ぶらぶら人生

心の呟き

5月の庭 (ナニワイバラの花など)

2011-05-16 | 草花舎の四季
 60年ぶりに再会のYさんを、草花舎に案内した。
 一緒に昼食をとった。食事も趣のある雰囲気も、気に入ってもらえた。

 前庭に咲くナニワイバラの花が、盛りを過ぎようとしていた。
 花の前に、Yさんに立ってもらって、記念の写真を撮る。

 いつもはひとりで歩く庭を、今日は旧友と一緒に、草花を眺めつつ歩いた。
 Yさんは、花に詳しい。
 美女ナデシコやシュスランの名前を教えてもらった。

 今日は、草花舎のひと時を遠来の旧友と存分楽しみ、新たな想い出を刻んだ。
 
       

       

       
       

       

       


             (窓辺の鉢 シュスラン)
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遠来の客

2011-05-16 | 身辺雑記
 今日は、<遠来の客>Yさんを迎えた。
 ここにいう遠来は、距離的な遠さではなく、60年という時間的遥けさである。
 中学高校の6年間を同じ学び舎で過ごしながら、互いに消息を知らぬままに時を刻んだ。
 
 戦後の6年間、列車の4人掛けの席に坐り、通学を共にした一人である。
 卒業後、ぷっつりと連絡が途絶え、疎遠になっていた。

 私の持っている同窓会名簿には、Yさんの住所は空欄になっており、その消息を知ることができなかった。
 ところが、同級生のひとりから、Yさんの健在を知らされた。
 住所と電話番号を教えてもらい、早速電話で久闊を叙した。二年前のことである。

 <一度お会いしましょう>と言いつつ、月日が流れた。
 Yさんから、先日突然の電話がり、急に会うことになったのだ。
 私の家に来てもらうことにして、駅に出迎えた。
 「分かるかしら?」
 と、Yさんは心配そうであった。
 「大丈夫! きっと下車客はあなただけだから…」
 と、伝えた。
 果たして、ホームに降り立ったのはYさんひとりだった。
 
 60年という歳月は長い。
 18歳の若き日の面影は、顔の表情に幽かに残っているだけであった。偶然出遭ったのではお互いに分からないだろう。

 しかし、長い歳月の空白はたちまち消えた。
 Yさん持参の古びた写真が、昔を思い出すよすがとなった。
 数人が一緒の写真もある。が、どの写真にも、Yさんと私がいる。
 写真に登場する人たちは、当時、みな親しかった友達なのだろう。が、二人とも、その名を思い出せない人もいる。
 物故者が二人。
 一人はYさんとより親しい人であり、もう一人は私の仲良しであった。
 なにしろ高校の卒業時、600人近くの同級生がいたので、互いに共通の友達というのは少ない。親疎の微妙な差があるのは当然であった。

 Yさんと私は、高校卒業後、とにかく無事に60年を生きてきた。
 かなり生き方は異なっているけれど、それぞれが思う道を歩み、それぞれに幸せであったといえる。

 お昼には草花舎へ二人で出かけた。
 花の庭を歩き、昼食を共にしながら、さらに来し方を語り合った。
 3時半、山陰線の上りホームにYさんを送った。

 暫く、心の高揚感の失せぬ一日となった。
 
 

 今、庭のシランが盛りである。
 早速、花の写真を添えて、来訪のお礼をしたためた。

                
               
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