ぶらぶら人生

心の呟き

『浮世の画家』

2017-11-20 | 身辺雑記
11月20日 月曜日



カズオ・イシグロ著『浮世の画家』
(ハヤカワ文庫・初版2006年11月30日・2017年10月16日8刷)


私にとっては、カズオ・イシグロ作品、二冊目の読書となる。
すでに2006年に翻訳されているのに、10余年、私はカズオ・イシグロさんの存在を全く知らなかった。
(初読の『遠い山なみの』でも書いた気がする。)

最初に読んだ『遠い山なみの光』といい、今回読んだ『浮世の画家』といい、日本人作家の作品かと思ってしまうほど、日本的な小説である。
小説の舞台が日本であり、登場人物も日本人である。
そのせいもあるだろう。
また翻訳者(この本の場合は、飛田茂雄)の翻訳のうまさも、日本文学的な味付けをしているのだろう。

今、ブログに感想を記そうとして、もう一度本のページをめくると、最初のページに、<両親に>と書かれているのに気づいた。
ああ、そうだったのかと思った。
私自身、この小説を読みながら、教師であった私の両親やその世代を生きた人々の心境を、頻りに考えずにはいられなかったからである。

カズオ・イシグロさんの生まれは、1954(昭和29)年である。
この小説には、見出しとしての<章分け>はないけれど、〈1948年10月〉〈1949年4月〉〈1949年11月〉〈1950年6月〉と、年月によって区切られている。
昭和でいえば、戦後間もない昭和23年から25年にかけての話である。

私の生い立ちでいえば、戦後制度によって生まれた中学校と高等学校にまたがる時期が背景となっている。
戦時下の子どもとして生き、12歳で終戦を迎えた私は、がんじがらめに縛られていた束縛から解放され、心的に輝いて生きていた時代である。受験勉強に追われることもなく、伸びやかに。
胴乱を肩にかけて、植物採集に出かけたり、石川啄木の『一握の砂』『悲しき玩具』の暗誦を楽しんだり……。
まだ、生活物資(特に食糧)には恵まれない時代だったけれど。

主人公は、戦時下、戦争に加担する側の作風で有名になった画家の小野である。
この小説は、主人公<わたし>が、戦中の回想、戦後の現実を語る形で描かれている。
形式は、<私小説>風である。
登場人物は、主人公を中心に、家族、上司、同僚、教え子など多数である。
戦後風景、復興への兆しなど、その時代背景も、実に細やかに、具体的に描かれている。
戦後、<わたし>に向けられる冷ややかな視線の中にあって、主人公の心は揺れ動く。
その動揺のさまが、次女の結婚話などを背景に浮き彫りされる。

国を戦争に駆り立てた上層部でなくても、何らかの形で戦争に加担した当時の大人たちには、戦後を生きてゆく上で、それぞれに苦悩があったのだろう。
作者にとっては、完全に出生前の出来事であり、見聞や資料によってしか知り得ない世界のはずだが、心理的な世界ばかりでなく、情景も実によく描けている。

書きたいことはたくさんあるのだが、私の脳はかなり弱っていて、書けば書くほど支離滅裂になりそうだ。
この辺りで擱筆。
コメント
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