ぶらぶら人生

心の呟き

広島 二つの美術展

2007-10-12 | 旅日記
 今、目の前のカレンダーを見上げて驚いた。
 広島に出かけたのは、もう二週間も前のことであるのかと。
 烏兎怱怱。いやになってしまう。なんだか中身のない生活をしているうちに、歳月だけは容赦なく過ぎてゆく。

 9月29日に、広島で、二つの美術館に行った。
 一つは、<広島県立美術館>で開催中の『生誕100年 靉光展』、もう一つは、<ひろしま美術館>の『野田弘志展 写実の彼方に』であった。

 前者が、主目的だったのだが、靉光の絵画については、日曜美術館などで紹介されたときの感慨以上でも以下でもなく、ただ代表作に、目で触れることができた満足感だけであった。有名な<眼のある風景>や<自画像>の三点など。<鬼あざみ>を描いた絵などに、むしろ好感を抱いた。
 
 広島県立美術館の大窓からは、縮景園が風景画のように眺められるのが嬉しい。また、常設館の絵にも触れることができ、その方がむしろ楽しかった。


 野田弘志展の方は、やや、ついでに見てこようといった感じだったのだが、こちらの方が、私にはずっと興味深かった。(写真は美術館前の看板)
 前々から写実の細やかな絵を描く画家というのは知っていたが、実際の作品に接して、ただ驚嘆するばかりであった。精密であるばかりでなく、そこには詩情豊かな美しさがある。静かな音楽も聞こえてきそうな、そんな絵であった。
 大いに気に入って、こちらは図録も求めた。
 写真を超える精密さは、どういう描き方から生れるのだろう?
 その製作過程を見てみたい気がした。

 ひろしま美術館の常設館にも、名画が多いのだが、さすがに疲れたのと閉館も間近になったので、今回は鑑賞せず、館を後にした。
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広島 原爆の爆心地

2007-10-12 | 旅日記

 <前回のブログの続き>
 男性ガイドが、最後に案内してくれたのが、<爆心地>の標識の立つ街角であった。(写真)
 平和公園からは、ほど遠からぬ位置にあった。
 ここを中心として、四方八方に原爆の被害は広がり、多くの人命や街のすべてが焼き尽くされたのだ。

 ガイド自身も、被爆二世であると、証明書を見せてくださった。
 昭和21年始めの生れであった。定年を待たずに高校教師をやめ、ガイドの仕事をしているのだと。広島県であっても、学校で、戦争や平和に関することが、語りにくくなっているという現状を悲しんでおられた。おかしなことである。しかし、おかしなことがじわじわと世に蔓延し始めているとすれば、大変な問題だ。
 平和式典さえ、形骸化してしまうようなことになってはいけないと、元高校教師の嘆きを聞きながら考えた。

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広島 被爆したお地蔵様

2007-10-12 | 旅日記
 公園の外へ出て、案内してもらったところは三箇所だった。
 一つは、お寺の墓地。焼け爛れた墓石が、戦後に作りかえられた、新しい墓石と並んで、被爆の姿をとどめていた。家族を原爆で失い、無縁仏となられた方たちのお墓かと思われ、昭和20年の8月6日を境に、係累の絶えてしまった悲しみの事実が、そこに存在している思いであった。

 二つ目が、被爆したお地蔵様。(写真)
 町の片隅に、今も佇み、一部焼け落ち、一部に炎の痕を留めた姿をさらすことによって、平和な時代を生きる私たちに、静かなメッセージを送っていた。
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広島平和記念公園 2 (鐙火臺)

2007-10-12 | 旅日記
 <前回のブログの続き>
 原爆ドームから公園の中に入ってゆくと、公園を訪れている人の多さに安堵する思いがあった。そこを訪れている人たちが、遊ぶために来ているのではなく、原爆の悲惨を考え、平和の意味をかみしめようとしているように思えて。
 上に行くに従って、幅広くなった五重の形をした塔の周辺には、多くの人たちが集まっていた。<鐙火臺>と記してあったと思うが、そこには、学徒動員中に原爆で命をなくした、若き人たちの霊が祀られているのだ。

 そこに男性ガイドが現れて、塔の下の仏像について説明を始められた。
 普通の仏像と違って、この像は、仏、神、キリストを具現したものである、と。よく見ると、確かに普通の仏像とは異なっていた。
 原爆によって犠牲となった人たちは、この世のすべての神仏によって守られ、そのみ霊が安らかに眠られるようにとの願いが込められているのだろうか? その肝心な説明は受けなかったので、よく分からないのだが……。
 
 ガイドは、<この公園外にも、みんなに見てもらいたい場所がある。そこを訪れてみようと思う人はないか>と、希望者を募られた。大方の人は、団体客だったので、時間制約がある様子だった。
 私ともう一人、北海道から来ている人と二人で、公園の外を案内してもらうことにした。
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広島平和記念公園 1 (原爆ドーム)

2007-10-12 | 旅日記

 先月29日の朝、宿泊先のリーガロイヤルホテルから、平和記念公園に向かって歩いた。幾年ぶりかに訪れる公園であった。
 フロントで道順を尋ねたところ、地図を示して、<原爆ドーム>までなら徒歩5分で行けると教えてくださった。荷物が少々邪魔にはなったが、歩くことにした。
 私は方向感覚が鈍く、全く反対の方向に向かって歩き出さないとも限らないので、手に地図を持ち、時折街行く人に確認しながら歩いた。

 原爆ドームの頂が、間もなくして見え始めた。
 幾度見ても、焼け残ったドーム型の建物の一部は、62年前の光景を蘇らせる。
 私の書棚には、一冊の本『原爆の絵 HIROSHIMA』(昭和52年刊 童心社)があり、毎年、八月には、その本を開くことにしている。
 被爆者たちが、自らの目と心に焼きついた被爆の記憶を描いたものである。全くの素人の絵なのに、上手下手の問題ではなく、心に訴えかけるものがある。
 原爆ドームを遠くから眺め、近づいて眺める間、その本に描かれた光景が、幻覚のように迫ってくるのであった。
 今の長閑な公園が、一瞬、遠い日の残酷な光景となって……。
 この日の元安川は、水を豊かにたたえ、静かに流れていた。が、そこにもかつては地獄図絵が展開されていたのだと、その様を思い描きながら、川の流れに目を注いだ。

 私も戦時下に子どもの時代を過ごしたが、山陰の田舎に生まれたことで戦禍に見舞われることはなく、生き延びることができた。それでも、戦争の悲惨さは身に沁みてわかっているつもりだ。
 ただ、原爆の真の惨状は、記録を通してしか知ることができず、先記の本は、私にとって、貴重な追体験の本となっている。

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