ぶらぶら人生

心の呟き

7月27日(日)<明日開く花>  (蓮の蕾)

2008-07-27 | 身辺雑記
 今日のスタートは、雷鳴と降雨に始まったが、しばらく降って、間もなく上がる、ひと時の雨であった。
 晴れ間の広がる前の涼しいうちに、市長選挙の投票に出かけた。
 現役市長と新人、二人の立候補者による選挙となった。間もなく開票が始まるだろう。次期の市長により、どんな市政が行われるのだろうか。私たちの暮らし向きが少しでもよくなればいいのだが…。

 今日も気持ちの晴れない日。こんな日は何かに集中して雑念を払うしかない。
 『82歳の日記』(メイ・サートン著)を昨日に続いて読み、読了した。

 先日読んだ詩集『一日一日が旅だから』では、<眼鏡が冷蔵庫から見つかる>という意味の一句があり、私の眼鏡も昨年来行方不明で、探しあぐねていることを先のブログに書いた。
 今日は、鋏の探し物の話が記されていて、思わずひとり笑いをしてしまった。
 気分の冴えない日なのに、笑えるとは幸せなことだ。
 私の場合、一番気に入っていた鋏の見えなくなったのは春先の頃だったように思う。花作りの上手な隣家の人に、シンビジュウムの不要な茎の切り方を教えてもらおうと、一番手近にあった鋏を持って出かけた。それ以来、姿を見せなくなった鋏は、切り取った茎と一緒に新聞紙にくるみ、ゴミ箱に入れたのではないかと思っている。
 老い人の探し物は、似たようなものが多いのかもしれない。身辺でよく使うもの。

 私との類似点を見つけて思わずおかしくなり、立ち上がってコーヒーを入れた。
 コーヒーを味わいながら続きを読む。
 私も、もの探しに無駄な時間を費やすことが多いが、年上のサートンは、ひときわ名人である。私も、いずれそうなるであろうと思えば、心細い話である。
 この探し物の話は、断片的で些細な出来事に過ぎない。
 内容はもっと高度なものである。
 この本については、稿を改めて書くことにしようと思っている。

 相撲の千秋楽であることも忘れて、夕方まで読書した。
 昨夜は食欲の湧かないまま、九時に夕食という不規則な生活をしてしまったので、今夕はまず食事を済ませ、その後、Oさん宅まで出かけた。
 法要の日、仏前に供えた果物やお菓子類を、Oさんにお裾分けするために。
 Oさんは、父母の晩年、随分お世話になった人である。

 Oさん宅は、小山を背にし、私の家に比べれば、海により近い位置にある。
 ホトトギスが、ごく近い場所で啼いていた。鳥や蝉の楽園に足を踏み入れたような感じだ。声が多いばかりでなく、鳴き声が真近に聞こえる。
 ホトトギスやジージー蝉・カナカナ蝉の大合唱が、Oさん宅を包んでいた。
 鶯の声は、少し遠い位置から届いていた。
 
 そういえば今日、早すぎる法師蝉の声を聞いた。読書中に耳に届き、空耳だろうかと、広縁まで出て耳を澄ました。間違いではなかった。
 7月のうちに鳴き出すことはめったにないように思う。この夏の異例な暑さのためだろうか?
 法師蝉の声を聞くと、夏の凋落を感じ、そこはかとない寂しさを覚える。燃えるような夏も終焉が近くなったのかと……。
 法師蝉が鳴き始めて、秋めいてくれるのならありがたいが、今年の猛暑は、まだまだ続きそうなな気がする。
 
 Oさん宅の近くにある池に、蓮の蕾が沢山あった。
 明日、開花するのであろう。(写真)
 この大きな蕾は、黄昏の池に紅色を目立たせ、充実した力をさりげなく漲らせていた。

 急に思い立って、夕方出かけたことが、蓮との出会いとなり、今日のささやかな喜びとなった。
コメント
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