草花舎のカレーライスが食べたくなったと、友達が尋ねてきた。
半年ぶりに、食事を共にした。
(午前中は、雷雨が激しかった。
パソコンを開いていたとき、窓辺に雷が轟いたので、思わずカーテンを閉めた。そんなことで、雷を防げるものではないのに……。つまらぬ抗い!)
雨のため風景は暗く、草花舎の庭も黄昏のようであった。(写真 室内より)
食事のあと、わが家に場を移して、夕方まで話した。
友達は、高校時代の同級生である。
「あと、10年かねェ?」
と言う。生存の歳月についての話である。
「10年? …… 私は3年かなァ?」
と、答える。
すぐ上の兄は70歳で、その上の兄は、80歳直前に他界した。私は今、その中間を生きている。余生を長く思い描けないのは、なんとなく二人の兄の生存年と関係があるのかもしれない。
しかし、父母は長寿であった。
それを思うと、意に反してだらだらと生き続けそうな気もして、困惑する……。
<まあ元気でなくてはね>というのが、二人の余生談の落ち着くところであった。
半年ぶりに、食事を共にした。
(午前中は、雷雨が激しかった。
パソコンを開いていたとき、窓辺に雷が轟いたので、思わずカーテンを閉めた。そんなことで、雷を防げるものではないのに……。つまらぬ抗い!)
雨のため風景は暗く、草花舎の庭も黄昏のようであった。(写真 室内より)
食事のあと、わが家に場を移して、夕方まで話した。
友達は、高校時代の同級生である。
「あと、10年かねェ?」
と言う。生存の歳月についての話である。
「10年? …… 私は3年かなァ?」
と、答える。
すぐ上の兄は70歳で、その上の兄は、80歳直前に他界した。私は今、その中間を生きている。余生を長く思い描けないのは、なんとなく二人の兄の生存年と関係があるのかもしれない。
しかし、父母は長寿であった。
それを思うと、意に反してだらだらと生き続けそうな気もして、困惑する……。
<まあ元気でなくてはね>というのが、二人の余生談の落ち着くところであった。