風景を損なっていた。
食事の後、義弟の車に乗せてもらい、途中、亡き兄の妻、義姉をM駅に迎え、7人で墓参した。
墓前で、祖父母、父母、そして兄を偲ぶ。
肩の骨折で墓参のかなわなかった義姉に会うのは一年ぶりであった。
右肩は癒えても、腕が上がりにくいとのこと、生活に不自由さがあるのだろう。
それよりも、義姉の足の弱りが気になった。表情に生気のないことも。
義姉の老い姿が、人ごとに思えなかった。
兄が生存した歳月を超えてなお生きている私だが、明日のことは分からない。
お彼岸の日は、彼岸の人の想い出に浸る一方で、此岸に生存する者の今を考える日でもある。
義姉をM駅に送り、電車の到着を待ちながら、しばらく話した。
待合室の椅子に坐り、雑談をしている限り、いつもの義姉であった。頭には衰えのないことに安堵する。
その駅に置いてあった、鉢植えのクリスマスローズ(上)と、ホームの花壇に咲いていた黄水仙(下)。