ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

柴田チコ と 裸足のイサドラ

2014-03-02 23:10:06 | 日記

中学時代に父に買ってもらった FM ・AM ラジオ。  SONY 製の “Action” って名前だった。 モノラルで、カセット(古い!) も付いてなかったけど、嬉しくって包装箱に入れて学校にも持って行ったっけ。 当初は大切にするあまり、ビニール袋を被せたまま聴いてて、高音がこもっちゃって(笑)


そして僕は、同世代の多くがそうなったように、深夜放送の世界へ。


AM では “オールナイトニッポン” や “歌うヘッドライト”、FM では、その少し前の時間に放送していた “ジェットストリーム” や、メニコンがスポンサーの “コンタクト・クラブ” なんかを聴いていた。 城達也 さんもいいけど、やっぱり 柴田チコ さん ・・・ この名前のトーンには、当時のちょっと切ない気持ちやワクワク感が伴う。 受信することができた FM 局は FM 愛知と NHK FM だけだった。


綺麗な声で語りかける、実は少年のような顔立ちの 柴田チコ さんに、青春真っ只中の僕は恋心にも似た憧れを抱いていたのかも知れない。


夕刻、( ステレオで聴くと ) ボーリングのボールが右から左へと転がりピンが倒れ、「名古屋スポーツガーデン!」 という呼び声とともに D'yer Mak'er が流れて始まる “イブニング・スペシャル(通称 : イブ ・スぺ )” も好きだったけど、深夜の静けさの中、もの悲しげな曲で始まる “コンタクト・クラブ” は別格だった。


その、もの悲しげな曲は、映画 Isadora / The Loves Of Isadora のテーマ曲をアレンジした Paul Mauriat の “Isadora” 。


映画は、アメリカの創作ダンサー “Isadora Duncan(1878年5月27日- 1927年9月14日)” の伝記だ。 彼女は靴を履かず裸足で踊った。 様々なテイストを取り入れた斬新なダンスで人々を魅了した Isadora 。


あるパーティーの帰り、心惹かれていた男性が運転するオープンカーから立ち上がり、パーティのメンバーに 「 さよなら 」 と呼びかけた瞬間、赤いスカーフが車輪に巻き込まれ、彼女の首を絞めていき、車の脇から放り出されて首の骨を折り死亡した。


 


今もその曲を聴くと、 “Action” を、リポビタン D の段ボール箱に 16㎝ フルレンジと、2.7μF のコンデンサを通した 5㎝ ツイーターを取り付けただけの簡易なスピーカーシステムに繋いで、陽光の入らない西向きの窓下に置いたベッドで聴いた、あの深夜を思い出す。


 

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