ぶらぶら人生

心の呟き

野を行けば

2009-12-18 | 散歩道
 郵便局へ行くのに、遠回りをした。
 身体を動かし、心の悪足掻きを捨てるために。

 狂い咲きの躑躅があった。(写真①)
 マユミの赤い実が、枝々を賑わしていた。(写真②)
 久しぶりに野を歩くと、水仙の花がずいぶん増えていた。(写真③)

 崖の花を眺めながら、毎年、この時期になると、同級生のMさんから、お正月用にと水仙の束が届くのを思い出した。しかし、今年は届かないだろう。
 かなり前から、もう外歩きができないと聞いている。この日々、どんな具合だろうかと、その体調を案じた。

 風花が舞っていた。
 マユミの向こうには、青い冬空が広がっていたのに…。
 眼鏡に、先が見えないほど水滴が止まった。
 <心の雨>が、涙となったかのように…。


 <以下、余録>
※今日は、ソコロのSさんに来ていただいた。
 時間をかけて、二台のパソコンの点検やウィルス対策をしていただいた。
 いつも大変お世話になる、
 夕方、写真を取り入れようとしたところ、画面がいつもと違っている。すると、もうどうすればいいのか分からない。そこでまた、Sさんに電話した。
 私には、パソコンに対する応用力が全くないので、些細なことにも、力を貸していただくことになる。

※今日は、山口の友達から、お正月用のお餅と、この秋採れたお米が届いた。
 もうお餅の届く時期かと、またしても心急く思いであった。でも、お餅は大好物なので、ありがたい!
 早速お礼の電話を入れた。

※昨日の「天声人語」(朝日新聞)で、<尾生の信>という言葉を知った。
 意味は文中に記してあったが、辞書も引いてみた。「荘子」に出てくると知った。そこで、『中国の故事名言』も開いてみた。
 尾生高という人の死に方から生まれた言葉だという。
 彼は、密会を約した女性との約束を守り、橋の下で待ち続けた。が、折からの雨で川が増水した。それでも、彼はその場を離れず彼女を待ち続けて、溺死体で見つかったというのだ。

 辞書や本には、
 <固く約束を守ること。>
 <愚直なこと。>
 と、二つの意味が出ている。

 さて、この話をどう解すればいいのか?
 今時、尾生高は存在しないように思う。
 愚直と言われようと、約束を守り通した尾生高を、私は憎めない気がするのだか…。
 私ならどうする?

              ①

              ②

              ③
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