ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

Jim Morrison の話 <第4回>

2009-07-25 11:07:47 | 日記
           ☆☆☆☆☆☆☆ James Douglas Morrison ☆☆☆☆☆☆☆




Jim Morrison の話・・・今回は「アルコール、ドラッグ、反社会性、そして活動の終焉」。


ジムといえばアルコールそしてドラッグを連想させる。 それはレコーディングの際にも及び、スタジオテイクでは Five To One でのしゃっくり、ライヴで泥酔状態となったジムが腐った魚のようなうつろな目で People Are Strange を歌う姿、またロレツさえ怪しくなりゲップをしながら歌う When The Music's Over 、挙句の果てには他人(ジミ・ヘンドリックス!)のステージに乱入し演奏を無視して詩を即興で朗読したり、リズムも音程も外し叫び歌うテイク等、そんな様子が数多く収録されている。

1967年4月、ドアーズはセカンド・シングル「Light My Fire」をリリース。 全米No.1を獲得した。

時代背景に反し、エディプス・コンプレックスをダイレクトに表現した The End 「Mother I Want To・・・」に続く台詞はライブで全て明かされ、初期の聴衆に衝撃と不快感を与え、由緒正しき人気TV番組「エド・サリバン・ショー」では、出演に際し Light My Fire の歌詞、「Higher(ハイになる)」がドラッグを暗示していて放送上好ましくないから「better」と変更して歌うように、と通告されていたにも関わらず平然と歌ってしまい、以後出演禁止になった。 この「エド・サリバン・ショー」での雄姿(?)は YouTube でも見ることができる。 ちなみに「出演禁止」と告げられた際、ジムは「もうエド・サリバンは卒業したよ」と静かに言い放っている。

1967年11月、セカンド・アルバム「Strange Days」を発表。 その直後の12月、コネチカット州ニュー・ヘイヴンのコンサートでジムが警官を挑発し、侮辱したとしてステージ上で逮捕された。 翌日すぐ釈放されたが、この事件以来コンサートに来る客は違法スレスレの破天荒なパフォーマンスを期待するようになっていった。

1969年3月、マイアミのステージでは何とズボンを下げ自慰行為を見せたとして逮捕されたが、こういったハプニングもジムを伝説化しカリスマとして決定づける要因となった。 一方その代償も大きく、逮捕後はマスコミによる「ドアーズ排斥運動」の影響で、コンサート活動を3ヵ月半に渡って全く行えない状況に陥っている。

マイアミにおけるジムの逮捕以降、ドアーズは「反社会的存在」というレッテルを貼られ、コンサート会場側からのキャンセルが相次ぎ、確保できたステージのそでには常に警官が立ち監視されることとなり、ライブ活動は次第に縮小していく。

1970年12月12日、ドアーズはニューオーリンズでのステージを最後にライブ活動を停止した。


1971年3月、ジムは著作に専念するためにパリへ移住・・・。(次回に続く)
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