ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

吉田拓郎さん ありがとう、大好きです

2022-06-28 00:17:43 | 日記

吉田拓郎さんが年内で芸能活動を終了することを24日に知った。

7月21日放送のフジテレビ特番「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」を最後にテレビ出演から退き、これ以降はコンサートなどは行わず、レギュラーのラジオ番組も年内で終了するそうだ。


「奥さんである森下愛子さんの鬱病の看病のため」といった記事もあるが、「若い頃のような歌声が出せなくなったから」という拓郎さん本人の言葉を信じる。


僕がギターを始めたのは吉田拓郎さんを知った小6の時。
中学時代には、アルバム〝人間なんて〟〝元気です〟〝伽草子〟に収録された全曲のコード進行を覚えていた。

アマチュアコンサートで最初に歌った曲は「新しい朝」。
「花嫁になる君に」や「高円寺」がコピーできた時は嬉しかった。


拓郎さんが出演する TV やラジオの番組は欠かさず視聴した。
〝たくろうの気ままな世界〟は勿論、「もう(TV には)出ません」と宣言しておきながら「また出てしまったぞ」などと言いながら浅田美代子さんと演じた突発的なドラマ番組もカーリーヘアのままの時代劇も ・・・ 。

〝HAVE A NICE DAY〟〝僕らの旅〟等が使用された CM は見聞きするだけでウキウキだった。 何か新しい時代が始まったように感じていた。


重度の小児喘息で小学校、中学校に半分ほどしか行けなかった拓郎さん、ミュージシャン系プロデューサーの先駆者だった拓郎さん、「宗拓」として茶道師匠の資格を持っている拓郎さん、フォークと歌謡曲の区分を壊した拓郎さん、プロ歌手として初めてテレビ出演拒否をした拓郎さん、金沢公演の夜に「暴行された」との女子大生による虚偽の訴えで逮捕され8日間も拘留されてしまった拓郎さん、お祖母様の叱咤でその嘘つき女子大生を訴えなかった拓郎さん、オールナイトニッポン生放送中に泥酔した拓郎さん、伝説の中津川の吉田拓郎をもう忘れてくれと願っていた拓郎さん、基本呼び捨てなのに加藤和彦氏だけ「大先生」と敬っていた拓郎さん、ステージで気に入らない客を罵倒した拓郎さん、コンサートでアンチから「帰れ」コールを浴びた拓郎さん、日本レコード大賞の授賞式に上下ともジーンズ姿で登場して非難を浴びた拓郎さん、自らのバンド&スタッフ&機材を従え日本で初めて全国ツアーを行った拓郎さん、実は徹底したインドア派で整理整頓好きで出前大好きな拓郎さん、日本で初めてミュージシャンによるレコード会社を設立した拓郎さん、1975年に静岡県 つま恋で6万人の観客を集めた日本初の大規模コンサートを行った拓郎さん、「牡羊座は牡羊座同士(森下愛子さんと)の恋愛が本物だと思う」などと語った拓郎さん ・・・ そう、今では当たり前の音楽ビジネスやミュージシャンとしての自由なスタイルを創ったのは吉田拓郎さんなのだ。

そんな破壊と創造の歴史を、音楽評論家 富澤一誠氏はこう表現している。


 拓郎が道を切り拓き
 その道を陽水とこうせつが地ならしをして
 そして、谷村、さだ、千春がその道にアスファルトを打ち、造った高速道路を
 80年以降のシンガーたちが走っている
 道は悪路ではない
 美しい道路になっているので彼らは速く美しく走ればいい
 決してガードレールを突き破るような理不尽なパワーは必要としない
 しかし、その理不尽なパワーこそが
 スーパースターの1つの条件なのである


でも TV 番組〝おしゃれカンケイ〟で、拓郎さんは富澤一誠氏のことを「嫌い」と公言しているけど(笑)
→ 番組動画 : おしゃれカンケイ1 おしゃれカンケイ2


中学進学を目前に控え、拓郎さんのアルバムを聴きながら様々なことをイメージしていた海岸沿いの田舎町。

こうき心、恋の歌、イメージの詩、マークⅡ ・・・ 高校進学以降はエレキ(Ritchie Blackmore)専科で疎遠になり、その後 アルバム〝今はまだ人生を語らず〟の ある曲が高校卒業間際に起きた悲しい出来事と重なり、拓郎さんの曲を聴かなくなった。

でも、ある時期からまた聴き直し、今も CD で時々聴いている。


76歳だもんね。
かつて貴方の曲に衝撃を受け、寝食を忘れて狂ったようにギターに没頭した12歳だった僕も、既に早期完全リタイアした身。




フォトは、フアンなら説明不要。
そして、拓郎さんの背中に涙しているだろう。

あの日、この場所で世界が変わったのだ。








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