ぶらぶら人生

心の呟き

今日は<大暑>

2014-07-23 | 身辺雑記
 暑い日が続く。
 今日は、<大暑>。
 暑くて当然である。

 これからが本格的な夏。
 自愛の日を過ごそうと思う。

 過日(17日)、午前中にかなり激しい雨があり、気温は比較的低かった。
 その日、体調に異常を感じた。
 家の中にいて、顔に、かつて経験したことのない汗をかいた。
 脈拍の数も異常であった。
 頭の芯に違和感もあって…。
 これは大変と思いつつ、エアコンを入れ、水分を補給して、ひと休みした。
 発汗と脈拍の異常は収まったが、就寝まで頭の芯にある不快は消えなかった。

 その症状が、<熱中症>への危険信号であったのかどうかは分からない。
 大事に至らず、幸いだった。

 熱中症については、他人事のように考えていたが、諸注意を意識し、嫌いな夏を無事のりきりたい。 


       
                 大暑の日の空


 今日の読売新聞に、黒井千次さん のエッセイ「時のかくれん坊」 (毎月一回掲載)が載っていた。
 黒井千次さんと私はほぼ同年なので、月々のエッセイを読むと、心に底流するものの一致点が多い。

 今日の題名は、「年齢と気分 乖離大きく」であった。

   老いるということは、自分の年齢と折り合いをつけることではないか、と考えるようになった。
                                                  (冒頭の文)

   ……考えてみれば、年齢というものは常に初体験なのである。一年の間は便宜上の区切りに
   よって同じ年だと呼べたとしても、何年何か月何日生きてきたかに着目すれば、現在とはその先に
   延びていく時間なのであり、これは常に新しい体験を孕んでいる。たとえ同じことの繰り返しに過
   ぎぬ日常生活であると見えたにしても、どこかの先に恐ろしいことが待ち構えていないとは限らな
   い。いや、一つだけは未知の出来事が必ず人を待っている。……


 つまり、この先にある、避けがたい病や死。
 それを非常に身近に感じ始めるのが、80歳という年齢なのであろう。
 観念的な死ではなく、観念しなくてはならない死。

 それでも与えられた命は、少しでも輝いて生きねばならない。

 
 一昨日の朝日新聞で、「お盆玉」(新語であろう。お年玉に対しお盆玉)の、<ぽち袋>が、郵便局で売られていることを知った。
 昨日、草刈り・草取り代金の払い込みに出かけ、その<ぽち袋>を求めてきた。
 いろいろ種類があったが、入手したのは、夏空と向日葵のある風景。

             
コメント
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