しかし、まだ木々は芽吹かず、植物の春は遠いな、と思いながら、地面に目をやると、クリスマスローズの横に、クロッカスが、「私は春を迎えました」とばかり、黄と白の可憐な花を咲かせていた。慎ましやかに。
庭の地面のあちこちには、地所取りをしているかのように、オオイヌノフグリの薄紫色の花もたくさん咲いていた。
植物界にも、確実に春は近づいているようだ。
和食のお店「松山閣」の窓辺には、そこから客の視野に入る風景が、案内板に説明してあった。こうした心配りは、実にありがたい。(写真)
説明を見て実景を眺め、記憶としてある山や建物の位置を確認することができる。そして、名と実が明らかとなり、ささやかな喜びを味わうことになる。
関心のない人もあるかもしれないけれど、私はすぐ忘れるくせに、妙に知りたがり屋のところがあり、案内板などあると、嬉しくなる方である。
最近は、公園の樹木や街路樹などにも関心があり、名札がついていると、ありがたいと思う。名前を知らなかった樹木に対し、急に親しみが増すのだ。それは草や花についても同じである。
食事の後、コーヒーを飲もうと、場所を移すことになった。新幹線の中で、車内販売のコーヒーを飲んではいたが、本格的なコーヒーが飲みたかった。
その前に、まずは、京都駅ビルの最上階にある広場に出て、空を仰いだ。
最上階の高さは何メートルあるのだろう? より天に近づいて佇んでいる思いがし、青空に浮かんだ雲が手の届く近さに感じられた。下を見下ろせば、地上の人は小さく見える。
三年前の晩秋のころ、旅の途中、友人と屋上に佇んだことがあった。それ以来ということのようだ。今は早春の京の空。
エスカレーターで、二階まで降り、グランヴィアの喫茶室に入ることにした。かつて友人と入った時には、記憶は定かではないが、もっと空いていたような気がする。今回は、入り口の椅子にかけて順番を待たねばならなかった。人の多さ、これが都会なのだと思う。縁もゆかりもない人たちが、どこからともなく蝟集する。私はその雑踏が嫌いではない。
別のところへ行こうかと思案しているうちに、順番が来た。
グランヴィアのコーヒーをいただく。
ひとりの妹は、既に「川端康成と東山魁夷」展を見ており、グランヴィアを出たところで別れた。三時になっていた。
もうひとりの妹と展覧会に行くため、タクシーで、<京都文化博物館>に向かった。
カリフラワーの横に、初めて見る花が挿してあった。
「あれは?」
と尋ねると、
「カンガルー・ポー」
と、Yさんは答え、ベランダの鉢に誘ってくださった。
「株分けしたのがいけなかったのか、勢いがない」
とのことだが、何しろ初めて見る私には、よく分からなかった。
その名は、花がカンガルーの足に似ているところから名づけられたらしい。<ポー>は、足の意味。オーストラリア産。
帰宅後、パソコンで調べてみた。
花色は、赤、オレンジ、黄など、いろいろあるようだ。草花舎の花は、深紅といえばいいのだろうか。
ついでに、英語のお勉強。
ポー=paw =(イヌ・ネコのようなかぎづめのある哺乳動物の)足、手。
hoof=ひづめのある動物の足。
foot=人の足。
最後の単語は大丈夫だが、後は記憶にない。学習はしたのだろうが、使わない単語は、どんどん忘れてゆく…。