2009年10月17日午前、長野県軽井沢町のホテル客室で、加藤和彦が首を吊って死亡しているのが見つかった。 恐ろしく残念だけど、クールかつナイーブでプライド高きイメージから乖離はない。 訃報を知り、なぜか思い出したのは「SUPER GAS」・・・それは穏やかな幸せに包まれた春の陽だまりのようなアルバムだ。
「SUPER GAS」がリリースされたのは1971年で僕はまだ小学生。 翌年にはサディスティック・ミカ・バンドが結成されている。 前年に大阪万博が開催されたこの頃は戦争や権力への反発に欠かせない手段とされたフォークの終焉期にあたり、これ以後のフォークは恋愛、青春を含む日常の生活や感情を表現するものとなった。 当時のTV番組で元タイガースのトッポこと加橋かつみが弾き語りで後者を歌う姿を見た記憶がある。
オープニングの “家をつくるなら” はナショナル住宅のCMソングに起用された。 “アーサ博士の人力飛行機” はこのアルバムにおけるハイライトの1つ。 “不思議な日” は今も冬になると思い出したりする。 ジャケットにはまだ清楚だったミカ夫人とくつろぐフォトも見られる。 この御方が晩秋に孤独な最期を迎えるなんて・・・。
アルバムを持ってなかった僕はもっぱら友人宅で聴いた。 その友人は “大統領様” に強く惹かれ、ミュージシャンになった。 かの吉田拓郎も “結婚しようよ” のボトルネック演奏について、加藤和彦を「大先生」と称した。 当時、音楽界への影響力は大きかったのだ。
加藤和彦のデビューはドラマチックだ。 アマチュア時代の THE FOLK CRUSADERS が1967年の解散記念に20万円で300枚だけ自主製作したアルバム「ハレンチ」が売れず、仕方なく回ったラジオ局で流してくれたことから、グループ不在のまま「フォークルブーム」が巻き起こる。 この社会現象に応えた1年限りの再結成&プロデビューにより、独特のビブラートを伴う蒼く繊細な声は若者の心を捉え、更にアイドルのような人気を獲得した。
五木寛之が若き日の移ろいやすい心理を表現した歌詞に、加藤和彦の曲が初夏から初秋へと一気に駆け抜けるような躍動感を与えた、フォークル最後のシングル “青年は荒野をめざす” はこの声なしでは成立しない。 サトウハチローの歌詞による “悲しくてやりきれない” は加藤和彦の曲で鮮やかな色彩を得る。 イントロから間奏、エンディングに至るまで失望感と哀愁に満ち溢れるこの曲は、初めて耳にした瞬間からなぜか懐かしさを覚えた。
音楽活動では振り返らない、繰り返さない主義だった加藤和彦。 その人生は “青年は荒野をめざす” の曲想と重なって見える。 エンディングで再現されるイントロのメロディーは、遥かな年月を経て何もない荒野・・・通り過ぎた過去を眺めているようだ。 そう、この曲の主人公は最初から過去を想い荒野を眺めていたのではないだろうか?
あたかも未来に住みながら過去の自分を眺めるように自然体で時代を超越していた加藤和彦。 その隔たりが消失してしまったかのようなコメントを残し、悩み傷ついた心が癒されないまま人知れずエンディングを迎えた天才の死を嘆きたい。
「SUPER GAS」がリリースされたのは1971年で僕はまだ小学生。 翌年にはサディスティック・ミカ・バンドが結成されている。 前年に大阪万博が開催されたこの頃は戦争や権力への反発に欠かせない手段とされたフォークの終焉期にあたり、これ以後のフォークは恋愛、青春を含む日常の生活や感情を表現するものとなった。 当時のTV番組で元タイガースのトッポこと加橋かつみが弾き語りで後者を歌う姿を見た記憶がある。
オープニングの “家をつくるなら” はナショナル住宅のCMソングに起用された。 “アーサ博士の人力飛行機” はこのアルバムにおけるハイライトの1つ。 “不思議な日” は今も冬になると思い出したりする。 ジャケットにはまだ清楚だったミカ夫人とくつろぐフォトも見られる。 この御方が晩秋に孤独な最期を迎えるなんて・・・。
アルバムを持ってなかった僕はもっぱら友人宅で聴いた。 その友人は “大統領様” に強く惹かれ、ミュージシャンになった。 かの吉田拓郎も “結婚しようよ” のボトルネック演奏について、加藤和彦を「大先生」と称した。 当時、音楽界への影響力は大きかったのだ。
加藤和彦のデビューはドラマチックだ。 アマチュア時代の THE FOLK CRUSADERS が1967年の解散記念に20万円で300枚だけ自主製作したアルバム「ハレンチ」が売れず、仕方なく回ったラジオ局で流してくれたことから、グループ不在のまま「フォークルブーム」が巻き起こる。 この社会現象に応えた1年限りの再結成&プロデビューにより、独特のビブラートを伴う蒼く繊細な声は若者の心を捉え、更にアイドルのような人気を獲得した。
五木寛之が若き日の移ろいやすい心理を表現した歌詞に、加藤和彦の曲が初夏から初秋へと一気に駆け抜けるような躍動感を与えた、フォークル最後のシングル “青年は荒野をめざす” はこの声なしでは成立しない。 サトウハチローの歌詞による “悲しくてやりきれない” は加藤和彦の曲で鮮やかな色彩を得る。 イントロから間奏、エンディングに至るまで失望感と哀愁に満ち溢れるこの曲は、初めて耳にした瞬間からなぜか懐かしさを覚えた。
音楽活動では振り返らない、繰り返さない主義だった加藤和彦。 その人生は “青年は荒野をめざす” の曲想と重なって見える。 エンディングで再現されるイントロのメロディーは、遥かな年月を経て何もない荒野・・・通り過ぎた過去を眺めているようだ。 そう、この曲の主人公は最初から過去を想い荒野を眺めていたのではないだろうか?
あたかも未来に住みながら過去の自分を眺めるように自然体で時代を超越していた加藤和彦。 その隔たりが消失してしまったかのようなコメントを残し、悩み傷ついた心が癒されないまま人知れずエンディングを迎えた天才の死を嘆きたい。