ぶらぶら人生

心の呟き

さむざむとした九月

2015-09-30 | 身辺雑記
 今日で、九月が終わる。
 生涯のなかで、今年(2015)ほど、さむざむ(寒々)とした九月はなかったような気がする。  
 身も、心も。

 今年は、晩夏がなくて、いきなり秋になった。
 暑いと思う日より、肌寒いと感じる日の方が多かった。
 老いのせいもあるかもしれないけれど、それだけでもないような気がする。

 天候不順の際立つ今年であった。
 尋常ではない台風被害も多かった。
 過ぎ去ったことはたちまち遠い過去のことに思えてしまいがちである。
 が、鬼怒川の堤防決壊による常総市の大災害や、それに続いて、与那国島に猛威をふるった、台風21号が、途轍もない災害をもたらしたことは、忘れようもない。
 風速80㍍など、聞いたこともない。
 その未曽有の暴風が、被害を大きくしたのだ。

 政治的にも、許せない決定が、数の力でなされるなど、平常心ではいられなかった。
 安全保障関連法案など、真の平和な暮らしには繋がらない。
 だから、連日連夜、反対の声を挙げる人が集まった。 
 行動を起こす人々の多かったことが、唯一の救いであった。

 再選された安倍総理の口から、 <一億総活躍社会>とい言葉が語られた。
 即座に脳裏に浮かんだのは、戦時下、幼い日の心に、一方的に植え付けられた<一億総玉砕>という言葉だった。
 校庭に並ぶ藁人形を敵とみなして、竹やりで突く練習など、まじめにやらされた。
 今思えば、滑稽至極。

 上記のことばに限らず、安倍総理の威勢のいい言葉には、ただ空虚感あるのみ。
 (偉そうなことを言うようで申し訳ないけれど)総理には、もう少し聡明になってもらいたい。
 せめて民意を分かろうと努力する人であってほしい。 

 老若男女、それぞれが、その置かれた状況のなかで、ささやかな倖せを感じる生き方ができればそれでいい。
 老いの身に、一億人の一人として、<活躍>を強いられるなら、苦痛以外のなにものでもない。


 九月の最後の今日は、曇り日の肌寒い日となった。
 散歩に出た方がいいと思ったが、その気になれなかった。
 裏庭のランタナ(先日ブログに投稿したもの以外に、また別の花が咲いた)を眺め、彩の異なる小さな花の集まりの、その見事さにつくづく感心し、ひと時を楽しんだ。

      
                   鳥のプレゼント(ランタナ二種)
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タブレットで

2015-09-30 | 小庭の四季
           タブレットで撮った写真の添付。(テスト)

     
               シュウメイギク

     
               シュウメイギク

     
               高麗ユリの実

     
               ホトトギスの莟

     
               シロシキブの実

     
               ムラサキシキブの実
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昨夜(9月29日)の月

2015-09-30 | 身辺雑記
 昨晩の空は、くまなく晴れ渡っていた。
 月の出は少し遅くなったが、まだ欠けたところは微塵もなく、大きなお月さまだ。

 デジカメ・タブレット・スマホで(時間的順序も同じ。10時から11時にかけて)、昨夜の月を撮ってみた。

          

          

        

             
                        タブレット(縦)

             
                        タブレット(横)

                 
                        スマホ(縦)

             
                        スマホ(横)


        
 幾度も庭に出て、冴え渡る月を眺めた。
 お月さまは、どうしてこんなに、人の心をつかんでしまうのだろう?
 しみじみと、過ぎ来し方に想いを馳せたり、なき人を偲んだり……。
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